繋がれた右手の熱に浮かされていた。いつの間にか私より広くなった背中が逞しくて、私を引っ張るその手が力強くて、涙が出そうになった。
「好き」
桜の花びらに紛れて消えてしまいそうだった私の声をしっかり拾い上げた恭平は、振り返った。
「んー?俺も好きだよ」
太陽のような笑顔だった。私の好きは彼の好きとは違うのだと知った。私はこの気持ちを一生心の奥底に隠すことを決めた。
「あーもーほんとないわあの男」
「名前…それ何杯目だよ…」
「だってさー散々思わせぶりな態度しといてさー。『ごめん彼女いるから…』とか意味分かんない!なら最初っから合コンとか来んなっての!すいませーん生中もう一杯!」
勢いよく店員さんに注文した私に、世良は「うげぇ…」と顔を顰めた。かれこれ二時間弱、こうして居酒屋の片隅でビールを煽っている。世良は以前ならこんな時一緒になって飲んで馬鹿騒ぎをしていたくせに、最近は体に気を使っているらしく、ちまちまと冷奴を摘んでいるのみである。しかしそろそろ飽きてきたのか、私が運ばれてきたジョッキに口を付ける隙を見計らって、枝豆に手を伸ばした。
「つーか振られる度に一々俺呼ぶなって!俺だっていつでも来れるわけじゃないんだからさあ」
「でもいっつも来てくれるじゃん」
「まあそうだけど…」
「だってこんなこと愚痴れるの世良しかいないんだもーん」
「ほーら飲め飲めー」と無理やりジョッキを押し付ける。「酔っ払いめ…」と零したような気がしたがきっと気のせいだろう。一口飲ませてしまえばもうこっちのものだ。しばらく攻防戦を続けていると、世良がジョッキを奪い、私からは届かないところへ置いた。
「なあ名前、聞けよ」
「ちょっとビール返してよ、温くなっちゃう」
「いいから聞けって!」
「な…何」
急に真面目な顔になったので驚いてさっきまでのノリを忘れてしまった。世良はゆっくりと息を吸う。
「俺にしろよ」
「は…?何て」
「そんな合コンばっか行って、毎回毎回振られて辛い思いするくらいなら、俺にしとけって言ってんだよ」
冗談でしょ、と言おうとした私の口は半開きのまま止まった。世良の瞳は思った以上に真剣だった。笑って流せそうにない雰囲気に、頭がじわじわと言葉の意味を咀嚼し、急速に冷えていく。
私が何のために合コンに行って欲しくもない出会いを探し求め続けているのか、下らない口実を付けてわざわざ電話を掛けているのか、いつまでたってもこの緩い関係を断ち切れないのか。全ての元凶であるこいつが、今になって、俺にしとけって、つまり私と世良がそういう関係にならないかってことで。いやいや無いでしょ。そんなのあまりにも、たちが悪すぎる。だって、
「一番最初に振ったのは世良のくせに」
「はあ!?嘘!いつ!?」
「高校の卒業式」
「あ…あれは!ちゃんと返事しただろ!」
「だったらもっとあるじゃん!抱きしめたりキスしたり!でもそれっきりだったから世良は私のこと何とも思ってないって、諦めたのに、今更そんなこと言われたって」
色んな感情がぐちゃぐちゃになってアルコールで緩くなった涙腺が開く。ぼやけた視界の向こうで世良が慌て始めた。渡されたお手拭きで目元を拭うと、黒いアイラインと落ちたマスカラがべっとり付いた。この上なく酷い顔になっているであろう私を笑うことなく、世良は「ごめんな」と呟いた。「いいよ、勘違いした私も悪かったし」両手で顔を覆ってテーブルに肘を付く。
「もう…馬鹿みたい…今まで世良のこと忘れようとして必死に色々やってきたのにさあ…」
「その世良って言うのやめてよ」
「え?」
「卒業式から何ヶ月かして初めて会った日さ、急に名前呼びじゃなくなってて正直すっげーへこんだ」
「えと、じゃ、恭平…?」
「うん」
恭平は嬉しそうに笑って私の手を取った。少し染まった頬に鼓動がだんだん早くなっていく。意思の強そうな、大きな目が私を捉えた。
「俺達、やり直しませんか」
今日からは、恋人として。
あの時と何も変わらない手の平の熱は、とても熱くて、温かかった。
110701