忘れ物を取りに教室の後ろの半分開きっぱなしのドアから中を覗き込むと、幸村精市が泣いていた。幸村精市は一番窓際の自分の机で端正な横顔に夕日を浴びて真っ直ぐ前を見据えて口を引き締め声を上げることもなく目を開いて力一杯泣いていた。ガラス玉のような眼球から涙はどんどん落ちているのに全く充血している様子はなく筋の通った鼻からは鼻水なんか分泌されている気配すらない。同じ人間なのにどうしてこうも違うのだろうか。私はこんなに綺麗には泣けない。絵画のような光景に目を奪われて力の抜けた手に押されたドアが音を立て、幸村精市は別段慌てた様子もなくこちらを見た。

「やあ、君か」

その目からは未だに透明な雫が流れ続けている。気付かれた以上いつまでもここに立っている訳にもいかず、ゆるゆると肯いて出来るだけ静かに自分の机へ向かった。私の座席は幸村精市の隣である。日頃から整理してある机からすぐさま目当てのプリントを抜き取り顔を上げると、幸村精市と目が合った。幸村精市は澄んだ瞳で私を見ていた。

「ねえ」

瞬きをした目を縁取る長い睫を伝った涙が落ちてズボンに濃い染みを作り、角度によって色が変わる深い青の瞳の奥が揺らいだ。

「俺は苦しいんだ」

そして、声を上げる間もなく幸村精市は素早く身を乗り出しプリントを持っている方の手首をつかんできた。真っ白い頬が濡れている。逆光に照らされた姿は美術の教科書で見た彫刻のようだ。「苦しい、」と繰り返して中心に寄せられる眉に私は「そう」とだけ返して手を解き背中を向けた。私のような何の取り柄もない女が下手な慰めの言葉を掛けるよりはその方がいいと思った。何故なら、幸村精市は神の子なのだから。


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