まだ私達が幼かった頃、風介はよく私に人魚姫の絵本を読み聞かせた。私は風介の足の間に座り、何十回と繰り返され先の知れてしまったストーリーに口を出すこともなく、耳元で紡がれる高い声に耳を傾けていた。

「人魚姫は泡になって消えてしまいました」

最後の一文を読み終わると、風介はぱたんと絵本を閉じ、浅い澄んだ海の色をした瞳で私を見つめてきた。そして私は決まってその目を見ながら呟くのだ。「かなしいね」淡い光に包まれて天に昇った人魚姫の絵が、いつまでも頭の中にこびり付いている。



あれから数年、風介はその名を捨てダイアモンドダストのキャプテンになった。一方私はセカンドランクの補欠に入るか入らないかの出来損ないで、風介は文字通り雲の上の人となってしまった。今も、廊下の端で頭を下げる私に向けられる視線は凍てつくほどに冷たい。去り行く背中に何度かつての名前を叫ぼうとも、風介は振りむいてくれないのだろう。私は自分の部屋に戻り、机の一番上の引き出しの鍵を開けてあの絵本を取り出す。お日さま園から連れてきたボロボロの人魚姫。一枚一枚を指先で捲り、最後のページに辿り着いたところで呟く。「かなしいね、風介」


誰かの為に自分を犠牲にするなど、例えそれがどんなに愛した人であろうとも、私には出来るはずがないと漠然と感じたのはいつだったか。何度も愛おしそうに人魚姫の物語を紡ぐ風介にそれを知られたくなくて、私は毎回口先だけの薄っぺらい悲しみの感情を表現していた。たかが一人の男の為に家族までをも裏切って消える人魚姫に対して、可哀相だとか哀れだとか、同情と少しの蔑みを込めた本音の言葉を発して風介に軽蔑されるのが怖かった。「かなしいね」私が言う度風介の瞳は揺れた。
ねえ、風介は私に何を期待していたの。私は人魚姫にはなれないよ。

でも、きっと風介は大切な人の為なら躊躇わずに泡となって消えてしまうのだろう。私はそれがとてもかなしい。光に包まれる人魚姫の上に涙が落ちた。


100903
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