日常非日常

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「テメェら全員そこになおれぇえ!」

黒の教団アジア支部にて木霊する声。
それを打ち消すような笑い声。
何故こんなことになったかと言えば、それは一時間程前まで遡る。





それは気持ちの良い朝であった。といってもアジア支部は地下に位置しているのだが。
そんな早朝にある男は顔面をひきつらせていた。
毎日欠かさず行っている朝の修練の後、洗面台の前に立った時の事である。

「なっ……んだこれは……」

思わず言葉に詰まるほどの衝撃らしい。
それもそのはず、ある男こと神田ユウの頭の上には見に覚えの無い物体がくっついていたのだ。

彼の長い黒髪に馴染む手触りのよい三角形。
時折、彼の怒りに合わせてピクピクと動くソレ。
まあ、所謂“猫耳”と呼ばれる物である。

そう認識した瞬間、神田は本部からアジア支部への引っ越し作業の事を思い出す。
それからは、沸々と沸き上がる怒りを押さえるのに歯軋りをすることになった。

(……ぶっ、殺す)

声にならない殺意を胸に抱いて、彼はそこらへんに放ってあった手頃な帽子をかぶってから長い髪の毛を素早く結わえた。
そして、日頃から胡散臭い笑みを絶やさない眼鏡、ではなく巻き毛、でもなく生粋のシスコンの所へと急いだ。
勿論人目を気にしながら。
元々夜明け前と言うことであまり人はいないのだが。(断じて団員が寝ているからという意味ではなく各々が修練やら徹夜の計算をしているからという意味で。)



神田は室長室の扉を遠慮なく足で蹴り開けた。
寧ろ遠慮など糞食らえというような勢いだ。

「アレ? 珍しいじゃないか、君がここに自分から来るなんて」

今まさにマグカップで珈琲をすすろうとしたような体勢のまま目を見開いて固まったのは、皆から室長と呼ばれるコムイ・リーだ。
ちなみに珈琲は既に空。徹夜明けということが伺える。

閑話休題。

足音を大きくたてながらコムイのデスクに近づき、ガツンッ、という音を鳴らしてそのデスクを足蹴にした。
それに加え、神田は自身のイノセンスであるムゲンをスラリと抜く。

「テメェまた妙な薬作っただろ」

「は?」

「とぼけてんじゃねーよ」

「……えーと」

真っ黒な刀身を向けられたコムイは、降参のポーズをしながら冷や汗を流していた。
彼には身に覚えが無いのだ。
アジア支部に移ってからというもの、色々な調整などで何日かまともな睡眠を取っていないほど忙しい。
その合間を縫って趣味に走る位なら更なる仮眠を取っている。

そんな(一方的な)一触即発の最中、神田が入ってきた扉とは別のドアが開いた。

「あら、どうしたの神田?」

珈琲のおかわりを盆の上に乗せてやって来たのはキョトンとした表情の女性。
教団の二大アイドルの一人、長い銀髪を揺らめかせるスピカが立っていた。
ちなみにもう一人は今しがた刀を向けられているコムイの妹、リナリーだ。

上司が部下に殺されそうな場面であっても慌てない素振りから、こんな光景が日常茶飯事なのがうかがえる。

「……別に」

「そんなこと無いでしょう、コムイさんに武器向けておいて」

そう言いながらスピカは、コムイのマグカップに珈琲を注ぐ。眉間にしわを寄せる事も忘れない。
ちなみにこの瞬間、コムイは今後このマグカップに入ったコーヒーには手を付けない事を誓った。
スピカの作る物は、例えそれが珈琲であっても口に入れられるものではない。
事実彼女の入れたコーヒーは、コーヒーと言うにはかなり黒々しすぎているように見えた。

再び閑話休題。

「しかもその帽子、バク支部長のじゃない。気に入ったからって盗っちゃダメよ」

それを聞いた神田はハッとして、自身が被っている帽子に手をやった。
確かに帽子のてっぺんから紐のようなものがぶら下がっていた。

「どうしたの?イメージチェンジ?」

「……違う」

スピカが来てから急に借りてきた猫のように大人しくなった神田。
猫耳がついている以上洒落にならないのだが。

「……チッ」

居心地が悪いのか、舌打ちを1つして神田は得物を鞘に納めた。
間髪入れずに、今度は神田が入ってきた方の扉が開いた。

「貴様っ、今度はなんの嫌がらせだ! 帽子を隠す、なん、て……」

入ってきたのは今しがた話題に出ていたアジア支部の支部長、バク・チャンである。
自身の帽子が無くなっていて、いつもと違う姿に部下から「ぷくく、帽子(本体)忘れてますよ」と指摘された所なのだ。
若干涙目なのは部下達に弄られた形跡である。
そんな彼は、目の前にその帽子が、しかも意外な人間が被っている事に目を丸くした。

妙な沈黙が流れる中、また新たな来客がやって来た。


「うわ……」

「あれ、何してんさぁユウちゃん」

神田の事を“ユウ”と呼ぶ者は少ない。
自ずと今回の来客者は限られる。
やって来たのはアレンを伴ったラビだ。
アレンはアレンであからさまな不快感を醸し出している。

「つか支部長の帽子ユウちゃんが持ってんじゃん」

「どうしたんですか、イメチェンですか、似合いませんね」

「黙れひょろモヤシ」

スピカとほぼ同じことを言われたのにこの扱いの差。
先程の神田とスピカのやり取りをもしアレンが目の当たりにしていたのなら「依怙贔屓だ」とでも言っていただろう。

「誰がモヤシですかこのパッツン」

「はっ! それしか言えねえのか、語彙力がねえな。流石は栄養不足のモヤシ、脳味噌もスカスカなんだな」

「そういう貴方は髪の毛ばかりに栄養が行って頭の方には栄養が行き届いていなさそうですよね」

「栄養が頭どころか髪の毛さえにも行かないテメェが言えた口か」

帽子の事はどこへやら、二人はいつの間にかお互いの悪口の言い合いになっていった。
それもそのはず、この二人、双方とも相手の事が気に食わなくてたまらないのだ。

ふとそのやり取りを見ていたラビが、良いことを思い付いたと言わんばかりにニヤリと笑った。
そんなことを露程も知らないアレンと神田は言い争いをヒートアップさせていく。





― スポッ ―





「「………………」」

さて、勘が良い方なら既にお気づきであろう。
あれほど言い争いに熱を上げていた神田とアレンが一瞬で黙り込んだのだ。
“何か”があった事は明らか。

長い沈黙が流れた。

「……っ!」

声にならない笑いを一生懸命こらえていた、この沈黙のきっかけであるラビ。
数秒間必死に耐えた笑い声が一瞬漏れた。
それが彼の命を脅かすと分かっていても、それはある意味仕方の無いことだろう。
黒い猫耳が露になった神田がその聞こえるか聞こえないかの笑いを聞き逃す筈もなく、彼は迷わず背後に回って帽子を取ったラビへムゲンの切っ先を突き出した。

「っでぇええ!?」

「今すぐその首さらけ出せこのクソ兎!」

「ユウちゃん落ち着いてくれさ!」

「名前で呼ぶな!」

ギャーワーと再び騒がしくなる室長室。
騒がしくなったことによりアレンも笑いだし、バクに至っては哀れみの目を神田に向けている。
彼もまた、コムイの生成した薬の被害を被った記憶があるのだ。
しかしその騒がしさはある事によって止むことになる。

「神田ユウ!」

途中からずっと黙っていたスピカが、突然叫んだのだ。
それにより、今まで続いていた喧騒がピタリと止まった。

「ここ、座って頂戴」

もし名指しされたのが神田でなくともこの指示に逆らう事などできなかったであろう。
何故かと言えば、スピカの目が若干据わっていたから。彼女のそんな表情など滅多に見れるものではない。

固まった空気の中、神田はラビに押し出される形でジリジリと指さされたソファに近づく。
ゆっくりと神田が座ったのを確認した後、スピカもそのソファに歩み寄り、神田の隣にストンと座る。
次の瞬間、あろう事かスピカは神田の頭の上にくっついている猫耳を両手で握りしめた。

「!?!?」

猫耳といえど神経はちゃんと通っているようで、神田は猫耳を握られた瞬間体を硬直させた。
そんな神田の様子もどこ吹く風、スピカはひたすら神田の猫耳をにぎにぎと触り続けた。

その場にいた他の者達はしっかり見た。
スピカがこの世の中で最高の至福味わっている様な緩んだ顔をしているのを。
悲しいかな、彼女の目の前に座っている神田は猫耳を触られている事により妙な鳥肌がたってそれどころではなかった。
ゆえに、スピカのそんな表情を拝む事は叶わなかった。

「……ぶっ」

「「あっははははははははは!!」」

いきなりアレンが噴出したかと思えば、そこにいた全員が笑い出した。
あのバクでさえ口元を抑えて肩を震わせている。
アレンに至っては「あの神田が! 神田が大人しく撫でられてる!!」と盛大に腹を抱えている。
確かに神田のありさまを見ると、普段懐かない猫が珍しく飼い主のなすが儘にされている図を彷彿とさせる。

しかし、そこまで笑われてなお大人しく座りっぱなしの神田ではない。
徐々に額の血管を浮き上がらせていた神田は、ついに立ち上がり再度ムゲンを構えた。

そして冒頭の叫び声が響くのである。

「まだ立っちゃだめよユウ!!」

しかしそんな神田の反撃も始まる事すら許されなかった。
元来可愛いもの好きなスピカは目の前に“猫耳”等と言う獲物を前にして抑えられるものでもなかった。

今しがた立ち上がった神田を引き戻し座らせてニコニコとしながらまた彼の頭についている猫耳を触るのであった。

今日も今日とてスピカの言う事は逆らえない神田であった。





〜おまけ〜

「あ……これ兄さんの作った薬……」

室長室での事件がある最中、コムイ・リーの妹のリナリー・リーは一人青ざめていた。
一見すると調味料の様に見えるその白い粉、よく見てみるとそれは可笑しな薬をいくつも作り出していた兄の物。
確かこの粉、昨日の夜神田が食べていた蕎麦のつゆにお塩だと思い込み悪戯で忍ばせた気がする。
その後の神田の反応があまりにも無かったのでつまらない思いをしたのを覚えている。

「……」

リナリーは咄嗟にそれを近くにあったゴミ箱に捨てて何食わぬ顔で日常生活を再開させた。
彼女は昨日自分が行った行為を忘却する事に決めたらしい。
こういう所では変に潔いリナリーだった。


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