……暗い世界。


光もなくて、右も左も上も下も分からない…そんな空間。
ただ分かるのは自分がソコに居るという事実だけ。


不意に視界の端で淡い光が見えた。光の方へと顔を向けると暗闇の中でふわりふわりと小さな光の塊が漂っていた。

光の方へと一歩足を動かす。底抜けに暗いのに、石畳を歩いてる時みたいな硬質の感覚が足から伝わってきた。

歩けると判断してしまえば早いもので、気づけば光の方へと足が勝手に動いていた。暗闇だけの空間で距離感なんか無いに等しいけど、少しずつ近づいていく。

初めて光を見た時は小さな塊にしか見えなかったのに、それはどんどん大きくなってきた。違う、大きくなっているんじゃない…私が近づいて行っているだけだ。


……光が輪郭を定めていく。


光の正体は彼だった。
こちらを黙って見つめる彼の表情は、彼の長い前髪に隠れて分からない。



「…スレイン」



名前を呼ぶ。
だけど彼は何も答えない。様子がいつもと違う気がする。

不意に口元が悲しそうに微笑んだかと思うと、彼は背を向けて歩き出した。



「スレイン…?ねぇ、ドコに行くの?」



胸騒ぎがする。収まらないどころかどんどん強くなっていく、何で彼は答えてくれないんだろう。



「…スレイン、スレイン!」



普段出さない様な大声で彼の名前を叫ぶ。

いつもの彼なら何事かと慌てて私の傍に駆け寄って来てくれるのに。今の彼は何の反応も示さずに歩みを止めない。



「スレイン!待って…行かないで、スレインッ!」



必死になって名前を呼んで、少しでも彼に追いつこうと走っても距離は縮まるどころか開いていくばかり。


……一瞬、彼の背中に何かが重なって見えた。


そう、アレは小さい頃に居なくなってしまった父の背中。

大きくて、

温かくて、


もう会えない、お父さんの…。



「…いやっスレイン、行かないで…置いていかないで!」



―お願いだから、

―居なくならないで、



「わたしは、まだ―…」



―この気持ちをまだ、

―伝えてないの…



突然彼の体が暗闇と同化し始めた。少しずつ、だけど確かに彼は闇の中に溶けていく。

それなのに彼は足を止めない。
まるで闇に消えていくのを受け入れるかの様に。



「―…スレイン!!」



体のほとんどが闇に包まれた彼が振り返る。そして口元が微かに動いた。



さようなら…モニカ



私の耳にその言葉が届いた時には、彼の体は完全に闇へと消えていた。


――――…

―――…

――…

―…




声にならない悲鳴を上げてモニカは飛び起きた。汗が勝手に頬から滴り落ち、心臓は早鐘の様だ。

呼吸も落ち着かないまま辺りを見渡す。

今日泊まっている宿屋の部屋が四人部屋一つしか空いておらず、パーティ全員で同じ部屋で寝る事になっていた、ハズなのにベッドが一つもぬけの殻になっていた。ソコに寝ていたのは―…



「スレイン…ッ」



瞬間、さっき見ていた夢と現実がリンクする。


暗闇に消えていく彼、そして別れの言葉。


一気に血の気が引いていくのがモニカにも分かった。気づくと慌ててベッドから下りてドアへと駆け出していた。

いつものモニカならば寝息をたてている仲間達を起こすまいと、こっそり行動する。だが今のモニカにそんな配慮をする余裕なんてなかった。
眠りが深かったのだろう、幸い仲間達は目を覚まさなかったが。


モニカはドアを開け放つとスレインの姿を探して闇雲に走り出した。


――――――――――――――


夜空を仰ぎ見る。

昼間に通り雨が降っていたせいだろうか、本来ソコに居るハズの星達の姿は全くと言っていい程見えなかった。

それでも彼は…スレインは夜空から視線を下ろそうとしない。



星が見えない夜空。

光が見えない暗闇。



……自分が還るべき所はこんな風なのだろうかと思い、重ね合わせてみる。
重ね合わせて何をしたいのか、何を考えたいのかなんてスレインにも分からなかった。


命のタイムリミットは後僅か。
みんなと一緒に居られる時間も後僅か…。

彼女と居られるのも、もうー…



「…ん?」



不意に背後にそびえ立つ宿屋の方から物音が聞こえた。その音の正体は誰かが階段を駆け下りている音らしい。

スレインは振り返って宿屋の方を見つめた。
こんな時間に物音を気にせず階段を走って下りるだなんて何かあったのだろうか。何かあった時の為にリングウェポンを嵌め直す。


階段を下りてきた音が今度はスレインの方に…玄関の方に近づいて来る。

そして、玄関のドアが開け放たれる。

その先に居たのはスレインのよく知る少女だった。



「……モニカ?」



名前を呼んでスレインは違和感を感じた。

まず最初に感じた違和感は格好だった。
夜更けの肌を突き刺す様な寒さの中で少女は部屋に備え付けてあったコートも羽織らず、挙げ句に靴すら履いていない。裸足のままだ。


次に感じた違和感は少女の顔。
今にも泣き出しそうに瞳に涙を溜めているのに、その瞳はどこか虚ろなのだ。

まるで白昼夢でも見ているかの様に…。



「……スレイン…」



モニカの虚ろな瞳がスレインを捉えた。次の瞬間、モニカの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

何事かとスレインが慌てて足を動かすよりも先にモニカが駆け出し、そのままスレインの胸の中へと抱きついた。



「お、おいっ…モニカ?」



突然の事に顔面温度が上がっていくのを感じるスレインだったが、モニカの様子がおかしい事に気づくと頭が妙に落ち着いていくのが分かった。


…何かあったんだろうか?

今スレインの胸の中に居るモニカは抱きついていると言うよりもしがみついている、と表現する方が正しかった。

それは、迷子になった子供が親兄弟を見つけてそうするのに似ていた。


何があったかは分からない。
ただ、部屋に誰かが入って来て乱暴をされたのでは無いとスレインは確信している。

あの部屋にはモニカの他にヒューイと弥生、ラミィが居た。ヒューイと弥生は精霊使いだから何か有れば精霊達が二人を起こしてくれるハズ。
そう考えておかないと頭がおかしくなる。なんでそう思ってしまうかなんて考えたくない、自分の気持ちになんて気づきたくない。



「どうしたんだ?モニカ」



自身が羽織っていたコートをモニカの肩にかけながら、スレインは優しい声音で訊ねてみる。

しかしモニカは首を横に振るだけで何も答えようとはしなかった、。これにはスレインも困り果てて内心溜め息を溢す。


だが、いつまでもこのままで居る訳にはいかない。
なによりスレイン自身が夜更けの寒さに耐えきれなくなっているのだ、モニカがくっついてくれている部分は温かくても他の大半は寒い。


名残惜しいなんて感情を捨ててスレインはモニカの腕を引き剥がすと、モニカが裸足だったのを思い出してそのままひょいっと抱き上げる。

いつも一緒に旅していてモニカは軽いんだろうなぁ、なんて思っていたがその通りだった。
まさかこんな形で実感する事になるとは思ってもみなかったスレインである。



「とりあえず部屋に戻ろう、外は寒いよ」



相変わらず返事は返って来ず、代わりに頭にしがみつかれた。これでは年相応と言うより幼児退行だな、なんてスレインは感じたが口には出さず玄関をくぐった。

部屋に着くまでの間もスレインは何度か声をかけてみたが、モニカからの返事は一度も返っては来なかった



……さて、部屋に戻ってみたスレインだったがやっぱりモニカは離れない。仲間達が寝ていてくれて良かったと本当に思うスレインだった。
こんな姿は見られたくないし、モニカも多分見られたくないだろう。

どうしょうか悩んだ結果、モニカが使っていたベッドに近づき彼女を下ろすとそのまま横に寝かせてあげた。そしてスレインはそのベッドの縁に腰を下ろし、モニカの頭を撫で始める。



「…何があったかは知らないけどさ、もう遅いし眠った方がいいよ」



モニカが静かに瞳を閉じる。そのまま小さく溜め息を吐くと、やっと口を開いた。



「……さっき、夢を見たの…」
「夢?」
「…スレインが……居なくなる、夢…」



スレインの手が止まる。
それに気づいているのかいないのか分からないが、モニカは言葉を止めなかった。



「…くらい、暗闇の中にいて……なにも見えなくて…。そのまま立ってると光が見えて…近づいていくとスレインだって分かって、名前を呼ぶのに……スレインはなにも答えてくれなくて…わたしを置いてドコかに歩きだすの…」



光が見えない暗闇。

彼は思った。
それは正に俺が描いていた輪廻の向こうの世界ではないかと、決して口には出せないけど。

空いている手でスレインは自身の左胸の辺りを強く握り締めた。心臓がバクバクと暴れている、あぁ俺はまだココに居るんだと無条件に理解させられる。



「わたしね…走っておいかけるの、何回も名前を呼びながら……でも全然ふり向いてくれなくて。そしたらスレインの体がね、どんどんやみの中に消えていって…さいごに言うの『さよなら…モニカ』って…」
「……そっ、か…」



やっと出来た返事はあまりにも情けない声で、スレインは自分でも震えていると分かった。

それを気にも止めずモニカは頭に添えられたままだったスレインの手を両手でギュッと握った。まるで離したらドコかに行ってしまうと信じているかの様に。

モニカのどこか虚ろな瞳がスレインを捉える。



「……スレインはドコにも行かないよね?お父さんみたいに、わたしを置いて…いかないよね?」



普段決して出さないモニカのすがる様な声に、スレインは咄嗟に返す言葉が出てこなかった。

俺は旅が終われば居なくなるのだと、本来居るべき輪廻の輪に戻るのだと言えるのならばどれだけ楽になれるだろう。

このまま事実を包み隠さずに彼女に伝えてしまえるのならば、彼女を置いていく後悔や懺悔や黙ったままでいる辛さから逃げられるのにと。


だけど、そんな事は出来ない。


彼女はきっと恐れているのだ、再び置いていかれる事を。

彼がかつての父親の様に、突然居なくなってしまうのを。


まるで今の彼女は父親が急に居なくなって寂しいとか不安とか悲しいとか…そんな負の感情の渦に呑み込まれた当時の幼い彼女の様だ。さっきまるで幼児退行だと感じたのはソレがあるからかもしれない。


だけど一つだけ確かに分かる事がある。
今の彼女に事実を伝える事は出来ないと。

彼女はきっと自分に父親の姿を重ね合わせているのだ。また彼女の前から“父親”が居なくなる訳には行かない、それが例え後僅かな間でも。

……それが“父親”の代わりであっても、モニカが俺を求めてくれるなら。そう考えてしまう俺を君はどう思うだろう?



「………俺は、居なくならないよ」



君が望むなら俺が消える最後の時まで…決して口には出せないけど。



「…ほんと?」
「あぁ、もちろん」



スレインは微笑んでみせたが、ちゃんと笑えているかは分からない。しかし今のモニカにはそれが分からなかった。

モニカはスレインの手から両手を離すと安心したのかゆっくり息を吐き、そのまま瞳を閉じる。
スレインが促す様に頭を撫でてやると、少ししてモニカは穏やかに寝息をたて始めた。



「……ごめんな、モニカ…」



嘘吐いてごめん、少しの涙と共に溢れたスレインの言葉は眠りに落ちたモニカには届かなかった。



(重ねた背中)


今は亡き父親と重ねた背中、

大切な存在の為に重ねた嘘、


……重ならない二人の気持ち

・End・


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すれ違う気持ちを書きたかったハズだったのにね←