夕方の風景 - 1/2
side. O
「ただいまー。…あれ?誰もいねーのか…?」
ウッド・デッキで昼寝をしていたら、少し遠くからそんな声が聞こえたような気がした。
「……ん?翔くんか…?」
重い瞼をやっとのことで開けると、閉じる前とは違うオレンジ色の空。 その色と少し冷たい空気を感じて、時間の経過を知る。 夢と現実の狭間にいるような感覚を楽しんでいると、リビングの扉が開く音がした。
「あっ…。なんだ、いるじゃん」
「んー…。やっぱ翔くんか。おかえり〜」
「うん、ただいま。杏奈たちは?まだ帰ってないの?」
ようやく体を起こし、伸びをしながら出迎える。 すると、大きめのバッグを2つソファに置きながら、翔くんが俺にそう訊いてきた。
「うん。まだ。…というより、翔くんが早いんだよ。今日は。珍しいね?」
時計を見ると、16時半。 仕事柄、翔くんの帰宅時間は他の4人に比べると格段に遅い。 大抵は19時を過ぎるし、夜勤明けの時ですら夕方近くだったりする。 だから、この時間に翔くんが家にいるのはちょっと不思議だ。
「ああ、GW中もずっと仕事してたからね。なんか気ぃ遣ってくれたみたいで。今日は引き継ぎも早く終わったし、この時間に帰れたんだ」
「へぇ。そっか。良かったね」
「うん。…つーか、たぶん俺が思うに、」
『ただいまーっ!!』
「あ…」
翔くんの声をかき消す、元気な声。 すぐにバタバタと足音を立てて、さっき閉められたばかりの扉が開かれた。
「んふふ…。おかえり、杏奈」
「おかえり」
『うん、ただいまー、…って、翔ちゃんがいる!びっくりした。なんで?早くない?今日』
「俺と同じこと訊いてる…。翔くん、今日は早く帰らせてもらえたんだってさ」
『へぇー。良かったね!…まだ、雅兄ぃは帰ってきてないの?』
「うん。今は、まだこの3人だけ」
リビングを見回して、雅紀がいないのを確認するように杏奈が訊く。 俺がそう答えると、笑顔が弾けた。
『やったぁ!翔ちゃん独り占め!!ね、翔ちゃん。潤くんに買っておいてって言われたものがあるから、一緒に買い物行こ!』
「独り占めっつーか、ただの利用じゃん、それ…。まあ、いいけど。智くんは?行く?」
「んー…。俺はいいや。いつも杏奈と行ってるし。今日は2人で行ってきなよ」
そう。買い物は基本的に俺と杏奈の役目。時々、そこに雅紀も加わる。 翔くんは独り占めという言葉を本気にしていないけど、俺は本音だと思う。 だから、雅紀がいないのを確認して喜んだんだ。雅紀がいると、“翔ちゃん!翔ちゃん!”と言って独占されるから。
「そ?じゃあ、さっさと行ってくっか。…何買うの?」
『えっとねー…』
翔くんが訊くと、杏奈がケータイを取り出して潤からのメールを確認する。
『バターでしょ。それに、パルミジャーノチーズ』
「パルミ、…はあ?」
『それに、オリーブ・オイルが切れてたから、ついでに買ってきて欲しいって。…今日はラザニア作るみたい』
「うまそーだな…。んふふ」
「へー。でも、ラザニアって時間掛かりそうだな。…大変じゃね?」
『でも、ソースだけは今日の朝に仕込んでたよ?潤くん』
「さすが、潤…。まあ、とにかく買ってくるか。杏奈、行こ?留守番よろしくね、智くん」
「うん。いってらっしゃーい」
2人の背中を見送ると、エントランスの方で杏奈の“翔ちゃん、ついでにケーキ買って!”という声が聞こえた。 そのおねだりに返す言葉は先に扉が閉まってしまったから聞こえなかったけど、たぶん翔くんのことだから買ってくると思う。 俺や雅紀が杏奈を怒ることが少ないせいか、潤や翔くんは意識して注意をしたりするけど、何だかんだ言って甘いのを俺は知ってる。
「今日の夕食後のデザートはケーキだな…。んふふ」
そう呟くと、またウッド・デッキの上で横になる。 オレンジ色の空に浮かぶ雲が形を変えていくのをずっと見ていると、時間が進んでいるということを忘れてしまう。 そのせいか、リビングに向かって来る足音に、すぐには気付けなかった。
「あれ、兄貴だけ?杏奈はまだ帰ってきてないの?」
「あ、潤か…。おかえり」
「ただいま。…てか、このバッグって…。もしかして、翔くん帰ってきてんの?」
ソファに置いてある翔くんのバッグを見て、潤が言う。 チェックのシャツにジーンズ姿の潤は、さすが美容師という感じで、自分の弟ながらカッコイイなと思う。
「うん。今日は早めに帰って来れたみたい。今は杏奈と一緒に買い物に行ってる」
「へー。珍しいね?俺も今日はラザニア作るから、早めに帰って来たつもりだったんだけど」
そう言いながら、冷蔵庫の中身を確認する。 キッチンは潤の居場所という気持ちがどこかにあって、誰も積極的にそこに立とうとはしない。 時々、杏奈が手伝うのを見るぐらいだ。 たぶん、潤がいなくなったら、食事は外食ばっかになるだろーなぁ、俺たち…。
そんなことを考えていると、エントランスから賑やかな声がした。 やっと5人全員の声を聞いたからか、潤が部屋の灯りを点けたからか。 分からないけど、自分の中でようやく時間が進み始めた気がする。
「たっだいまー!」
「ただいまー」
「おかえり」
「あ、雅兄ぃと和も帰って来たんだ。おかえり。一緒だったの?」
2人一緒に帰って来た、雅紀と和。 たぶん、テンションが上がっちゃった雅紀が和のいる稽古場まで迎えに行っちゃったんじゃないかなー、と俺は思うんだけど…。
「マジ最悪。この人、また稽古場まで来てさー…。うるさいし、急かすしで、本当に迷惑」
「あ、やっぱり…」
「あれっ?翔ちゃん帰ってきてるの?!もしかして」
さっきの潤と同じように、ソファに置かれたバッグを見つけて雅紀が反応する。 その声につられてか、和もソファを見た。
「うん。今日は早く帰れたみたい。…あ、そういえば…」
“…なんか、さっきから同じこと言ってる気がすんなぁ”
そう感じた瞬間、杏奈が帰ってくる直前に翔くんが言おうとしていた言葉を思い出す。 遮られた言葉の続きは何だったんだろう。
「ん?どうしたの、さと兄ぃ」
「いや…。翔くん、なんか言おうとしてたな、と思って。早く帰って来れたことについてだったかは分かんないけど…」
「ふーん…」
「ひゃひゃ!ま、別にいいじゃん!杏奈は?もしかして翔ちゃんと一緒?」
「買い物?」
「そう」
雅紀と和に訊かれて、答える。 同じ質問ばかりのせいか、その返しも徐々にシンプルになってきたような気がした時だった。
「ただいまー」
『ただいまー!』
「あっ。杏奈〜!翔ちゃ〜ん!おかえりー!」
買い物を終えた翔くんと杏奈がリビングに入ってくると、雅紀が元気よく出迎える。 それに続いて、潤も和も“おかえり”と声を掛けた。
『ね!見て、見て!翔ちゃんにケーキ買ってもらっちゃったー!』
「マジで?やったね、杏奈!!」
「あ。ここのケーキ、この前テレビで取り上げられてたとこじゃん。高かったでしょ?翔くん」
「だって、杏奈が行く前からうるせーんだもん。夕食の後にみんなで食べよ?」
「んふふ…。やっぱり、翔くん買ってあげたんだ」
予想通りの翔くんの行動に、思わず笑みが零れる。 キッチンの傍らでは、箱を少し開けて雅紀と杏奈が、“俺、これがいいなー”、“だめ!それは私の!”なんて言い合っていた。 そして、その様子を見兼ねた潤が、“いいから早く冷蔵庫に仕舞えって!”と注意をして、翔くんが笑う。
いつもだったら、こんな光景は早くても20時を過ぎないと見られないのに。 やっぱり全員揃った時が、一番時間が進むのを感じられる。
「で?…翔ちゃんが早く帰って来れた理由ってのは、何なの?」
「え?俺?」
ずっと雅紀たちの様子を呆れながら見ていた和が、置き去りにされていた密かな疑問を翔くんにぶつける。
「そーいやー、そういう話してたね」
「そういえば!翔ちゃん、なんで!?」
『?』
「は?だから、引き継ぎがいつもより早く終わって…。え、何?」
何が何だか分からなくなっている翔くんが、俺に答えを求めるような表情を向ける。 その隣では、杏奈も杏奈で不思議そうな顔をしていて。
「あ…。杏奈が帰ってくる直前、何か言おうとしてなかったけ?翔くん。その話してたの」
「ああ…」
『何!?全然意味分かんない!』
「なんか他に心当たりがあんの?翔ちゃん。早く帰れた理由」
「んー。たぶん…、」
和の質問に、翔くんの視線は僅かに宙を彷徨う。 そしてしばらくした後、俺と雅紀と杏奈を見て、ふっと笑った。 それを見て、雅紀が“えっ、何?”と同じように、俺たちを見る。
「…たぶん。たぶんだけど。俺が思うにさ…、」
「何、翔ちゃん?」
「ははっ…」
『笑ってないで、早く言ってよ!気になる!!』
「ゴメン。これは完全に俺の想像でしかないんだけどさ」
「うん?」
「GW中に、3人が俺のところに来たからだと思うんだよね。今日、早く帰れた理由って」
「「『え?』」」
思わず、声を揃える俺たち。 和と潤は、“そういうことか”といった風に、呆れてため息をつく。一方で翔くんは楽しそうだ。
「…智くんに言ったじゃん?“気ぃ遣ってくれたみたいだ”、って。たぶん、3人がGW中に来たのを見て、“悪いことしたな”って思ったんじゃないのかなー、って俺は考えてるんだけど」
『あの、お仕事訪問ツアーのおかげで?』
GW中、休みが全く合わなかった俺たち。唯一揃ったのは俺と雅紀と杏奈だけ。 余りの退屈さに翔くんの仕事場へ、お弁当を持って遊びに行ったのだ。 まさか、それがこんな結果を作るとは思わなかったけど…。
「いや。“おかげ”じゃないでしょ。つーかやめろよな!その超迷惑なツアー」
『いーじゃん!別に!』
「ねー!そうだよ!こうやって、みんなで揃って早い時間に夕食を食べられるんだから、結果オーライ!つって!ひゃひゃひゃ」
「ははっ。ま、そういうことにしとくよ。俺も久しぶりに早く帰れて嬉しいし」
「翔くん、甘すぎ…。たぶん、またこの3人病院に邪魔しに行くよ?」
「あーあー。翔ちゃん、ご愁傷さまー」
「おい!おかしーだろ、それっ!」
――― やっぱり、こういう瞬間が1日の中で一番好きだなぁ。俺。
夕食の準備をしつつ、呆れたように注意をする潤。 雅紀と杏奈を相手に、からかうようにツッコミを入れる和。 そしてそれを見て、楽しそうに笑う翔くん。俺も一緒になって笑ってしまう。
「んふふふ…」
賑やかな空間。やっぱり、それはこの6人だから作られるもの。 時間が進むのも、異様に早く感じられる。 気付けば、外はもう暗くなり始めていた。
「………」
そうやってウッド・デッキの向こう側を見つめていると、杏奈が仕舞われたと思っていたケーキの箱を持って、俺にこう訊く。
『ね、智くんはどのケーキがいい?』
明日も、明後日も、ずっと。
こんな風に、時間が進んで行きますように。
「んふふ。ショートケーキ」
End.
→ あとがき
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