“いつか”の雛祭り - 1/2
side. O
焼き上がった桜のシフォンケーキを、しっかり箱に入れる。そして、店の中と厨房の諸々のチェックをした後、その箱を持って入口から出た。 外は、昨日は珍しく雪が降っていて寒かったのに、今日はコートを着る必要もないぐらい暖かい。 思わず、その暖かい日差しと青い空のせいでのんびりしちゃいそうだけど、そんなことをしてる場合じゃない。早く鍵を閉めて、家に戻らなきゃ。
「あ、兄貴」
「ん?…あ、和?」
箱を抱えたまま、もう片方の手でポケットの中の鍵を探っていると、声をかけられる。 振り向くと、滅多にこの場所では出会うことのない弟の1人である和が、少し先から通りを歩いて来ていた。 和のロングカーディガンという薄手の格好から見るに、やっぱり今日は誰にとっても暖かい日みたいだ。
「珍しいね。帰り?今日はもう稽古終わったの?」
「うん。それに雅紀からメールあって、買い出し頼まれてたから、早めに切り上げてきた。…てか、あなただって珍しいでしょ。この時間まで店開けてたの?まさかとは思うけど」
「んなわけねーじゃん。だって今日、土曜だぞ?」
「…普通、土曜だからこそ、商売に熱心になるべきなんだからな?一応言っておくけど」
和の言い分は俺にはよく分かんないけど、確かにこの時間に店にいるのは珍しいことだと思う。だって、時間はちょうど15時。 いつもだったら、途中でだるくなってきちゃって、パンを売り切ってなくても店仕舞いしている頃だ。しかも、15時よりずっと前に。 でも、だからといって今の今まで店を開けてたわけじゃない。持っていた箱に気付くと、納得したように和が言う。
「それ、もしかして杏奈に頼まれてたやつ?」
「うん。桜のシフォンケーキなんて作ったことなかったから、ちょっと時間かかったけど…。家では潤と杏奈がキッチン使ってるから、店で作ってたの。昼飯は、みんなと一緒に家で食べて、それからまたここに来て、それで……あれ?」
「?」
「ちょ…、和、この箱持ってて?鍵が見つかんねぇや」
「無理。俺だって、これだけの量の荷物持ってんの分かるでしょーが。俺、先に家帰ってるから、ゆっくり鍵探しなさいよ」
「え!?…ちょ、か、和!」
そう言って、中くらいの紙袋を提げながら、俺を無視して、スタスタと家の方へ歩いて行ってしまう。 あっと言う間に和の姿は見えなくなり、仕方なく、もう一度店の中へ入って箱を置き、鍵を探す羽目になった。…つーか、荷物も軽そうだったし、片手空いてたじゃんかよ!
「あ、あった!」
程なくして見つかった鍵は、着ていたパーカのポケットに入っていた。杏奈が付けてくれたキーホルダーが引っ掛かっていたらしい。 大急ぎで扉の鍵を閉め、ふわふわのシフォンケーキの形が崩れないように、大事に抱えて、家までの道を出来る限り早く走る。 約10分間、途中で会ったご近所さんに挨拶をしながら走っていると、俺たちの家が見えた。そこでは、雅紀と杏奈の元気に歌う声が外でも聴こえて、思わず笑顔になってしまう。
それは、今流行りの邦楽でも洋楽でもない、余りにも昔から慣れ親しんだ童謡だ。
「『“あかりをつけましょぼんぼりに〜、お花をあげましょ桃の花〜”!』」
「あ…そういえば、桃の花買うの忘れた…」
――― 今日は3月3日、雛祭りの日だ。
最初は縁のない行事だった雛祭り。それも当然のことで、兄妹6人の内5人が男だから、仕方ないっちゃ仕方ない。 それに俺たちには母親はいないも同然だし、一緒に父親の家に住み始めた頃は、行事を教えてくれるはずのその父親も、不在が当たり前だった。 よって、俺たち男5人に雛祭りというイベントを知る術はなく、祝う機会もなかったのだ。 ……まあ、お互いを知ることだったり、出来る限りお手伝いさんに頼らないように必死だったりしたから、そもそも当時、余裕なんて無かったんだけど。
でも、変化が起きたのが、杏奈が小学生の頃。 クラスの女の子に雛人形を自慢されたのが悔しくて、杏奈が泣きながら帰って来たからだった。
「…いや、完全に泣いてはいねぇか。家に着くまでは、泣かないように頑張ってたみたいだし」
そんな独り言を呟きながら、今度は来た道を戻って、花屋まで走る。箱は大事に抱えたまま。 再び思い出すのは、雛祭りをやるきっかけになった、あの日のことだ。
家に着いた途端泣き出した妹に、俺たちは大慌て。理由を聴いても、男の俺たちには理解出来るような、出来ないような。 それでも何とかしてあげたくて、それぞれが必死になったのを覚えてる。 翔くんと和は、雛祭り用のお菓子を急いで買ってきたし、潤は料理本を見ながら、ちらし寿司を作った。たぶん、潤が料理を担当するようになったきっかけの一つが、この時だ。 雅紀は雅紀で、涙が止まらない妹を、自分もなぜか涙目になりながら一生懸命になだめ、歌をうたっていたと思う。
「あっ、おばさん!桃!…はぁ、…桃の花!…桃の花、ちょうだい!」
花屋に着いての、第一声はこれ。ずっと走っていたせいか、息が切れた。 でも、俺たちの毎年のてんやわんやぶりを覚えてくれていたのか、花屋のおばさんが品切れ寸前の桃の花を、取っておいてくれていたのが嬉しい。 おまけに手作りの桜もちまで貰うことが出来て、思わず、おばさんとハイタッチをした。きっと、みんな喜ぶ。
「ただいま〜!」
『あ!智くん、おかえり!遅かったね?』
また、約10分かけて家に戻ると、杏奈がそう言って出迎えてくれる。 家の中は、潤が作ってる雛祭り料理のおかげで良い匂いがしていて、それなのに外と同じ空気がするのは、雅紀がウッドデッキへの窓を開放しているからだ。 そして、俺よりも遥かに先に帰ってきていた和は、杏奈と一緒に、雅紀に頼まれていたという雛あられを、ミニちゃぶ台の上の雛人形の前に飾っていた。
――― 俺が、作った雛人形の前に。
「つーか兄貴、なんか荷物多くない?シフォンケーキはともかく、桃の花も妙に多いし」
「花屋のおばさんが、残ってた分全部くれたの。これは、そのおばさんが食べて、って」
『わぁ〜!桜もち!和兄ぃ、これも一緒に飾ろう?』
「バカ。それ、明らかに手作りで生ものでしょーが。冷蔵庫に入れときなさい」
『ええ〜?でも、』
「でも、じゃない。早く」
『…はぁ〜い』
そう言って、渋々と杏奈が冷蔵庫の中へ桜もちを入れる。 でも結局、入れる直前に雅紀と、“美味しそうだね”なんて箱を開けてクスクスやってるもんだから、潤と和からまた注意を受ける羽目になるのはいつものことだ。 桃の花を用意しておいた花瓶に活け、雛人形の隣に置くと、杏奈がいつの間にか隣に座って一緒に見ている。
『ふふ。今年も、きちんとこの雛人形出せて良かった』
「んふ…。でも、ちょっと色が取れてきちゃってるから、仕舞う前に直しとかないとね」
この雛人形は、あの時泣いた杏奈の為に、俺が作ったもの。紙粘土で作ってあって、その場凌ぎにも程がある代物だ。 でも、杏奈は喜んでくれたし、その後も綺麗な雛人形は買うことなく、我が家では、この俺の作った雛人形が毎年お目見えしている。 一応、仕舞う度に改良を重ねているから、当時のものとはまたちょっと違うけど、それも含めて、杏奈は大事にしてくれていた。
そんな変化が起きたあの日から、雛祭りは全員が他の行事と同じくらい、全力投球。 今年もその気合いは十分過ぎるほどで、たぶん他の家から見たら、誰かの誕生日なのかな?と勘違いするレベルだと思う。
「…あれ?翔くんは?」
『ああ、翔ちゃんは今…、』
昼飯を食べていた時はいたはずなのに、今はどこにも姿が見当たらない。 ダイニングテーブルに、難しそうな医学書やノートパソコンが置いたままにされているのを見て、そう訊いてみる。 でもその時、杏奈が答える前に、2階の方から扉が開く音が聴こえ、翔くんが自分の部屋に居たことが分かった。
階段を下りてくる翔くんと目が合ったのも束の間、すぐに、俺と杏奈の目の前にある桃の花に気付き、楽しそうに声をあげる。
「おお〜!なんか、いきなり“らしく”なったなぁ〜!智くんが買ってきたの?」
「うん。…翔くん、2階にいたみたいだけど、どうかしたの?」
「え?ああ…ちょっと、入院してる俺の担当の子供が、熱出たみたいで。それで電話かかってきてたの」
『! 、翔ちゃん、病院に行かなくちゃいけないの?もしかして』
「や、大丈夫。当直医はいるし、きちんと支持は出したから」
「そっか…。良かったね、杏奈」
『ふふ。うん!』
杏奈と2人で笑い合っていると、今度は翔くんが雅紀と一緒に、潤の料理に歓声を上げる。 春らしい色合いのちらし寿司や菜の花のおひたしは確かに美味しそうだし、えびのすまし汁も良い匂いがした。
「うまそ〜!これで全部?」
「や、もうちょっと他にも作る。雅兄ぃも、そろそろバーベキューコンロに火点けておいていいよ?」
「オッケー!和も手伝って!」
「は〜?マジかよ…」
そう言いつつも、雅紀と一緒に素直に作業をする和が、こっちの4人は面白くて仕方ない。 朝から雅紀がウッドデッキを掃除していたのは、バーベキューコンロでハマグリを焼く為。 雪が降っていた昨日はどうなることかと思ったけど、未だ続く暖かい空気に、雅紀のテンションが上がっちゃうのは、もう仕方のないことだ。俺だって眠くなるぐらい気持ちいいもん。
でも、しばらくして翔くんが再びノートパソコンをいじろうとすると、杏奈が思い出したように調べ物をお願いする。 何でも、昨日学校の友達から教えてもらった、雛祭りのジンクスというか、言い伝えというか、それが本当なのか気になっているらしい。 俺同様、訳が分からないなりにも、ちゃんと調べてあげようとしているのが、なんというか翔くんらしいな…。
「はあ?なんだよ、雛祭りのジンクスって?」
『雛人形出しっ放しだと、お嫁に行くのが遅くなるって本当!?』
「「「「「!!?」」」」」
『昨日、友達がそう言ってるの聴いて、ビックリした!嘘だよね!?』
杏奈の突然の質問に、一瞬何がなんだか分からなくなった。 翔くんの隣に座り、杏奈がその腕を揺らすけど、示し合わせたように視線を合わせる俺たちには気付いていないらしい。
でも、杏奈がその情報を聴いて焦るのはもっともだった。 なぜなら、俺の作った雛人形が愛しすぎて、3月3日を過ぎてもしばらくは飾ったままにしていたから。1年にたった一度の登場が、少し寂しかったらしい。 本当言うと、そういう話しがあるのは俺たちも知っていたんだけど、杏奈が余りにも喜ぶから言えなかったんだよね……っていうのは、言い訳になんのかな、これ…。
そんな風に、真実を伝えるか伝えないか迷っていると、気まずい沈黙を潤が破ることにしたらしい。 …なんか、俺としては納得いかないんだけど。
「いや…っていうか、兄貴が作った雛人形に、普通の雛人形と同じ力があるわけないと思うんだけど、俺」
「え…」
「ふはっ!確かに!」
「ひゃひゃひゃ!そうだよ、杏奈!それに、そんなお嫁に行くとか行かないとか、今言われると、俺が泣きそうになっちゃうからやめよ!?ね!?」
『ええ〜?でも、昨日から気になってて…、』
「今更気にしても仕方ないでしょーが。お前、どれだけ雛人形飾ったまま、今日まで生きてきたと思ってんのよ?もうどっちにしろ、手遅れ。だから諦めて、ハマグリ焼くの手伝いなさい」
杏奈だけじゃなく、俺までが納得いかないまま終わる、雛祭りの真実。 “手遅れ”という言葉にショックを受けつつも、杏奈はすぐに雅紀と和の、誰のハマグリが一番早く開くかというゲームに惑わされ、忘れてしまったみたいだ。 すると、もやもやしてる俺を見兼ね、翔くんが“一応調べてみたけど、どっちにしろ迷信みたいだから大丈夫だよ”と言ってくれる。
「…なんだ。俺の作ったやつとか、関係ねーじゃねーか!」
「はははは!まあ、そう怒んないでさ?潤の料理も出来たみたいだし、俺たちもハマグリ焼こ?」
そう言って、潤の作った料理を翔くんと一緒に、ウッドデッキまで運んでいく。 律儀な潤は、きちんと全員分のアイスティーも用意してくれて、あっと言う間にテーブルは華やかになった。
『あっ、私のハマグリ、もうすぐ完全に開きそう!』
「いや、俺の方が絶対に早いんで。んふふふ」
「え、ちょ…俺のハマグリ、全っ然開いてくれないんだけど、なんで!?」
「だって雅兄ぃ、そこ、全然火付いてないもん」
「へえっ!?マジで!?」
「はははは!凡ミスにもほどがあるだろ、それ!」
季節としては、少し早いだろう、外での食事。確かに気温は高めだけど、この空間が暖かいのは気温のせいだけじゃない。 女の子限定の雛祭りという行事が、いつからか我が家では恒例のものとして定着したことを考えると、思わず笑いそうになる。 だって、男が5人もいる家でここまで盛り上がるって、やっぱりなんか変だもん。
「んふ…」
でも、だからこそ気になるのは、さっきの話し。 こうやって俺たちとハマグリ焼いて楽しそうに笑ってる妹が、いつかお嫁に行っちゃう日が、雛祭りのジンクス関係無く、本当に来るのかな? 今日必死に桜のシフォンケーキを作ったことも、桃の花買いに走ったことも、一緒に俺の作った雛人形見て話したことも。 それが全部、いつか過去の思い出になるかと思うと、ちょっと寂しくなる。…もちろん、俺たち全員、永遠にこのままじゃないのは分かってはいても。
ただ、俺のそんな言葉に、聴いていた翔くんが返してくれた言葉は、ちょっと面白いな、と思ったけど。
「長男のあなたが結婚しないんだから、俺たちも杏奈も、結婚出来ないでしょ」
そんな、今年の雛祭り。
長男で良かったと、初めて思ったかも、俺。
End.
→ あとがき
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