5月の白昼夢 - 1/2


side. O



昼飯も食べ終わり、穏やかな空気が流れる、午後2時半。
初夏もそこまで近づいているような暖かさは、ウッドデッキで昼寝をするには持って来い。時折吹く優しい風も、木漏れ日も、何もかもが気持ち良くて仕方ない季節だ。



「どうっすかな〜…。杏奈、何か食べたいのある?」



目を閉じて白昼夢に浸る準備をしていると、リビングよりももっと奥、キッチンの方から潤の声が聴こえてくる。
雑誌か何かのページを捲るような音もするから、きっと潤の居場所の一つでもあるキッチンカウンターに着き、レシピ本でも見ているんだろうな、と思う。
2時間前に昼飯は食べたばかりだから、今言っているのは、きっと晩飯のことだ。



「…どうした?ずっとカレンダー見てるけど」



今夜は何だろうなぁ…とぼんやり晩飯を予想している俺を余所に、返答の声は聴こえないまま。代わりに、再び潤の声が聴こえてくる。
カレンダーというのは、たぶんキッチンカウンターに置かれている卓上のやつのことで、つまり、杏奈も同じようにカウンターに座っているんだろう。
潤が定位置であるキッチン側でレシピ本を開き、正面のリビング側で杏奈がそれを見つめているというのは、よくある光景だから。



『別に…。ただ、今年のGWも、結局何もしないで終わったなぁ、と思って』



寝そべって座っているのか、杏奈が曖昧な発音のまま、ごにょごにょと不服を漏らす。
末っ子の妹らしく、可愛らしい杏奈の不貞腐れ方に、思わず目を閉じたまま笑ってしまうけど、たぶん本人は切実だ。
俺の頭の中に浮かぶ、それぞれの筆跡で予定が書き込まれた、若干騒がしいほどの5月のカレンダーは、確かに面白くはない。


例えば翔くんだったら、“日勤”と“夜勤”が何の規則性もなくループするように入っていて、和は“稽古”や“オーディション”の開始時間がメイン。
スタイリストの仕事をする雅紀は、時々“ロケ”という文字と共に地名が書かれていて、最近は何の撮影だったのか、“鎌倉”で仕事をしていたらしい。
唯一、趣味でやってるパン屋以外は自由な俺も、この数カ月はずっと“個展の打ち合わせ”が、“釣り”を差し置いてカレンダーを陣取っている。
ああ、そういえば、全然釣り行けてねぇなぁ、最近……。



「まだ、言ってんの?しょうがないじゃん。それぞれ仕事があって、決められた勤務日程や予定があるんだから。大型連休なんて、前からあって無いようなもんだし、特に翔くんなんていつものことだろ。そういう時は、休みを合わせるのは不可能なんだって、いい加減分かれよ」

『分かってるもん。分かってるけど、家で何もすることなく休日を過ごすのって、結構辛いんだから!』

「祝日に、休憩取る暇も無く働き続けるのだってなかなかだぞ?言っとくけど」



そうしてしばらくの間、2人の不毛な言い合いが繰り広げられるのを、ウッドデッキで黙って聴いてみる。
杏奈につられて愚痴ってしまうだけあって、GWという期間が忙しかったのは潤も同じ。それでも、俺たちの食事をきちんと用意してくれていた潤はしっかりしているし、偉いと思う。
……まあ、こうやって杏奈と張り合ってるのは、やっぱり弟って感じがするけど。



「だから、しょうがねーだろって!杏奈だって、休み中の課題いっぱい出された、って言ってたじゃん。どっちみち、何も出来なかったって。つーか、ちゃんとやったの?課題。作業してたの見てないけど」

『!? 、やったよ!パースとか、時間が有り余り過ぎて、ものすっごい丁寧にやったから、先生にめっちゃ褒められたもん!』

「……良かったじゃねーか」

『全然、嬉しくない!』



兄妹全員が、日祝日関係無く、自分の仕事で忙しくしているんだ。とても、良いことだと思う。
でも、それが不満だったのは、GW期間中のほとんどをピンクのペンで“休み”と書き込んだ学生の杏奈で、しかも、それはハートマーク付き。
なのに、GW初日の午前中から1人で黙々と課題をこなす杏奈は、なんだか申し訳なくなるぐらい、いじらしかった。せめて、俺が近場でもいいから、連れ出してあげるべきだったかなぁ…。



「はぁ…。ちょっとストップ、休もう。アイスティーでも飲んで、落ち着こう。杏奈も飲むでしょ?」

『うん…』



軽い言い合いがヒートアップしてきたのを感じたのか、潤が待ったをかけ、すぐに冷蔵庫が開く音がする。
でも、“やめよう”じゃない。“休もう”、だ。
たぶん、無意味だとは気付いていても、一応杏奈の言い分は全部聴いてやろう、と思っているんだろうな。優しいから…、



「兄貴は…寝てるし、ま、いっか」



…前言撤回だな。俺には、そんなに優しくない。



「今、なんか言った?」

『? 、何も言ってないよ?』



そんな、過ぎ去ったGWの反省会をする今日は平日。時々、雑誌の撮影でヘアメイクを頼まれる時以外は、誰よりも予定がはっきりしている、潤の休みの日でもある。
いつもだったら、休みの日でも何かしら予定があるイメージだけど、さすがに今日は疲れているらしく、どこにも出かけようとしない。
杏奈も杏奈で、先生の都合で授業が休講になったらしく、偶然にも休みを潤と共有していた。


因みに、これまでの描写だと俺たち3人しか家に居ない雰囲気だけど、実は2階には夜勤明けで帰ってきた翔くんが、疲れて横になっていたりする。
俺も個展の為にずっと寝ないで作業していたけど、翔くんの働きぶりには敵わない。
なのに、そんな翔くんですら珍しくダウンしているんだから、よっぽどハードだったんだろうなぁ…。まあ、どうせ起きたら元通りになってるんだろうけど…。



「てか、全員が揃って同じ日に休みってことは無かったけど、杏奈1人だけ、ってことも無かっただろ?誰かしらは一緒に居たじゃん」

『そうだけど〜…』



冷静さを取り戻した潤が、依然、拗ねたままの杏奈に言い聞かせるように話す。
そして、それは事実であり、休みを合わせることは不可能でも、可愛い妹に寂しい想いをさせたくはないという、俺たち兄貴の必死の策でもあった。
…まあ、そう言っている潤自身は基本的に平日が休みだから、普段は学校に行っている杏奈とは綺麗にすれ違ってたけどね…。



『でも、別に特別なことなんて何もしてないよ。ほとんど家に居たし』

「? 、どっかに買い物に行ったんじゃなかったっけ?」

『雅兄ぃが照明壊したから、それ買いに行っただけだもん!楽しいわけないでしょ!?』



それまでよりも1トーン高い声で非難するように杏奈が言うと、潤も“ああ、それね…”といった風に唸る。
きっと、2人の視線はリビングの真新しいシーリングファンの照明と、ウッドデッキでうとうとしている俺のはずだから、ここは間違っても起きないようにしなきゃだな…。
俺は長男で2人より年上だけど、こういう時は大人しくしていた方が良いに決まってるもん。あれだよね…触らぬ神に祟りなしって言うじゃん。それだと思う、今は。



「つーかさ…ある意味、凄いよね。壊そうと思って壊せるものじゃないだけに」



潤が指摘する通り、吹き抜けになっているおかげで普通よりも高い位置にある天井と照明は、簡単に壊せるわけじゃない。
それが出来たのは、前日の休みに、雅紀と和がバッティングセンターで遊んでいたのと、次の日になっても余韻が抜けずに練習していたのが原因だ。
その日は、俺と雅紀と杏奈の3人が、揃って休みの日だったんだけど……。



「だいたい、家の中でバッティングの練習すること自体がおかしいし。杏奈もちゃんと止めろよ、兄貴たちのこと。特に雅兄ぃなんて、テンション上がると何しでかすか分かんないだから」

『だって、その時ソファで眠ってたんだもん。知ってたら止めるよ、さすがに。てか、なんで被害者である私を責めるの、潤くんは!』

「いや、それは災難だったなって、寧ろ可哀想に思ってるけど…」



…2人の今の会話で、何が起きたのかはほとんど察しがつくと思うけど、そういうことだ。

最初はただのキャッチボール。でも、楽しくなってきちゃった雅紀は加減を知らないから、作業の徹夜明けでぼんやりしてた俺は、いつの間にかバットを持ち出していたことに気付かなかった。
本人はウッドデッキの向こう側に上手く打ったつもりだったんだろうけど、あれはダメだよ…。
結果、ボールは照明に見事ヒットし、リビングのほぼ真ん中に位置するソファで不貞寝していた杏奈を殺しかけることになった。なぜなら、照明が勢いよく落ちてきたからだ。



『死ぬかと思ったんだから!』



そりゃ、そうだよね…。俺も、照明が勢いよく杏奈の側に落ちてきた時は、嫌なシーンが頭を過ったもん…。目が覚めた。
数分間、誰も動くことが出来ずに固まった後も後で、雅紀と杏奈が泣いたり、怒ったり、喚いたりで、なかなか収拾がつかなかったし…。
それなのに、数日後の休みには、再び和とバッティングセンターに行っている雅紀は、翔くんたちに怒られて反省したとは思えない。
なんていうか、ああいうところ、雅紀はさすがだなぁって思う。めげないよね、雅紀って…。俺は無理だよ。今も潤たちの視線が痛いもん…。



「でもさー…、うーん…。他にも何かはあったはずでしょ?今年は、珍しく翔くんも休みがあったじゃん。1日だけだったけど」



年中無休とも言えるスケジュールで働く翔くんは、GWだけに限らず、常に忙しい人だ。
でも、ここ数年、執拗に俺たちが病院に出向いたりしているおかげか、今年は珍しく大型連休の日に休みが1日だけ出来た。
俺はその日は家に居なかったけど、翔くん大好きな雅紀と杏奈の2人と一緒だったから、まあ楽しくやったんだろうな……、



『何の思い出も無いよ、そこに関しては…』



あれ!?



「嘘吐けよ、そんなわけねーだろ」

『正確に言うなら、思い出を作ろうっていう日じゃなくて、思い出に浸ってた日なの。…翔ちゃんがずっと自分の部屋で資料の整理とかしてたから、私も雅兄ぃもクローゼット綺麗にしてただけで…』

「ああ…そーいえば、雅兄ぃの要らない服とかめっちゃ出されてたね。それだったんだ?いいじゃん。有意義だよ」

『途中、アルバム見つけて全員で見てたりしたから、脱線しまくりだったけどね…』

「…道理で3人の部屋、全然綺麗になってないと思った。掃除終わってねーじゃん」



話を聴く感じ、翔くんが休みの日も、特別楽しいことは無かったらしい。
クローゼットの整理と掃除とか、俺は言えた立場ではないけど、あの3人が揃ってやることじゃないとは思う。出来るわけないよ、掃除なんて。
でも、翔くんのことで杏奈が残念がっているのは、どうやら過ごし方についてでは無いみたいだ。



『っていうか、翔ちゃんにはGWじゃなくて、次の週の日曜日に休んで欲しかったのに、私は…』

「次の週の日曜って…13日?」

『母の日やりたかったの!』

「……うちに母親はいないはずだけど」



なんか…。寂しい話になるのかな、もしかして。
杏奈の声は、やけに爛々としていて楽しそうだけど…。



『そーだけど〜!でも、翔ちゃんがいるもん。でしょ?』

「…翔くんは俺たちの兄貴であって、男だからな?念の為言っとくけど」

『でも、うちの中でお母さんが居るとしたら、潤くん、誰だと思う?』

「ええぇぇーー……。あー…翔くん、かな?」

『ね!でしょ!?雅兄ぃと和兄ぃも、そう言ってたもん!』



あははは!2人と一緒に会話に参加してたら、たぶん腹が痛くなるぐらい、ずっと笑ってたな、俺…!
それで、あの日の日曜日、和と杏奈が頻りに“カーネーション買いに行く?”とか言ってふざけてたのか。
翔くん、自分では皆の父親代わりのつもりでやってるのに…。
稼ぎ頭でお母さんって、ほんと翔くんってすげーなぁ〜。本人聴いたら、軽くショック受けそうだけどね。



『でも、そういうイベント的なことも出来なかったし…。休みがいっぱいあって、本当だったら色々出来たはずなのに、毎年うちは世間とズレてるっていうか…。とにかく退屈だった!』

「なるほどね…」



幻の母の日が、俺の白昼夢にぼんやり登場しかけてきた時、杏奈がまとめるように、そう言う。
俺から言わせれば、世間とズレてる分、他の日に凄く盛り上がってる気がするんだけど…。
うちみたいな家で育つと、杏奈ぐらいの年頃の女の子でも、こういう風に思うもんなのかな?こういう風に、兄妹でもっと楽しみたいって、思うもんなのかな?
うーん…。分かんねぇ!


でも、寝ぼけ半分で話を聴いてる俺とは違って、きちんと杏奈を前にしている潤は、言いたいことは分かったらしい。
頼もしさって、声だけでも伝わるもんなんだな…。



「オッケー。じゃあ、良いよ。分かった。全員の仕事が落ち着いてきたら、杏奈がやりたいこと、ちゃんとやろ?その時は、俺もみんなに一緒に話してやるし」

『本当!?』

「うん。だから、今は大人しくしとけって。出来ることはやってやるからさ」

『うん!じゃあ、一先ず今日は、潤くん、髪切って!』

「はっ!?何で突然そうなんの?別にいいけど…」



俺も不思議な流れだとは思うけど、杏奈としては、潤の言葉でGWの文句と反省会には区切りが付いたらしい。
“意味分かんねぇ…”とブツブツ独り言を言いつつも、潤が髪を切る為の道具を取りに、2階の自分の部屋へ上る音がしたかと思うと、杏奈の軽い足音がこっちに向かってくる。
ウッドデッキにある椅子をガタガタと動かすのが、横になっている自分の体に響く。そして、足音が2人分になると、空気がより動いた。



――― 今日の白昼夢は、ここで終わりを告げるみたいだ。



『智くん!ここ使うから、ちょっと起きてもらっていい?』

「ん……。髪切るの?」

「そ。兄貴も切ろうか?揃えるだけだったら、時間もそんなかかんないし」



約2時間ぶりに目を開けると、眩みそうになるぐらいの光が辺りに溢れていた。
それなのに、夢と現実の狭間で揺れているような感覚はまだ消えなくて、自分でも不思議な感じ。
そういえば、今日の晩飯はどうなったんだろう…なんて、ふと思ったりするのも、いつものことだ。



「…今度、キャンプにでも行こっか。全員で」

『えっ!』

「何、いきなり!?」



あれ?そういう話、してたんじゃなかったっけ…?

うーん…。分かんねぇ!





End.


→ あとがき





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