20分間の面会時間 - 1/2


side. S



店内に入ると甘い香りに、店員さんの元気な“いらっしゃいませー!”という声。
そのまま沢山並ぶ客席の方に目を走らせると、智くんと妹の杏奈が楽しそうに喋っているのを見つける。
同時に2人も俺に気付いたようで、店員さんよりも元気な声が店中に響いた。



『あ、翔ちゃん!こっち、こっち!』

「ああ、もう…。分かったから、あんま騒ぐなって、杏奈!他のお客さんにも迷惑だろ?」

「んふふふ。翔くん、お疲れ。なんかコーヒーとか頼んできたら?腹減ってんじゃないの?」

「あ、うん。そーだね、超減った!買ってくるわ」

『翔ちゃん、私にもドーナツ何でもいいから、もう1個!』

「っ、…分かったから、静かにな?」



やけにテンションが高い杏奈をなだめ、そのまま言われたとおりにテキトーにドーナツを選んだ後、自分の分も吟味する。
朝から脳をフル回転させているせいか、目の前に並んでいるドーナツが全部旨そうに見えて仕方ない。
それなのに自分の着ているシャツは病院独特の薬品の香りが染みついていて、我ながら違和感だ。
眠気覚ましのコーヒーも注文し、智くん達のいるテーブル席に着くと、隣に座っている杏奈がいきなり抱きついてくる。



「ちょっ、…杏奈!?なんだよ、いきなりっ、」

『…翔ちゃん、やっぱりお医者さんの匂いがするね』

「は?」

『…明日は夜勤明けだけど、時間通りに帰ってこれそう?』

「え…。いや、ちょっとそれは状況によるから分かんねーけど…。何?どうした?」



僅かに不安の色が混じった目で見る杏奈を、とりあえず体から離す。
テーブルを挟んで座る智くんに問いかければ、アイスティーを飲みながら、クスクス笑って見せた。



「んふ。翔くん、今年のGW中もずっと仕事で家にいなかったでしょ?今も休みなく働いてるし」

「…!…」

「だから、杏奈も寂しいし、翔くんの体の心配してるんだよ。ね、杏奈」



そう言われて、ここに呼ばれた意味をようやく知る。再び隣に目をやれば、智くんの言葉に杏奈が黙って頷く。
勤める総合病院からほど近い今いるドーナツ屋は、仕事の合間に休むにはちょうど良い場所だ。



――― つまり、これはGWを一緒に過ごせなかった埋め合わせを自分で出来ない俺への、最大の心遣いだというわけか。なんか情けね…。



「なるほど…」



時計を見れば、午後16時半。智くんからメールがあったのは、ちょうどお昼になる前だった。
杏奈と一緒に外で遊んでいるから、少しでいいから抜け出せないか、と誘われて、やっと抜け出せたのがこの時間だったのだ。
兄妹を4時間以上も待たせ、埋め合わせのお膳立てまでしてもらっているのを考えると、家族の為に働いているとはいえ、何が稼ぎ頭だと思う。
挙句、医者である自分が体調の心配までさせてしまっているんだから、本末転倒も良い所だ。


うん。なかなか気まずいな、コレ。



『今日はちょうど学校も休みだったし智くんも暇だって言うから、用事済ませがてら、翔ちゃんの様子見に来たの。今日は夜勤だし、ここ数日間、ちゃんと顔見てなかったから』

「俺はパン屋の用意があるから朝に会うけど、杏奈はほとんど会わねぇもんなぁ〜」

「そういえば、…そっか?」



確かにGWが始まる前から、…というかもうずっとだけど、早朝に家を出て、深夜に帰ってくるという生活スタイルが続いている。
ある程度時間を自由に使える智くんと和には、朝だったり夜だったりに顔を合わせることが出来た。
でも、雅紀に潤、それに杏奈は時間が決まっている分、ほとんど久しぶりだと言ってもいい。
その感覚が曖昧なのは、俺が忙しすぎるせいか、もしくは同じ家に住んでいるからこそ出てくる感覚のせいに違いない。
たとえ会えなくても、本人達の面影が至る所にあるから勘違いしてしまうのだ。



『もぉ〜!だから、明日はちゃんと時間通りに帰って来て欲しいの!明日は外で食べようって、昨日の夜にみんなで話してたんだよ?』

「外?…って、外食ってこと?つまり」

『違うよ。外で食べるんだよ』

「は?」

「ピクニックに行くんだってさ。ちょっと車飛ばして」

『楽しそうでしょ!』

「おお…。ちょっと、待とうか。俺は夕食の話をしてるつもりなんだけど、話を聞く限りそれって昼間の話だよな?俺、昼間にはどんなに頑張っても帰ってこれない、」

『だから、夜だってば!』

「…え?」

「んふ。夜にピクニックに行くんだってさ」

「………」

『お弁当作ってね!』

「……はあああぁぁぁ〜?!!」



予想外の提案に、さっき杏奈に注意したのも忘れて、自分も大きな声を出してしまう。
そんな俺の反応を無視して、相変わらず智くんはアイスティーをマイペースに飲み続け、杏奈はまた“楽しそうでしょ!”と声を上げる。
絶対に、こんな無茶苦茶な計画を立てたのは三男である雅紀だ。
そもそも、雅紀は去年も“お仕事訪問ツアー”なんていうことをやってのけているし、夏には縁日へ行く提案もあった。


すると、その通りの答えが智くんの口から話されて、思わず苦笑する。ある意味、これに関しては予想通りの答えだ。



「なんか、雑誌の撮影で行った場所で、凄く良い公園なんだって。もう花見のシーズンも終わったから人もいないし、気持ちいいからみんなで行こうって、雅紀が」

「やっぱり、あいつか…」

『あ、雅兄ぃ提案だって分かった?』

「そりゃ、分かるって…。つーか、よく和と潤がオッケー出したな、それ」



智くんと杏奈はともかく、和と潤がオッケーを出すのは、上手く俺の想像と一致しない。
潤はテンションが上がっていれば無くはないし、杏奈がお願いすればまあ有り得るけど、問題は和だ。
稽古がある時以外は、ほとんど家から出ることなんてないのに、ましてや夜にピクニックなんていう計画。
でも俺がそう訊くと、杏奈が呆れたように見つめ返し、ため息を吐く。



『だーかーらー!何回も言ってるでしょ!これは翔ちゃんと一緒に時間を過ごすための企画なんだってば!』

「あ…」

『和兄ぃと潤くんだって、ちゃんと翔ちゃんと一緒にご飯食べたいと思ってるの!確かにいつもだったら怒るだろうけど、今回は理由が理由だから賛成してくれたんだよ?…もぉ〜!なのに、その本人が分かってないんだから!』

「も、申し訳ない……」

「ま、一応最初は翔くんと同じように突っ込んだけどね、和も潤も」

『っ、それは言わなくていいの、智くん!』

「はは!やっぱり」

『翔ちゃんも笑わないで!今、怒ってるんだからね、私!』



杏奈は必死に俺の腕を掴んで怒りを表現するけど、そんなやりとりすらも久しぶりで、ちょっと嬉しい。
そして同時に、色々と反省をした。


こんなことが懐かしくなるぐらい。
普段は真っ先に却下するであろう和と潤が計画に乗るぐらい。
仕事の合間に雅紀が自分の為に計画を練るぐらい。


…俺は大切にしているはずの兄妹を放置していて、不安にさせていたってことか。
ダメ押しに、今度は怒っていたはずの杏奈に“でも疲れてるんだったら言ってね?その時はいつも通りに家で食べるから”なんて言わせてるんだから、最悪だ。
自慢じゃないけど、兄妹の中では一番病気にもならない方だし、今だって健康だと思っている。それに何度も言うけど、俺は医者だっつーの。
さっさと、こんな意味のない心配は捨て去ってもらわないと、今後の俺の仕事ぶりにも影響が出てしまう。



「ははっ…。んなことないから、気にすんなって」

『ほんと?』

「ん。それに、悪かったよ。最近心配かけてたってことも、今日ここに来るのが遅れたのも。全部含めて謝る。だから、予定通りピクニックに連れてって?な?」



そう言って自分の手を杏奈の頭の上にポンと乗せると、了解の印にとびっきりの笑顔を返してくれる。
妹のその様子に智くんも安心したらしく、“良かったね”と声を掛けた。


きっと、今日までのこの数日間、俺の仕事状況を一番分かっている智くんが、他4人のことを騙し騙しになだめてくれていたんだろう。
そう思うと、この“良かったね”は杏奈にじゃなくて、俺に向けて言った言葉なのかもしれない。
確かに家計を支えているのは俺だけど、やっぱり精神的に家族を支えているのは、長男である智くんなのだ。感謝しないと。



『ふふっ。じゃあ安心したところで、ドーナツいただきまーす!』

「ははは!俺も、コーヒーいただきまーす!」

「んふ。召し上がれ」



3人で満足そうにドーナツやコーヒーを食べ始める。
でも、結局俺がこの場に居れた時間は、ざっと見積もっても僅か20分ほどだった。
院内専用のケータイが鳴り響き、あっさりと束の間の兄妹との“面会時間”は終わりを告げたのだ。
それでも、4時間以上も待たせたというのに、笑顔で見送ってくれた智くんと杏奈は、やっぱり兄妹だな、と思う。
だからこそ、また元気に医者として働くことが出来るんだということを、俺はちゃんと知っている。気付いている。



――― なぜなら、そう確信出来る瞬間が、どんな時でも俺の周りには溢れているからだ。



「この様子だと、明日はちゃんと時間通りに帰れっかな…」



担当している子供の容体を電子カルテに打ち込みながら、そう呟く。
これから余程の急患が出て来ない限り、計画されている夜のピクニックは中止にならないはずだ。
言葉にすればするほど、“夜のピクニック”というのはシュールすぎて、仕事中だというのに笑いそうになるんだけど。



「うわっ…。結構、星も見えるもんだな。今まで全然気付かなかった」



看護師に作ってもらったコーヒーを持ちながら、デイルームの大きな窓の外を覗きこんで驚いた。
こんな都会の中心にある病院でも、僅かだけど星が瞬き、月もぼんやりとだけど浮かんで見えたからだ。
もしかしたら、雅紀もそのことに気付いて計画を提案したのかも知れない。
すると、タイミングを狙ったかのようにプライベート用のケータイが震えて、更に驚いてしまう。


届いたメールの送信者は、長男である智くん。
でも、“お疲れ様。明日、楽しみにしてるね”と書かれた後に続いた名前は、“兄妹一同”だった。



「ふはっ!しかも、写メ付きだし。何考えてんだ、あいつら…。早く寝ろっつーの」



ケータイを閉じて、再び窓の外を見れば、さっきと同じように星が綺麗に輝いている。
救急車のサイレンも、慌ただしく走る看護師の足音も、子供が泣き出す声も、今は無い。
ほんの少し不思議ではあるけど、今夜だけは素直に喜ぼう。

きっと、今日まで頑張ってきた俺と兄妹の為の、神様がくれたご褒美なんだから。



「このまま、静かな夜が続けばいいな」



医者としても、大事な兄妹を持つ兄としても、そう願うばかりだ。





End.


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