荷造りの開始 - 1/2
side. N
エントランスの扉が開く音。時計を見れば、20時半。 我が家の次男が、今日も遅くに帰宅だ。
「ただいまー」
「おかえり、翔ちゃん。今日も遅かったね?夕食、もう食べちゃったよ?俺たち」
「ああ。…でも、これでも結構早めに切り上げてきた方で…。てか、なんか少なくね?智くんたちは?和、ひとり?」
リビングに響く、テレビからのゲーム音。只今、この家には俺と翔ちゃんの2人だけしかいない。 ゲームをしながら横目で翔ちゃんを確認すると、“弟1人しかいない”という事実と同時に、リビングがやたら散らかっているのにも気付く。
ソファの上には、重ねられた大量の洋服。 床には、雑誌とかデジカメとか、もう色々と直に置かれていて、何が何だか分からない状態だ。 それらを見て、翔ちゃんが顔を歪めるのは当然のことで。
「ちょっ、これ散らかり過ぎだろ!俺が言うのも何だけど。みんないないし、どうしたんだよ!これ」
「んー。ほら、明日じゃん?行くの。それで、全員で支度してたんだよ」
「ああ…」
「で、今は4人で買い出しに出てる。さすがに1人は残ってないと、翔ちゃんが不思議に思うだろうから、つって、俺は残ったんだけどさ」
「なるほど…」
そう言って、翔ちゃんが重そうなカバンを自分のパーソナル・チェアに置きながら、ネクタイを緩める。 脱いだジャケットからは、病院独特の薬品の匂いが漂ったような気がした。
――― 明日は待ちに待った、兄妹全員での旅行だ。
兄貴が個展で稼いだ金で、翔ちゃんがプランを立てた今回の旅行。 話を聞いた時から既に、雅紀と杏奈はテンションが高かったけど、さすがに出発前日ともなれば、潤くんと兄貴のテンションも上がるようで。 わいわいと全員で準備をしている姿は、もういい大人なのに子供みたいだった。
「けど、買い出しって何の?夕食終わった後に出て歩くなんて珍しいね」
「うん、なんだっけな。潤くんが…、あ。翔ちゃんの分の夕食、冷蔵庫に入ってるからー」
「え?あ、サンキュ」
キッチン回りで、残されているはずの自分の夕食を探しているのを見て、声を掛ける。 確か、潤くんが取り分けておいた、唐揚げがあったはずだ。 それを見て、翔ちゃんが“うまそ〜”、と独り言を言う。
「んふふふ。…なんか、途中で潤くんが明日の朝食の材料無いことに気付いたらしくて。珍しく、兄貴たちに買い出しの連絡するの忘れてたみたい」
「へえ?確かに珍しいね」
「うん。だいたい、そんな朝食は、どこかのパン屋にでも任せておけばいいのにさ。真面目なんだよね」
「ははは!」
「で、仕方ないから買い出しに行って来る、って。そしたら、雅紀と杏奈も“車の中で食べるお菓子〜”とか言い出したから、兄貴もノリでついて行っちゃったんだよね」
「はは。ノリなんだ、そこ」
そんな風に家を出ていったから、リビングはこの状態だ。 現に俺の座る横には、杏奈の赤のチェックのトランクが置いてあるし、テレビ画面の前には雅紀の服が散らばっている。 いつもは率先して綺麗にしてくれてるはずの潤くんですら、パーソナル・チェアの横にトランクが広げられていて。 唯一綺麗なのは、5人分のカップが置いてある、このローテーブルだけだ。
すると、翔ちゃんがそれらの荷物を見て、俺に訊く。
「そういえば、和は準備出来たの?黙々とゲーム続けてるけど」
「うん。一応、一通りは。最後に必需品を入れれば、もう終わりかな」
「? 、何、必需品って、」
その質問に答えようとした瞬間。数十分前にも聞いた、エントランスの扉が開く音がした。 同時に聞こえるのは、ドタバタとリビングへ向かって来る足音。 そして、2人だけの落ち着いた空間が、一気に賑やかになる。
「たっだいまー!ひゃひゃ」
『ただいまー!』
「あ。翔くんが帰ってきてる…」
「マジで?おかえり、翔くん」
『おかえり、翔ちゃん!』
大量の荷物を抱えながら、口々に挨拶をする。 そう言われて翔ちゃんが、“うん、えっと…、おかえり?ただいま?”と困惑しているのが、なんだか妙に笑えた。
「んははは。噛み合ってないにもほどがあるでしょ。翔ちゃん、超困ってるし」
「翔くん、唐揚げ温めた?スープも残ってるよ?」
「あ、本当に?」
「翔ちゃん、それ。その唐揚げ、潤にリクエストしたの俺だからね!ひゃひゃひゃ!」
『なんで雅兄ぃが威張るのー!作ったのは潤くんと私だからね!?翔ちゃん!』
「んふふふ。結局、全部やったのは潤だな…」
その兄貴の一言で、雅紀と杏奈が悔しそうに黙る。 そして翔ちゃんが、“いつもありがとうございまーす”と潤くんにお礼を言えば、全員が揃って同じように言い、潤くんも笑って、“どういたしまして”と返した。
うん。なかなか良い光景だけど、それよりも先に、俺はこの散らかった荷物をなんとかしてもらいたいな。
「オッケー、そこまで。とりあえず、杏奈はこの横にあるトランクどかしてー?超邪魔」
『?! 、もう!そんな風に言わなくても良いのに!和兄ぃ!』
俺の言葉に不満を洩らしながらも、隣に来てトランクを床に降ろす。 そして再び、荷物の準備をし始めた。
「…つーかさー。…なんか入り切ってないけど、何入ってんのよ?そんなに」
杏奈のトランクの中身は完全に溢れ返っていて、何が入っているのか謎だ。 女と男じゃ荷物の量が違うのはなんとなく分かるけど、それにしても多すぎると思う。
『え?何って…。手帳でしょ、トイカメラでしょ、スクラップ・ブッキング用の道具でしょ、ポーチでしょ、iPodでしょ…』
「文具系、多いなー!しかも、カメラは潤くんが持っていくんでしょ?そのトイカメラ、持ってく必要あんの?」
『写真の味わいが違うんですー!別にいいでしょ!』
「杏奈、これは?何に使うの?」
杏奈の持ち物に呆れていると、兄貴もそばにやって来て、手に取る。 ダイニング・テーブルの方では、翔ちゃんが“つーか、俺もカメラ持ってくんだけど…”と言っているのが聞こえた。
『ブランケット?これは車の中で眠くなった時に使うの。智くんも使うでしょ?』
「あ、お昼寝用か〜。んふ。うん、使う。一緒にかけて、眠るぞ!杏奈」
『ねー!』
「眠るぞって、どんな宣言だよ!お前!」
「えっ?!てか、杏奈?俺は?俺の隣に座るんじゃなかったの?俺でしょ?一緒に使うんだったら!」
「っていうか、本当に誰も運転代わる気、ねーのな…。智くんは?準備出来てんの?」
杏奈の隣がどうとか騒いでいると、翔ちゃんが既にブランケットに一緒に包まって、じゃれ合っている兄貴に質問する。 確かに、全員がこのリビングで荷物を広げているのに、兄貴の物は一つとして無い。 俺でさえ、テレビの脇に用意してあるっていうのに、この人は準備出来てるんだろうか。 正直、まだ一度も用意してるのを見ていない。
「え?うん。出来てるよ。部屋に置いてある」
「そーなの?」
「てか、エントランスに釣り道具あったけど、あれって兄貴が置いたの?」
「んふふ…。釣りの準備も出来てる」
「智くん…。釣りに行くわけでは、ないんですけど…」
「ひゃひゃひゃ!俺が帰って来た時から、もう用意してあったからね、それ!“あ、さと兄ぃ、もう準備出来てんだ〜”って。ひゃひゃ」
思わず、キッチンに立つ潤くんと、テーブルに着く翔ちゃんと顔を見合わせて、ため息を吐いた。 雅紀なんかはテンション上がってしまったのか、テレビの前に立って笑い出したので、“すみませーん、邪魔なんでどいてくれません?”と言ってやる。 一応、喋り続けているけど、ゲームは未だ続行中だ。
「雅兄ぃは?すっげー服出してきてるけど、翔くん食べてる最中なんだから、埃舞わせないでね?」
『っていうか、雅兄ぃ、Tシャツ多すぎじゃない?』
「んふふ…。しかも、派手だなぁ〜。全部」
「ちょっと待って?!なんでみんなしてダメ出しばっか?!しかも、さと兄ぃのはほとんど関係ない、つって!ひゃひゃひゃ」
「また、バカ雅紀がテンション上がってるからー。みんな、触れないであげてー?」
「おいっ!」
「ははは!」
そうやって全員でからかうと、悔しかったのか、雅紀も潤くんのトランクを見ながら文句を言う。
「っていうかさ、潤だって、無駄にヘア関係の道具多いじゃん!こんなに必要ないでしょ!」
「バカっ、触んなって!…仕事柄、持ってた方がいいかなー、と思って入れてんだよ」
『そうだよ、雅兄ぃ!潤くんのはいいの!』
「…もしかして、お前のため?潤くんのその道具」
「んふふふ…。相変わらず、潤は杏奈に甘い」
「?!」
兄貴の一言に、また潤くんは“うっせーな!”と言うけど、俺から見てもちょっと優しすぎると思う。 まあ、俺の隣でキラキラした瞳で潤くんを見てる妹を考えれば、そういう風にしたくなるのも分からなくはないけど。
「はぁ…」
時計を確認すると、時間はもう22時になろうとしていた。 ゲームも、まあまあ進んだことだし、この辺にしておいた方が良いかもしれない。 翔ちゃんの立てた予定によると、朝は早いみたいだし。 とりあえずセーブして、先に風呂でも入るか。この人たち、まだまだ時間かかりそうだもんな。
『? 、もう終わるの?和兄ぃ』
「うん。先に風呂入っていーい?まだかかんでしょ?用意」
そう全員を見て聞くと、了解のサインに頷いたり、返事したり。 でも、セーブが終わって、ソファから立ち上がると、翔ちゃんが思い出したように俺に訊く。
俺もちょっと忘れかけていたから、翔ちゃんが気付いてくれて、正直助かった。 だって、これがなきゃ始まらない。少なくとも、俺は。
「…そういえばさ。和、さっき必需品って言ってたけど、何?」
『必需品?』
「ああ…」
そう言われて、テレビ前に腰を下ろす。
「危ねー。忘れるとこだった。ありがとね?翔ちゃん」
がちゃがちゃと後ろのコード部分をいじっていると、既に潤くんあたりが“まさか…”と声にしたのが聞こえた。 そして、その本体を持って見せてやる。 みんな呆れるような表情を浮かべるけど、これが無くちゃ移動中だって楽しくないだろ、って思うんだけどね。俺は。
「やっぱ、ゲームは必需品なんで」
「Wii、持ってくのかよ?!」
「あ、車の中で?それとも、ホテルで?俺もやりたい!つって!」
『雅兄ぃ、そういう問題じゃない!私のこと言えないでしょ、そのゲームは!』
「つーか、DSも入れてなかったっけ?和」
「んふふ。舞台の台本は持っていかないのに、ゲームは持ってくんだ…」
全員で俺の持ち物に文句を言うけど、別に良いでしょ?
移動中や、寝る前の数時間。 昼間にはしゃぎすぎて、みんなが電池切れになった時のために、用意してるだけなんだから。
「まだ準備出来てない人たちが、俺に文句言わなーい!手ぇ、動かして!」
ちゃんと、全員でいる時は、俺だってゲームはしないよ。
一応、これでも楽しみにしてるんだから、さ?
End.
→ あとがき
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