変わらない次男の役目 - 1/2
『翔ちゃん、おかえり…』
「ぅわっ!ビックリしたー…」
深夜26時。静かながらも、確かに閉められたエントランスのドアの音に目が覚めた。 眠い目をこすりつつ階下に下りると、今日も忙しかったんだろう。 帰宅したばかりの我が家の次男が、冷蔵庫を漁ろうとしていた。
「ただいま、杏奈。…ごめん、起こしちゃった?」
『まあ、眠ってたけど全然平気。どうせ1時間前ぐらいから、眠ったり、覚めたりの繰り返しだったから…。あ、翔ちゃん、冷蔵庫の中にお好み焼きあるよ。温めて食べれば?』
「マジで?今日、お好み焼きだったんだ。くっそ〜、焼きたて食いたかったなぁ〜!」
『ふふふ。残念でした!』
悔しがる翔ちゃんを横目に見ながら、私もグラスにミネラル・ウォーターを注ぐ。 お好み焼きをレンジで温めているせいで、ソースの美味しそうな匂いが漂った。
「てか、眠ったり、覚めたりってどうかしたの?体調でも悪い?」
お医者さんである翔ちゃんは、家族の体調管理に関して余念が無い。 以前、夕食を食べないで自分の部屋に引きこもっていたら、潤くんに“翔くんが心配するから、ちゃんと食べろ!”と怒られたことがある。 兄妹の誰かが病気になれば、一晩中寝ないで看病もするのが翔ちゃんだ。 こっちが心配していると、平気な顔で“寝ないのは慣れてるから”なんて言う。
『ああ…。別にそんなんじゃないよ?ちょっと25時頃、立て続けにケータイが鳴っただけ。“隣の部屋の人”からの着信で。もう!本当に頭に来る!』
「隣って…。雅紀から?なんで?」
『最初は眠かったから無視してたんだけど、時間が経つごとに気になってきちゃって。なんで隣にいるのにわざわざ掛けてきたんだろ、って。だから、翔ちゃんが帰ってくる直前に雅兄ぃの部屋行ったんだけど、完全に眠ってた』
「は、あ?」
『で、無理矢理起こして“さっきの電話、何?”って訊いたら、“寝ぼけて掛けちゃった”だって!信じらんない!』
グラスの水を口に運びながら、ソファへ移動する。 遅すぎる夕食の準備がされているキッチンからは、翔ちゃんの笑い声だけが響いた。
『翔ちゃん、笑いすぎ!それに、スーツのまま食べるのはやめた方が良いんじゃない?匂い付いちゃうよ?』
「どうせ、明日クリーニング出そうと思ってたから。杏奈、隣いい?」
プレートにお好み焼きとスープ、サラダを乗せて、翔ちゃんもソファの方へ来る。 了解の印に、ど真ん中に座っていた場所から右にずれると、またもや美味しそうな匂いが流れて来た。 その良い匂いに自然と体が“食べたい”と反応してしまう。
『…翔ちゃん、一口ちょーだい?』
「いいけど…。太るぞ?」
『太らないもん。翔ちゃんこそ、くれないんだったら、潤くんにここで食べてること言いつけるんだから』
そう言うと、“参りました”とばかりに皿を差しだす。
我が家ではコーヒーブレーク以外は、ソファのあるこの場所での飲食は禁止だ。 それが、最初に決めたルール。以前の門限にしろ、皆で決めたことは絶対。
「全然、面白いのやってねぇのな〜」
『うん、そうだね〜…』
でも、ふと。テレビのチャンネルをカチャカチャといじる翔ちゃんを見ると、遅く帰ってきて、誰も起きていない時。 1人でこんな風にソファで夕食を食べてるのかな、と思うと可哀想になってくる。
せいぜい全員で待っていられるのは、次の日の仕事を考えると24時半が限界。 今日も、まだ時間がフリーで動ける和兄ぃとは、ゲームをしながら粘って待っていたけど、翔ちゃんの不規則な帰宅時間に合わせるのは至難の業だ。
「!、 つーか、食べすぎじゃね?!俺の分のお好み焼きだろ?!」
『え?あ、あらら?』
いつまでもお好み焼きにかじりつく私に、翔ちゃんが注意をする。 気付けば、一口で終わるはずだったお好み焼きを、三口も四口も食べていた。 慌てて返すと、呆れながらも同じようにかじりつき、“うまい!”と言う。 そして独り言のように、“俺も焼きたかったなぁ〜”と呟きながらテレビを消した。
だから私はいつものように、せめてもの気持ちで、今日の夕食の時のことを話してあげるのだ。
『ふふふ…。お好み焼きね、智くんが私のために、ウサギの形に焼いてくれたの。写メ撮ったから、明日見せてあげるね!すっごい可愛くて、食べるの勿体ないぐらいだったの!』
「へぇー。さすが、智くん。…どうせ、雅紀とかはまたバカなことしてたんだろ?」
『うん。最初は普通に焼いてたんだけど、中盤から闇鍋みたいなことし始めて』
「や、闇鍋?」
途端に不安になったのか、翔ちゃんの箸が止まる。 だから、“それは和兄ぃが作ったやつだから大丈夫”と言うと、止まった箸がまた動き始めた。
『…なんか、チョコレートとか、カラシとか、ワサビとか。しかも自分で作っておいて自分が当たる、っていう』
「ははっ!完全に罰ゲームじゃん、それ。よく和と潤が怒んなかったね?」
『そんなわけないじゃん。怒ってたよ、2人とも。最終的に雅兄ぃに全部食べさせてたし。でも雅兄ぃもテンション上がってるから、楽しくなっちゃってて』
「はは。何やってんだか」
その時の様子を話してあげると、まるで自分も一緒にいたかのように、翔ちゃんも笑う。 そして私も笑いながら、夕食後にみんなが言っていた言葉を思い出す。
“やっぱり、翔ちゃんがいないと寂しいね”
これは、雅兄ぃ。
“明日はカレーにするから、全員で食べれると良いんだけどなー…”
これは、潤くんがキッチンの洗い物をしながら呟いた言葉。
“眠ぃなぁ〜。でも翔くんも疲れてるだろうから、もうちょっと待つか”
眠いのを我慢して、一生懸命私の隣で智くんも起きていたっけ。
“別に。俺だって出来る限り“おかえり”って、言ってやりたいし”
私が“無理して付き合わなくていいよ?”って言ったら、和兄ぃはそう返して来た。
『ふふふ…』
全員が、同じ時間を共有出来なかった翔ちゃんのことを、気にしていた。 それに何が面白いって、毎回毎回、同じことを言っているってこと。
――― みんな、“5人”だけじゃ満足出来ないのだ。
夕食の時だって、皆で片付けをする時だって。 ダイニングテーブルは翔ちゃんが居ない時だって、その真ん中の席には誰も座らない。 食後のコーヒーブレークだって、いつ帰ってきてもいいように、潤くんが常に赤いマグカップを出しておいているのを、私は知ってる。 ソファだって、1シーターのソファは一番疲れてるだろうから、と皆で言って、翔ちゃんのパーソナル・チェアに決めた。
「つーか、これマジでうまいな」
誰も居ない時は、今みたいに4シーターの方に座ってるみたいだけど。 翔ちゃんも、やっぱり寂しいんだろうと思う。 家と外じゃ、賑やかさは比べ物にならないから、余計に。
「…!…」
やがて、絶対に怒られるだろうから、と被っていたブランケットは眠気を刺激することになる。 気付けば、目を閉じて翔ちゃんの肩にもたれてしまっていた。 それに気付いたのは、“しょうがねーなぁ”と言いながら、翔ちゃんが私を担いだからだ。 そして、昔からこういう時は、翔ちゃんが部屋まで運んでくれたことを思い出す。
『ふふ…』
「ふはっ。…寝ながら笑ってやんの」
クリーニングぐらいは、私が出して来てあげてもいいよ?
いつも、お仕事ご苦労様。
End.
→ あとがき
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