GWの余波 - 1/2


side. A



「ちょっ、…和、もっと早く!」

「おま…、引っ張んなよー。翔ちゃんがいるんだろ?そんな慌てなくても大丈夫だって!」



和の腕を引っ張りながら、足早に無機質な床の上を歩いてく。
その景色が歪んで見えるのは、きっと俺が涙目になっているからだ。



――― どうしよう。大変なことになってたら。俺、…耐えられない!



「杏奈−っ?!!」

『あ…。雅兄ぃ』

「ぅおいっ!雅紀。お前、もうちょっと静かに入って来いって。ここ病院だぞ!」



受付で教えてもらった診察室のドアを開けると、白衣を着た翔ちゃんに、さと兄ぃと潤。
それに……、



「杏奈?!ああぁぁ〜…。大丈夫?痛くない?元気?俺、めちゃくちゃ心配で…」

『ふふっ。大丈夫だよ。てか、ちょっと大袈裟じゃない?』



杏奈の座る椅子まで駆け寄り、膝を付いて様子を確認する。

包帯が巻かれた、痛々しい足を。



「んふふふ…。雅紀、泣きそうになってるじゃん。…杏奈、意外に元気だよ?」

「いや。意外も何も、捻挫とちょっと打撲しただけだし。…他に怪我したとこないんでしょ?」

「うん。ちょっと、…転んだ時に額も打ち付けたから傷ついたけど、痕は残んないし大丈夫だよ」



翔ちゃんが立ったまま杏奈の前髪をかき分け、額を覆うガーゼに手をやる。
“別に痛くは無いだろ?”、“うん”、なんて笑顔で言い合っているその様子を見て、やっと安心出来たのか床に座り込んだ。



「良かったぁ〜…」



“杏奈が事故に遭った”


そんな電話がさと兄ぃから来たのが、約1時間前。
居ても立ってもいられなくなって、ちょうど仕事が休憩時間に入っていた俺は、そのまま理由を話して帰らせてもらった。
病院に向かう前に、稽古中で電話に出ることが出来ていないだろう和も一緒に連れて。

その和が、近くにあった椅子を引っ張って来て、杏奈の隣に座りながら言う。



「なんだよー。雅紀が血相変えて稽古場まで来るから、骨折ぐらいやってると思ったら…。平気そうじゃん。痛くないの?」

『うん。足は痛いけど、他は別に』

「雅紀、話聞かないんだよ。…電話で“平気そうだけど、潤が夕食作るのは遅くなるからよろしくだって”って言う前に、勝手に慌てて電話切るんだもん。掛け直しても出ないし…」

「ははっ!だから智くん、電話から帰って来た後、“大丈夫かな〜”って言ってたんだ?」



みんなが俺の勘違いぶりを笑い合う。
“事故に遭った”って言うから、俺は自然と杏奈が血を流して意識不明になっちゃった映像が浮かんできちゃっただけなのに。


そんなことを考えていると、窓際で立っていた潤が杏奈に訊く。
俺が思うに、潤だって俺ぐらい心配したはずなんだけどなぁ…。



「てかさ、杏奈はなんで事故に遭ったわけ?自転車と衝突したって聞いたけど」

「自転車かよ!はぁ…。どーせ、また音楽聴きながらぼーっとしてたんでしょ?危ないから、ほどほどにしろっていつも言ってんじゃん」

「っ、!?た、確かに音楽は聴いてたけど、ぼーっとはしてないもん!あっちが前見ないで友達と話してて、それでぶつかったんだもん!私は悪くないもん!」



杏奈が、小学生のようにムキになって和に返す。
でも、その言葉にすぐに反応したのか、和が翔ちゃんに訊いた。



「…つまり、加害者がいるってこと?そいつはどこにいるわけ?」

「いきなり殺気剥き出しにするなよ…。俺と智くんに謝って、“また日を改めてお伺いします”って言って帰ってたよ。まあ、大丈夫だろ」

「ふーん…。なら、いいけど」



納得出来たのか、出来てないのか。
よく分からないけど、冷静さを保ちながらも和も同じように心配していたのだと分かって、なぜか嬉しくなった。
それで笑っていると、杏奈が“雅兄ぃ気持ち悪い”と言う。



「…つーかさー…」

「?」



2人でじゃれ合っていると、翔ちゃんがカルテを持ちながら、呆れたように俺らを見た。
その姿は正に“お医者さん”。
GW中に会った時よりもどこかリアルに感じられるのは、きっと今がランチタイムじゃなくて、本当に仕事中だからだ。



「俺を名指しで呼ぶのやめてくんない?!」

「ふっ…」

「んははは」

「俺は小児科で、今いるべきところは外科なはずだろっ?!なんで俺の所にいるんだよ!?」

「んふふふ…。確かに…」



翔ちゃんのもっともな言い分に、潤と和とさと兄いが笑いだす。
俺はてっきり、杏奈だって分かった翔ちゃんが自ら治療を買って出たのかと思ったけど、どうやら違うらしい。



「何、何?どーういうこと?杏奈、直接翔ちゃんのとこに行ったの?」

『ううん。最初は外科の方に行った』

「…いきなり外科の先生から、“妹さんが呼んでますけど”って内線入ってさー。しかも怪我してるみたいだって言うから、外科の方まで迎えに行ったらこれだし…」

「うーわー。超迷惑」

「呼ぶのはまだしも、俺に治療させるっておかしくない?」



注意をする翔ちゃんに、“だって…”と不服そうに呟く杏奈。でも、俺には分かる。
他のお医者さんなんかよりも、翔ちゃんの方が上手だって分かっているし、信頼も出来る。
その証拠に、さっきからドアの向こう側で、“翔ちゃんセンセーはー?”なんて他の先生に訊く、子供たちの声が聞こえるから。
慕われているんだろうなー、って分かり、誇らしい気分になっている俺からすれば、杏奈の行動は完璧に理解出来た。


きっと、同じように思ったんだろう。さと兄ぃが翔ちゃんに説き伏せるように言う。



「…まあ、いいじゃん。翔くん。杏奈も翔くんに診てもらいたかったんだよ。そうだべ?杏奈」

『うん…。だって翔ちゃんなら、多少痛くても我慢出来るもん。大丈夫だって分かってるから!』

「………」

「同時に、痛かったら遠慮なく文句も言えるしねー?」

『ふふっ。そうそう』

「ひゃひゃひゃ!確かに!」



和の言葉に、今度は全員で笑い合う。
なのに翔ちゃんは未だに渋い顔をしていて、そんな俺たちに遠慮するように声を出した。
その言葉と結果に、俺のテンションが上がる時が来るのは、もうそろそろだ。



「…いや、つーか、そういうことじゃねーんだよ…」

「? 、何?翔くん」

「なんつーか…」

『?』



潤が不思議そうに訊くと同時に、杏奈がきょとんと首をかしげる。
そして、翔ちゃんが口開きかけた瞬間 ……。



「…先生?お話中、申し訳ないんですが…。大丈夫ですか?」

「「「「『!!』」」」」

「!、っ、ああ。はい。…どうかしました?」



そっとドアが開き、顔を覗かせたのは看護師さん。
後ろでは、相変わらず“センセー!”と賑やかな声を出している子供たちがいる。
そんな子供たちに笑いかけながら手を振り、看護師さんのそばまで翔ちゃんが向かう。


そして、ついに。“神様のご褒美”の時間がやってきた。



「…先ほど、院長先生から連絡があって…」

「! 、まさか…」

「…妹さんが怪我をしたとのことで、大変だろうから、今日はもう上がっていいとのことです」

「「「「『!?』」」」」

「…っ…。やっぱり…」



えっ?!ねえ、今“もう帰っていい”って言った?言ったよね?あの看護師さん!
俺の聞き間違いじゃなければ、そう言った!!絶対に!!



『やったね!翔ちゃん!』

「!?」

「っ、おい。杏奈!軽々しく、そういうこと言うなって」

「えー!?でも、本当に“やったね!”って感じじゃん!!ねー、杏奈!ひゃひゃ」

『ねー!』

「はぁ…。なるほどね。翔ちゃんが言いたいことは、よく分かったよ。今」

「?…何が?」



喜ぶ俺と杏奈に対して、またいつも通りの反応をする潤と和。
その意味について、さと兄ぃが2人を交互に見ながら、“よく分からない”と訴える。
俺たちの反応に笑っていた看護師さんはもういなく、翔ちゃんは大きくため息を吐いていた。



「…つまり、GWの時と同じことが今起きたってことだろ。杏奈が怪我して、翔ちゃんのとこに来たことによって」

「へえっ?」

「翔くんが言いたいのは、“また気を遣われて帰るよう施されるから来るな”ってことだよ。…でしょ?」

「…そーいうこと」

「なるほど…」



和と潤の説明に、翔ちゃんが静かに答える。
ようやく意味が分かった俺とさと兄ぃと杏奈は、それでも嬉しそうに目を合わせていたけど。



『? 、なんでそんなにガッカリするのー?お仕事訪問ツアーのおかげでしょ?この前は喜んでたじゃん、翔ちゃん!』

「ひゃひゃひゃ!そうだよねー?いいじゃん、別に〜」

「…杏奈。そう言うと、わざと怪我したように聞こえるからやめろって」



潤が注意するけど、やっぱり翔ちゃんは杏奈に甘い。
結局、笑ってそう言うのを俺はちゃんと知ってるんだ。



「ははっ。…そうは思ってないよ。でも、今度からはちゃんと外科の方に行って?分かってると思うけど、働かなかったら、俺ら食っていけないんだからさ」

『翔ちゃん…』

「もちろん杏奈のことは心配だけど、こうやってお前のために仕事放ったらかしにして駆け付けてくれる兄貴たちが、他に4人もいるんだからさ?」

「…んふふふ。特に、潤が真っ先に来た」

「!?」

「俺の場合は雅紀のせいだけどねー?」

「ちょっ、なんだよ!さり気にちょー心配してたくせに!」

『ふふっ…』



俺らがそうやって言い合いをしていると、“な?”と翔ちゃんが杏奈の頭にポンと手を乗せた。



――― でも、俺は分かってるんだ。



俺たち4人だけじゃなくて、翔ちゃんだって結局駆け付けてくれることに。
そうじゃなくちゃ、わざわざ外科の方まで迎えに行かないよ。
この小児科から外科まで、どれだけ距離があるのか、この前のお仕事訪問ツアーで確認済みだもんね。俺。



「ふふふふ」



そんなことを考えていると、いつの間にか今夜は外食しよう、という話になっていた。
潤がさと兄ぃに、さっきからかわれたからか、夕食を作るのを放棄したせいだ。
それを気にもせず、杏奈は“もう帰れるの?”と訊くと、“まだ引き継ぎ終わってねーから!気ぃ早すぎ!”と翔ちゃんが返す。
和は動かした椅子を元に戻し、帰る準備をしていた。



「…じゃあ近くのカフェで待ってて?あと1時間もすれば全部終わるから」

「オッケー。杏奈、保険証は?持ってきてる?」

『うん。大丈夫、持ってる』

「じゃあ俺、先に支払って来るわ」

「よろしくー」

「…あれ?杏奈、歩けるの?それ…」

『え?』



さと兄ぃの言葉に、全員が包帯で巻かれた足首を見る。



「「「「「………」」」」」



そして杏奈は当たり前のように、俺に向かってにっこり笑いながら言うんだよね。



『“まーくん”、おぶって!』



だから、俺も笑顔でこう返すんだ。



「ひゃひゃひゃ!もちろん!」



大事な妹だからね。それぐらい出来るよ、俺。
たとえ後ろの方で和が、



「あいつ、お願いする時だけ“まーくん”って呼ぶんだ」



なんて、言っていたとしてもね?





End.


→ あとがき





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