2月14日の受難 - 1/2


side. N



午前中の4時間ぶっ通しの授業がやっと終わり、待ちに待った昼休みの時間。でも、この数日間に限っては、余り嬉しい時間とは呼べない。
しかも、その嬉しくない時間がいつ終わるか分からないんだから、こうやって潤くんと廊下を歩いている時だって、ため息の一つも出てくるのは当然だ。



「つーかさー…、マジでこれ、いつ終わるんだろ…」

「分かんない。でも俺は、それ以上に雅紀が仕切ってるのが嫌かも。なんか、余計に気が滅入る、っつーかさ」

「ああ…。分かる、それ」



自分たちの教室から生徒会室に向かうまでの道のり、こんな風に潤くんと愚痴るようになったのは、もはや定例となった。
俺たち2人が何を言っているか分からなくても、この1週間内にあったイベントを思い出してみれば、きっとすぐに分かる。
生徒会室のドアを開けると、既に集まっていた兄貴と翔ちゃん、そして、“より気が滅入る原因”の雅紀が俺たち2人を出迎えた。
でも、“本当に気が滅入る原因”は雅紀じゃなくて、机の上に積まれた色取り取りの箱たちだってこと、俺たち全員は、嫌っていうほど理解している。



「今日は今週最後の日だから、ノルマ3個ね〜!」

「っ、マジかよ…」



――― 2月14日のバレンタイン、その日から、もう何日経った?



定番の赤やピンクのラッピングに、甘いチョコレートの香り。それが大量に存在するのは、忌々しいバレンタインというイベントのせいだ。
当日は直接持ってくる女子もいれば、机やロッカー、下駄箱に投げ込む女子もいて、それが本命なのか義理なのか、正直確かめるのも嫌になるぐらいだった。
しかも、個人の分だけでなかなかの量なのに、俺たちの場合はそれが“× 5”になる。


こんなセリフ嫌味かも知れないけど、一部の男子の意見なんて、俺たちに気にする余裕は無い。
何てったって、俺たちにはブラコンすぎて面倒臭い、可愛い妹が存在するんだから。



「そーいえば杏奈は?もういい加減、騒ぎ出す頃じゃねーの?何日も放っておいてるわけだし…」



そんな可愛い妹が不在の様子に、生徒会室の一部のスペースを使わせてくれてる翔ちゃんが、俺と潤くんに訊く。


このチョコレートたちが、ブラコンすぎる妹の杏奈にとって、余り喜ばしいものじゃないのは重々承知。
以前の文化祭の時も然り、年末年始の年賀状騒動も然り。
だから、俺たちはこの数日間、昼休みに杏奈には内緒でこっそり集まり、家には持ち帰れないチョコレートを何とか消化しようと必死だ。
目標は見つかる前に全部食い切ることだけど、全員の反応を見るに、ハードルは当初より低くなって、“バレる前に少しでも量を減らす”に変わっている。


そして、一部の男子の意見は気にしないけど、生徒会長である翔ちゃんが生徒会室を私物化してるのは、正直気になるところだ。
まあ、だからと言って、他に置き場所も無いんだけどさ。



「うーん…。一応、みんな部活のミーティングや用事があって、しばらく一緒に弁当は食えない、って言ってあるけど…」

「まあ、だいぶ怪しんではいるよね、きっと。でも、あいつがこのチョコレートの山を見て、ヒステリックに泣きわめくまでは、嫌でも放っておくしかないと思うけど」

「そっかぁ〜…。でも、しょうがないよね。俺、年賀状の時みたく、杏奈に嫌な思いさせたくないもん!」

「つーか、だったらまず、受け取ってくんなよな、お前!勝手に机やロッカーに入ってた分はともかく、直接渡しに来る分まで受け取ってたら、キリが無いでしょーが!」

「だ、だって…!」

「しかも雅兄ぃ、バレンタイン前に散々俺らに、そのパターンに気を付けて!とか言ってたくせに…」

「う…」



俺と潤くんの猛追に、雅紀が口ごもる。
でも、それも当然のことで、この人はバレンタイン前に予習とばかりに、俺らにここで怪しげなセミナーらしきことをやっているのだ。
“杏奈を悲しませない為に、極力チョコレートは受け取らないこと!”とか“義理だと思ったら、他の男友達にさり気なく一緒に食べてもらうこと!”とか、そんなよーなことを。
俺はその時から、なんでこの人が仕切っているのか、謎で仕方がない。



「で、でも!そー言うんだったら、翔ちゃんだって同じことでしょ!?翔ちゃんだって、俺がちゃんと言ったのに、結局こんなに大量に貰ってきちゃってさ〜!?思わせぶりなことしてんじゃないの!?」

「っ、いきなりこっちに矛先向けんなよ、お前!…仕方なかったんだよ!俺だって、欲しくて言われるがままに受け取ってきたわけじゃねーっつーの!」

「まあ…、翔くんは生徒会長っていう立場もあるし…。翔くんの場合は仕方無いんじゃない?」

「ええ〜!?」

「っ、ありがとう!潤!」



このやり取りから想像出来るように、翔ちゃんと雅紀は、渡されるチョコレートをほとんど断ることが出来ず、紙袋を一杯にして持ち帰ってきた。
唯一、妹の為に出来る限り戦っていたのは、俺と潤くん。
俺の場合は直接渡しに来る女子には、気を悪くさせない程度にゴメンと言い、笑顔でフォロー。
ただ、潤くんの場合は元々直接渡しに来る女子よりも、間接的に渡す女子の方が多かったせいか、あんまり意味は無かったみたいだけど……、



「…って、そーいえば兄貴は?」

「え?」

「ああ…。智くんだったら、あっちの席にいるけど…」



翔ちゃんの視線の先を見ると、そこには今まで一言も発さずに、窓際の机の上で突っ伏している兄貴の姿。
両腕はだらーんと下げられており、顔は外を向いている為、もう眠っているのか起きているのかさえ分からない。


なるほど。あの人もついに、この状況から現実逃避し始めましたか。



「智くーん!もういい加減起きて、今日のノルマの分、さっさと食っちゃわないと!時間も無くなるし!」

「俺はもういい…。そんなに甘いの、好きじゃねーし…」

「俺ら全員、みんな得意じゃないから!でも、杏奈に見付からないように、って、こうやって毎日食ってんじゃん!」

「んだよ〜…。だったら、俺の分も翔くんが食えばいいじゃねーか。翔くんが一番多く貰って来たんだから…」

「な゛っ!?」



翔ちゃんが側まで行って、そう声をかけるけど、兄貴が完全に体を起こすことはなく、顔だけ動かして、納得出来ないことを平然と言う。
確かにこの中で一番チョコレートの数が多かったのは翔ちゃんだけど、さっきの潤くんの言う通り、仕方ないっちゃ仕方ない。
なのに、こんな風に言い返されちゃあ、さすがに翔ちゃんが不憫だ。それに何より、2番目に多く貰ってきてんのは、他でもない兄貴本人なのに。



「ちょっと…、あなただって大量に貰ってきてんでしょーが。翔ちゃんだけに押しつけない」

「へえっ?さと兄ぃ、そんなに貰ってきてたんだっけ?」

「…なんか、気付いたら机とかにいっぱい入ってた……」

「俺もその日、兄貴が渡されてんの見たけど、あれって断る隙無いよね。ろくに言葉を交わすこともなくいきなり渡されて、ピンポンダッシュしてるみたいに走って消えちゃうんだもん」

「んははは!それって、なんかの罰ゲームなんじゃないの?もしかして」

「…それはそれでショックだな……」

「はははは!」



何とか兄貴を現実逃避の場から引きずり出し、今日のノルマ分のチョコレートをそれぞれ席に着いて食べ始める。
ただ、さっき兄貴と翔ちゃんが言った通り、甘いものが凄く得意じゃないのに加えて、連日の消化作業だ。一口食べては手が止まり、ため息が零れる。
個人的なことも言えば俺は少食だしで、平気そうに振舞ってはいるけど、本当は兄貴と同じくらい逃げ出したくて仕方ない。


マジで、いったい何の拷問なんだよ、これ…。



「なんでさ〜…女の子ってこういうイベントが好きなんだろーね?チョコレートも美味しいけど、男だったら弁当とか貰った方が喜ぶのに」

「いや、雅兄ぃ…。弁当って、部活のマネージャーや母親じゃねーんだから」

「それにどっちにしろ、女子が作る弁当なんて、あなた好みの量じゃないでしょう」

「はは!確かに、小さい弁当箱だよなぁ!」



なかなか手が進まないせいか、バレンタインというイベントを否定しながら、今度は全員が現実逃避気味になる。
そんな中、ずっと黙っていた兄貴が、また机に突っ伏してしまい、弱音を吐いた。
でも、その言葉に全員が同調してしまうのは、兄貴の気持ちがよく分かるからで……。



「俺はもう、チョコも弁当も、何もいらねぇーな…。今まで通り、杏奈と一緒に昼休みは弁当食べたい…」

「…いや、あなた弁当はいらない、って今言いましたよね?」

「杏奈とだったら、弁当も食べれる」

「さと兄ぃ〜…」

「「「……」」」



兄貴の言葉で、全員が見事なまでに意気消沈。精神的にも体力的にも、もしかしたらここが限界なのかも知れない。
こうなったら、来年はバレンタインの日には、杏奈以外は全員学校を欠席するしかないだろーな。
下手に登校して、受け取って、体壊して…。挙句、妹にまで泣かれるぐらいなら、もういっそのこと、家から出ない方がいい。
誰か、総理大臣みたいな偉いじいさんとかが、バレンタイン廃止って言ってくれねーかなぁ…。



「ん…?なんだ、この音…」



そんなバカなことが頭に過った瞬間、翔ちゃんが俯いていた顔を上げ、そう呟く。
耳を澄ませると、走っちゃいけないはずの廊下から、もの凄い駆け足でこっちへ向かってくる足音がした。
全員が顔を見合わせ、何かを察すると同時に咄嗟に自分のケータイを確認し、赤やピンクの代物を片付けられるわけないのに、隠そうとする。



――― あーあ…。ついにやってきたよ、この時が…。



『智くん、翔ちゃん、雅兄ぃ、和兄ぃ、潤くん!』

「「「「「!!」」」」」

『っ、…やっと見つけたぁ〜〜!!』



勢いよく開かれた生徒会室のドアから顔を見せたのは、ブラコンすぎて面倒臭い、俺たちの可愛い妹。
どこから走ってきたのかは知らないけど、息は乱れ、冬だっていうのに頬を赤くしている。
俺たちも相当だけど、何なんだこいつの必死感は…。気持ち悪…。



「杏奈…!」

『〜〜っ、何なの、みんなで昼休みの度に、いっつも私だけ仲間外れにして!!』

「そ、それは悪かったけど…。よく、ここにいるって分かったな?」

『ケータイのGPS機能、初めて使った!』

「お前、マジで気持ち悪い」

『うるさい、和兄ぃ!』



突然の妹の登場に、慌てつつも、出来る限り平静を保とうとする俺たち。
でも、相変わらず自分たちの体だけで隠せるほど、チョコレートの山は小さくないし、スグに気付かれるのは覚悟している。
現に、雅紀の口の周りにはチョコレートが付いてるし。



『でも、みんなここで何して…る…、』

「「「「「!!」」」」」

『あ、あれ…?それって、もしかして…、』

「い、いや!杏奈、これはねっ?!」

『バレンタインの…、チョコレー……ト?』

「「「「「……」」」」」



杏奈の質問に、答えとも取れる、気まずい表情を浮かべる翔ちゃんたち。
ほんの少しの間があった後、俺は開き直って、チョコレートの山から離れ、窓際にある椅子に座った。もう、どうにでもなれだ。
でも、次の瞬間、予想とは違う妹の声が聴こえて、取り出したケータイを操作する手が止まった。


は?なんだ、その反応。



『す、すっごーい!こんなに貰ったの!?』

「え?」

『なのに、みんなで独り占めしてたなんて…。なんで!?そんなのズルい!!』

「あ、あれれれ?」

『もしかして、バレンタインの日からずっと!?』



怒っているというよりは、羨ましそうな声のトーン。それに、キラキラした瞳でチョコレートの山を眺める妹に、再び全員が顔を見合わせる。
まさかとは思うけど、この展開はもしや……。

翔ちゃんが代表で前へ出て杏奈に質問するけど、もはや翔ちゃんじゃなく、翔ちゃんが持ってる、翔ちゃんのチョコレートに釘付けだ。



「杏奈…?怒ってないの?」

『? 、怒るってなんで?そりゃあ、仲間外れのことは怒ってるけど…』

「いや、そうじゃなくてさ…。だって、いつもだったらこういう、…恋愛ごとのイベントっつーの?杏奈、いつも嫌がるじゃん?」

『でも、チョコレートは好きだもん』

「「「「「!?」」」」」

『私も食べたーいっ!』



そう言って翔ちゃんのチョコレートをひったくると、兄貴の隣の席に座り、嬉しそうに頬張る。
さっきまでの俺たちとは全く違う食べっぷりに、困惑は隠せないけど、怒ったり泣いたりするよりはマシ!と踏んだのか、雅紀も同じように明るい声を出す。



…話を聴くに、どうやらブラコンすぎて面倒臭い、この可愛い妹はチョコレートが大好きらしい。
だから、バレンタインという恋愛ごとのイベントも、この際、目を瞑る…ってことなんだろうか。
でもそれって、つまりは俺たちよりチョコレートの方がランクが上ってことで、その事実に些か不満なのは、たぶん俺だけじゃないはずだ。


あれー?なんなんだろう、これ。なんか、すげームカツク。



「おお…。杏奈、よく飽きねーなぁ…。俺たちは、もう1個も食べられないぐらいだったのに」

『え〜?だって美味しいじゃん。それに、飽きるんだったら家で溶かして、チョコレート・フォンデュにして食べたりすれば良いのに』

「あ、なるほど…」

『っていうか、せめて飲み物ぐらい用意すればいいのに〜!ふふ』



無邪気に笑いながらチョコレートを食べる妹は、確かに微笑ましい。
でも、俺たちはあれほど悩みながら必死に消化してたわけで、こうなってしまうと、どこに苛立ちをぶつければいいのか、っつー話しだ。
俺の隣に立つ潤くんも、“マジでこの数日間の努力って何だったんだよ…”と、ため息と共に小さく呟く。


すると、そんな俺たちに追討ちをかけるように、チョコレートの箱に書かれた宛名を見て、可愛い妹がとんでもない爆弾を投げてきた。



『…なんか、意外と和兄ぃと潤くんってモテないんだね?』

「「!!?」」

『翔ちゃんや智くん宛ては、こんなに多いのに!』

「「っ、…!」」

「ひゃひゃひゃ!」



杏奈の発言に、バカ笑いする雅紀。
翔ちゃんと兄貴も、口を押さえたり、俯いて口元を隠すけど、笑いを押さえるのに必死なのは一目瞭然。


5人の中で、俺たち2人が一番妹の為に努力した結果なはずが、どこでどうなったのか、なかなか理解し難い展開だ。
それでも、結局潤くんと顔を見合わせてこんなことを口走っちゃうのは、やっぱり妹が可愛いからで……、



「今からでも、断った分のチョコレート貰ってこよっかな…」

「いや、…もう捨てるか、自分で食っちゃってるだろ、それ…」



来年のバレンタインは、ぜってー死ぬほど食わせてやる。

“もう要らない”って、言うぐらいに…ね。





End.


→ あとがき





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