四男とのプール掃除体験記 - 1/2
空を見上げると、思わず目を背けたくなるほど輝く太陽。 タイルの上の水は、これでもかというほど綺麗にキラキラと光っている。 聞こえるのは、ホースから流れる水の音と、セミの声。
それに、和兄ぃが文句を言う声だけだ。
「マジで最悪…」
『同感…』
私がそう言うと、“こうなったのはお前のせいだろ!”と甲高い声を上げる。 その言葉にムカっときて、つい、水の溜まった部分を素足で蹴り和兄ぃに向かって掛けてやった。
「ちょっ!?杏奈、お前!」
せっかくの夏休み。でも、学生ならではの夏期講習という残念なイベント。 いつもの調子で講習を受けていたら、先生に注意をされてしまいまった。 そして今は、その罰としてプール掃除の真っ最中というわけなのだ。
なぜか、和兄ぃと2人揃って。
『これは私のせいだけじゃないもん!和兄ぃのは自分のせい!』
うちの学校では、夏期講習は学年別に講義室であるホールで行われている。 だから、潤くんと和兄ぃと一緒に座って受けていたのだけど、どうにもこうにも退屈だった。 今日の講習が、得意な英語だったというせいもある。
調子に乗って、プリントの裏に1人しりとりをして遊んでいたら、あっさり見つかってしまい、同時にゲームをしていた和兄ぃも見つかってしまったのだ。 私の隣では、潤くんがため息を吐いて呆れていた。
「っ、冷て…。だいたい、なんで1人でしりとりなんかして遊んでんの。しかも、自分でやって自分でウケてるし。バカじゃない?」
『…だ、だって、潤くん、誘ってもやってくれないんだもん。1人でやるしか無いじゃん!』
「はぁ…。杏奈、お前さー…。潤くんが授業中にやると思ってんの?そもそも真面目に授業受けてるんだから、誘うなよなー」
そう言って、諦めたようにブラシでプールを磨いていく、和兄ぃ。 私も下がってきたジャージの裾を上げ、水を辺りに撒いていく。
先日、智くんと授業をサボった時とは違って、今日は雲一つ無い。 せっかく塗った日焼け止めが落ちていないかだけが、ちょっと心配だった。 帰ったら、潤くんと翔ちゃんに怒られると分かっているだけに、更に日焼けをして怒られたくはない。
この前のサボった時だって、サボったこと以上に、潤くんには日焼けをしてしまったことを怒られたのだ。 智くんは“潤にもメール送っておくべきだったなぁ”とか、ワケ分かんないこと言ってるし、雅兄ぃは笑って見てるしで大変だった。 翔ちゃんだけは、珍しく何も言わなかったのが不思議だったけれど。
『あーあ!プール掃除じゃなくて、早く海に行きたいなぁ…』
退屈してきたのと、日焼けを怒られたことを思い出して、なんとなく呟く。 その言葉にブラシの音が止まって、和兄ぃが“は?何海って”と言う。
『ああ…。あのね、夏期講習が終わったらみんなで海に行きたいね、って、雅兄ぃと話してたの。それで』
夏休みに入ったこともあって、ここ最近は雅兄ぃとずっと計画を練っている。 第一候補は何といっても海で、そのせいか“海に行きたい”というのが口癖になっていた。
でも、海が嫌いな和兄ぃは、今の計画を聞いて顔を歪めてしまう。
「うーわー。俺、行きたくない。行くんだったら、雅紀と2人だけで行けよ。俺は家にいるから」
『えー?!なんでっ?潤くんも翔ちゃんも賛成してくれたよ?智くんも、釣り出来るって喜んでたし!』
「靴に砂つくの嫌なんだよー。潮で服もベタベタになるし。それに、まだ計画段階でしょ?他のとこにしてくれよ、せめて」
『ヤダ!海がいいんだもん。それに全員参加だからね!だから和兄ぃが嫌でも、無理矢理連れて行きます。砂ぐらい我慢して!』
「最悪…」
そう言って、またブラシを動かしていく。 文句は言うくせに、きちんと言われたことをやっていく和兄ぃは、やっぱり潤くんたちと同じで真面目なんだと思う。 これが雅兄ぃや智くんとだったら、絶対に夕方になっても終わらない自信がある。
けど、今はその変わらない、読めない表情に、不安だけが胸に残った。
『で、でもさー…?絶対に楽しいよ。海。みんなで行くんだし』
「まあねー」
『潤くんが、バーベキューやろう、って言ってたし』
「ふーん」
『智くんも、釣った魚食べようね、って!』
「ああ、そう」
“全員で海に行きたい”
だから、乗り気じゃない和兄ぃをその気にさせたくて、なんとか言葉を掛けるけど、反応は冷たい。 いつもだったら、これだけしつこく言っていれば、うんざりした顔をしつつも“分かった”って言ってくれるはずなのに。
『和兄ぃ…?』
その妙に冷たい態度に不安になって、小さく名前を呼んだ。 もしかしたら、プール掃除をする羽目になって、本気で私を怒っているんじゃないか、とか。 そうじゃなくても、嫌いだって分かっている海に誘って、嫌な気分にさせたのかも、とか。
「…!…」
これぐらいで、こんな風になるのはバカみたいだって分かってる。 でも、私は和兄ぃがどんなにキツイ言い方をしても、優しいって分かっているから。 だから、余計に怖いだけだ。それだけだ。
別に、泣いてなんかないんだから。
「おまっ…。あー、もう。…なんで、これぐらいで泣くかなー。てか、今のやり取りに泣く要素なんてないでしょう。ったく…」
『泣いてないもん…』
「あー、はいはい。別になんだっていいよ。とりあえず、涙は拭くよ?潤くんたちに気付かれたら、俺が怒られんだからさー」
持っていたブラシをそのまま放し、目の前に立つと、首に掛けていたタオルで私の頬をこする。 そして、“家に帰る前に目薬差してね”と言い、私の赤くなった瞳を見つめた。 タオル越しでも和兄ぃの体温が分かって、また泣きそうになってしまう。
『…ねえ、海に行こうよー…。みんなで』
「は?まさか、本当にそれだけで泣いたの?冗談でしょ?」
『うるさいなぁ!…それとも、もしかして彼女でもいるの?また、…告白された?』
「まだ、その話題引きずってんのかよ…。マジでいい加減にしろよなー。お前」
そう言うと、ため息をひとつ吐いて、すぐに頬を両手で押さえられる。 そして、小さい子供に言い聞かせるように、こう言われた。
「…別に絶対に海に行かない、って言ってるわけじゃないでしょ?話はちゃんと聞けよ。俺は、さっさと掃除を終わらせて家に帰りたいだけなの」
『………』
「なのに、お前は全然仕事しないしさー。お願いだから、手は動かせよ。またこんなとこに長時間いて、夏バテとかしたくないでしょ?」
『は、い…』
「なら、よろしい。帰りにジュース奢ってやるから、早く終わらせるぞ」
頭にポンと手を乗せて、和兄ぃが笑う。 そして、私はまた、関係の無いことを考える。
――― これだから、和兄ぃはモテるのだ。
同じ学年だからか、噂は色々と聞こえてくる。 自分のクラスメイトである女の子たちが、和兄ぃが迎えに来てくれる度にキャーキャー言うのも気付いている。 その手の情報によると、潤くんもモテるだろうけど、人懐っこくて、こういうギャップがある分、和兄ぃの方が人気があるらしい。
『あれ…。メール?』
「?」
和兄ぃが投げ出したブラシを再び取った瞬間、私のケータイがポケットの中で鳴った。 開いて確認すると、送信者は先に帰ったはずの雅兄ぃ。
そして思わず、そのメール内容に2人で声を揃えてしまう。
“みんなでファミレスで待ってるよー!早く来ないと、杏奈たちの分のかき氷食べちゃうからね!”
「『…なんかムカツク』」
その時、様子を見に来た先生が、一見何もしていない私たちに向かって大きな声を荒げた。 プール掃除を命じた、大っ嫌いな男の先生だ。
「おい、お前ら!ちゃんとやってんのか!」
だから、また2人で声を揃える。 雅兄ぃのメールと先生のせいで、さっきまで泣いていたことは、もう忘れてしまっていた。
「『やってますから!!』」
普段は憎まれ口ばかり言い合ってるけど、呼吸は和兄ぃとが一番合ってるの。
だから、やっぱり大好きなんだと思う。きっと。
End.
→ あとがき
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