長男との午後の逃避行 - 1/2
side. O
「いい天気だなぁ〜」
『ねー?ピクニックしてるみたいだよね!ふふ』
校舎の裏庭でフェンスに寄りかかりながら、そんな会話を繰り返している。 大きな木があるおかげで、俺たち2人がいる場所には影が出来ているけど、空は相変わらず青くて、額からは汗がじんわりと浮き出た。 隣では妹の杏奈が、夏服になったばかりのはずのシャツの袖を肩まで引き上げている。 しわくちゃになってしまった制服に、家に帰ったら潤に怒られるんじゃないか、と密かに思う。
――― 只今、5限目の授業からエスケープ中だ。
『やっぱり、外の方がまだ気持ちいいね』
杏奈が、空に浮かぶ白い雲を見ながら、呟くように言う。 事の発端は、昼休みの時のことだった。
いつものように6人で集まって、弁当を食べていたランチタイム。 今日は、また翔くんの権限を利用して生徒会室に居た。
午後にはテストがあるという雅紀は、弁当を食べながらも翔くんに勉強を教わっていたのを思い出す。 和と潤も、“数学はどこまで進んだ?”なんて、言い合っていたっけ。 なのに、同じ1年生である杏奈はその会話にも加わらず、ただひたすらにおにぎりを口に運んでいて、その様子に思わず、勉強を教えていた翔くんが心配になって声を掛けるほどだったのだ。
でも昼休みが終わって、それぞれが教室に戻る途中。 なんとなく俺が、“どうかしたの?”と訊くと、返ってきた答えはシンプルなものだった。
“暑いし、寒いし、もう嫌だ!”
「………」
俺にはよく分からないけど、エアコンが利きすぎている校内と外との温度差に、杏奈はだいぶ参ってしまっていたらしい。 そういえば、確かにここ2週間はぼーっとしていることが多かった。 7月上旬にして、早くも夏バテしちゃったらしい。 だから、つい。可哀想だなぁ、と思って、“サボるか!”って言っちゃったのだ。
『…今頃、みんな授業に出てるんだよね。翔ちゃんや潤くんに、バレてないといいけど』
「うーん…。大丈夫だべ。気付いてれば連絡来るだろうし」
そばに咲いていた花の花びらを千切りながら、杏奈が心配そうに言う。 こっそり皆の輪から抜け出して来たものの、やっぱり人一倍厳しい2人のことは気になるらしい。 確かに翔くんと潤がこのことを知ったら、ちょっとマズイ気がしなくもない。 でも俺から言わせれば、人一倍甘いのも、あの2人だと思ってる。だからきっと、大丈夫だ。たぶん。
すると、杏奈が突然クスクスと笑い出す。
「…何?どうかしたの?」
『ふふ…。そういえば、雅兄ぃはテストだったなぁ、と思って』
「ああ…」
『きっと、髪の毛グシャグシャにしながら問題解いてるんだろうなぁ、って。想像したら笑っちゃった。ふふ』
雅紀はパニックになると、頭をかいて髪をグシャグシャにする癖がある。 家で勉強している時もそんな感じで、その度に杏奈が美容師ごっこをするように、後ろから雅紀の髪をとかすのだ。
「んふふ…。確かに」
テストじゃなかったら、このエスケープに誘ってあげても良かったんだけど。 でも、雅紀は意外に真面目だから、授業をサボるようなことはしないかもしれない。
『…和兄ぃはね、たぶんDSいじってると思う。前に移動教室の時に和兄ぃのクラス覗いたら、そうだったもん』
「え…。それ、バレないの?」
『分かんない。でも、どっちにしろバレても、和兄ぃの態度は変わらないと思う』
「ふーん…。潤は?」
『潤くんはちゃんと真面目に授業受けてたよ?私が覗いてたら気付いて、“早く行け!”って怒られたけど…』
その時のことを思い出して、杏奈が唇を尖らす。 でも俺は、それが容易に想像出来て、つい笑ってしまう。
「ふふふ。ダメじゃん、杏奈」
『! 、なんでそういうこと言うの!だったら智くんは、ちゃんと真面目に授業受けてる?』
「うーん…」
『………』
そう訊かれ、授業中に自分が何をしているのか、考えてみる。
窓の外を眺めるでしょ、飽きたら机に絵を描くでしょ。だって、教科書にはもう描くスペースが無いから。 それに……、
「…寝てる」
『…智くんだってダメじゃん。よく怒られないね?先生に』
「分かんない…。怒られてるのかも。眠いから、あんまり覚えてないんだよね。んふふふ」
俺が答えると、“何それ〜!”と杏奈が笑う。 そして俺は、その様子を見てほっとする。
たかが夏バテとは言え、元気がなかったのは事実だから。 他の4人も弁当を食べつつ、凄く心配していたし。 授業をサボるのは良くないけど、可愛い妹のためなら、時にはこんなのもアリだと思う。
これが、翔くんや潤にバレても、俺が“大丈夫”だと思う理由。ちゃんと言い訳は出来ているんだ。
「んふふふ…」
『ふふふ』
しばらく2人で笑いながら空を眺めていると、雲が動いて形が変わって行った。 そして、ふいに杏奈が、“ドラえもんで雲の形を変える道具あったよね。あれ欲しいなぁ”とまた呟く。 だから俺が“あれ、クジラに見えない?”と訊くと、“違うよ、イルカだよ”と言われてしまう。
「ええ〜?そうかぁ?クジラだべ」
『ふふ!違うってば。絶対にイルカだよ〜……!…』
「ん?」
ずっと、そんなやり取りを続けていると、杏奈のケータイが震えたらしい。 開いて確認すると、その表情は空の青さとは反対に曇っていく。
「…どうかした?」
俺が訊くと、杏奈がケータイ画面を見せる。 そこには、メール受信を知らせる画面。
送信者は、“翔ちゃん”。
「え?!翔くん?」
『な、なんで、今頃?!』
授業が始まってもう20分は過ぎたはずなのに、このタイミングでの翔くんのメールに、2人で慌ててしまう。 けど、確認しないとどうすることも出来ないので、深呼吸をした後、杏奈の“いくよ?”の声を合図にメールを開いた。 そして恐る恐る、2人で身を寄せてケータイを覗き込む。
「『 …え?』」
でも、その内容を確認した瞬間。ドキドキしていたのも束の間、今度はきょとんとしてしまう。
“見えてるよ、バカ!サボるなら、ちゃんと隠れろって!”
近くの新校舎の窓をひとつひとつ確認して行くと、そのひとつに、必死で“ずれろ”とばかりに、ジェスチャーを繰り返している人影を見つける。 それは確かに、さっきまで我が家の三男に勉強を教えていた翔くんだった。
「あ…。あそこか」
『翔ちゃん…』
そういえば、午後は移動教室だとか何とか、言っていた気がする。 きっと、その教室で授業を受けていたら、俺たちが視界に入ったんだろう。 翔くん、視力も凄く良いから。
『わわ…!ちょっと、ずれた方が良いかな?』
翔くんからのメールに杏奈はパニックになるけど、逆に俺は楽しくなってくる。 だって生徒会長のくせに、先にサボリを追及しないんだもん。
「んふふふ…。だね」
なんとも翔くんらしいやり方に、俺の“大丈夫”は更に確実になっていく。 だから、指示通りに隅に移動しつつ、後で会った時に怒られないためにも、俺も杏奈に指示を出す。
ここから見る限り、移動する様子に、翔くんもほっとしているようだった。
「…杏奈。翔くんに、“大好き”ってメール送っておいて」
『え?なんで?』
「んふふ。なんでも」
これも、例えバレても“大丈夫”だって、思える理由の一つ。 翔くんだけじゃなくて、他の3人にも有効な、最強の技。 どんなに怒っていても、この技に勝るものはないと俺は思ってる。
「ハートの絵文字忘れないでね?」
だって、妹からのラヴ・メールには、全員弱いからね。
End.
→ あとがき
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