それぞれのテスト期間 - 1/2


side. N



「はう・あー・ゆー…どぅーいんぐ・ぜあー?…ぜあー?」



俺の目の前で、雅紀が会話文を口にしながらノートに書き込む。
その発音は明らかに日本語発音で、しかも意味を理解していないのが一目瞭然だ。



「………」



その雅紀の隣では、同じようにノートを広げる翔ちゃん。
でも、あまりにも酷過ぎる弟を横にしているせいで、そのペンはなかなか進んでいない。
雅紀がつまずく度に、心配そうに様子を見ている。



『意味分かんない…』

「だから、まずはy=x^2-2*(a-1)*x+(a-2)^2のグラフを描いてみろって。そうすれば、すぐ分かるはずだろ」



俺の横でも、出来ない妹を相手に奮闘する人がいる。
数学の二次方程式について、さっきから潤くんが隣に座る杏奈に、延々と同じ説明をしているのだ。
けど、当人は全く理解している気配が無い。
俺が思うに、杏奈は【αの範囲】を求めようとしているんだろう。

本当は、【aの範囲】なのに。



「んふ…」



その杏奈の目の前では、我が家の長男が一心不乱にペンを動かしている。
隣の翔ちゃんが、“【loose】の意味、ちゃんと分かってる?”なんて、雅紀のせいで自分の勉強を中断させられているのに対して、こっちは手が真っ黒になるほど真剣に取り組んでいた。
たぶん、もうしばらくすればその翔ちゃんが、“智くん、絵描いてないでちゃんとやろーよ!”と注意してくれるはずだ。



「はぁ…。眠…」



そして俺はそんな自分の兄妹たちを見ながら、欠伸をひとつ。
時計を見ると、針は22時半を過ぎたところだった。



――― 只今、テスト期間の真っ最中。



ここ1週間はずっと、こんな風に全員でダイニングテーブルを囲んで勉強をしている。
約3名はこの勉強方法で合っていると思うけど、翔ちゃんや潤くんがこれでオッケーなのかというと、絶対に違うと思う。
この2人は単独で勉強をしていた方が、ずっとはかどるはずで。
なぜなら、勉強を始めて2時間半。15分おきに、隣にいる兄妹たちに振り回されっぱなしだからだ。


これだけ時間が経っているのに、教えている当人たちの問題集は2ページも進んでいない。



「…ちょっと待て。もしかしてお前、【αの範囲】を求めようとしてる?」



あ。やっと、潤くんも気付いたか。



『? 、違うの?』

「おい、問題文きちんと読めよ!【aの範囲を求めよ】って書いてあるだろ!」

『あららら』

「はぁ…。道理でさっきから話が食い違ってんな―、と思ったんだよ…。うわ。もう20分も経ってんじゃん。何、これまでの時間…」



いや。俺が思うに、20分じゃ足りないと思うけどね?
だって、杏奈に説き伏せる前から、一文字書く度に止まってたじゃんか。潤くん。


そんなことを思って見ていると、2人の様子に気付いた雅紀が笑いだす。



「ひゃひゃひゃ!その間違い酷いね!俺だって分かるよ?そんなの!」

『!? 、うるさいなー!自分だって【loose】と【lose】の意味を取り違えてたくせにー!』

「ぅおいっ!お前ら、そうやって自分に関係無い話は聞いてるのに、俺たちの話は聞いてないのかよ!?どっちもどっちだよ…。ったく…」



翔ちゃんが実状を知って、思わず感嘆の声を上げる。
その目の前で同じことをしていた潤くんも、呆れてため息を漏らした。


てか、2人とも気付くのが遅すぎるんだよなぁ。
この人たち、説明されている脇でチラチラとお互いの様子を伺ってたからね?



「てか、智くんも絵描くの止めよーよ!今!て・す・と・べ・ん・きょ・う・ちゅ・う!!」

「え…?」

『あははは!すっごい手ぇ真っ黒!智くん、ずっと集中して描いてたもんね。いいなー。それ、私欲しい!』

「んふふふ…。じゃあ、出来上がったら杏奈にあげる」

「いや、だから出来上がるも何も、テスト勉強中だ、って翔くん言ってるのに」



うん。つーか、やっぱり杏奈は潤くんの説明を聞いてなかったっぽいな。
“集中して描いてた”なんて、見てなかったら言えないし。



「ねー…。てゆーか俺、やっぱり英語苦手だなぁー。この……、」

「…【a little loose】。“少しゆるい”、な?」

「そう!それが、既に良く分かんないもん。もういいじゃん!ゆるくてもいいから、その服買っちゃえよー!って思うもん!ひゃひゃ」

「会話の内容!?おまっ…。そこじゃねーだろ!そんなこと考えてたのかよ!?」



いや。それだけじゃなくて、やっぱりそもそもの意味を理解してないと思うよ?この人は。


その雅紀のバカ発言に、今度は杏奈が反応して笑いだす。
もう付いて行けなくなったのか、潤くんは席を立って、コーヒーを煎れる準備をキッチンでし始めていた。



『Don’t stop, Masaki! Never give up, Masaki!』

「おお〜!!かっけー!杏奈!!ひゃひゃひゃ!」

「んふふふ…。発音良いな〜、杏奈」



杏奈は数学はてんでダメだけど、英語だけは得意だ。
そういう意味では、杏奈と翔ちゃんは似ているのかもしれない。
2人とも、どちらかというと文系の科目の方が好きみたいだから。



「俺もなー。数学だったらまだ出来るんだけどなー。…もう、なんていうか英語って謎じゃん!?」

『えー?数学の方が謎じゃない?この二次方程式なんて、絶対将来使わないもん!でも、英語はまだ使う可能性があるでしょ?』

「お前ら…」



呆れている翔ちゃんを無視して、杏奈が雅紀の問題集を“見せて”と言って受け取る。
そして、ネイティヴのような発音でその会話文を読んでいった。



『…How are you doing there? It doesn’t fit. I guess this is a little loose. Could I try the next size down?』

「おー!!」

『ふふふ。…Let me see. May I come in? Yeah, It’s too large. Would you like to try a smaller size? Yeah, but do you,』

「コーヒー飲む人ー?」

『!? 、ちょっと!潤くん、ひどい!今、私がせっかく、』

「はーい。サンキューな、潤」

『翔ちゃん!?』

「あひゃひゃひゃ!はーい!俺も俺も!」

「んふふふ。俺も飲む」

『!?』



潤くんが声を掛けたのを機に、全員が杏奈を無視してコーヒーを頼み始める。
その扱いにショックを受けていることには気付いていたけど、俺も構うことなく、全員に続いた。



「杏奈は?飲むの?」

『…飲む』



さすが潤くん。ちゃんと大事な妹は忘れたりしない。
杏奈も、基本的に潤くんに対しては素直だ。
その答えに、“了解”と言ってコーヒーを静かに注ぎ始める。



『みんなムカツク!』

「ひゃひゃひゃ!冗談だって、杏奈〜。少なくとも俺は杏奈のこと大好きだよ!ひゃひゃ」

「え?俺も好きだよ、杏奈のこと。翔くんもだべ?」

「え?あ、ああ。うんうん、もちろん!」

『………』



膝を抱えて拗ねる我が家のお姫様に、こんな無意味な競い合いをしているのを見ると、やっぱり“みんな甘いな”と思う。
潤くんも“バカじゃねーの”なんて言うけど、そう言ってる本人が一番可愛がっていることには気付いてないんだろうか。


すると、今度は雅紀が杏奈の数学の問題集に手を伸ばした。



「…ほらね?俺、これだったら出来るんだよねー。だって、これってX軸と2点で交わるように放物線を描いてさ…、こうして、……ねえ、翔ちゃん。こうでしょ?これでいいんだよね?」

「えっと…。うん、そう。そういうこと」



翔ちゃんに出た答えと、その過程を見せて、合っているのか訊く。
見事に正解していたらしく、ちょっと得意気な顔を雅紀がしたのが、なんかムカツいた。
だって、それって1年のじゃん。この人、2年だよ?出来て当然だろ、普通。


その様子に杏奈が悔しそうに見ていると、潤くんがプレートに6つ分のカップを乗せてテーブルに戻って来た。



「お待たせ…。ミルク使う人はここに置いておくから。勝手に使って」

『ありがと、潤くん』

「うん、うまい」

「翔ちゃん、俺のやつ取って―」

「はいはい。ノートの上に零すなよー?」



口々に潤くんにお礼を言い、束の間のコーヒー・ブレイクを楽しむ。
俺はそのコーヒーを飲みつつ、またひとつ欠伸をした。


時間は23時になろうとしているのにカフェインを摂るなんて、こりゃ“先に寝るわ”なんて言えないなー。
みんな、何時まで勉強するつもりなんだか。



「今思ったんだけどさ」

『うん?』

「何?智くん」



真っ黒の手のままコーヒーを飲んでいる人が、杏奈と雅紀を見ながら、とんでもないことを言いだすのはこの3秒後だ。



「…杏奈と雅紀は、お互いのテストを代わって受けた方がいいかもね?」

「『!!』」

「は?」

「っつ! 、ダメだって智くん!そんなこと言っちゃ!!こいつら、本気でやりかねないから!!」



翔ちゃんが慌てて制止するけど、もう遅いと思うよ?
なんかもう、すげー楽しそうな目でお互い見合ってるもん。出来るわけないのに。



「つーかさ、それよりも和は勉強しなくていいの?」



そんなバカな2人を横目で確認していると、潤くんが俺のカップの前にミルクを差し出しながら訊いてきた。



「…ずっと、ゲームやってるけど」

「「「『!!』」」」



その問いかけに、全員の視線が俺の手元にあるDSに集まる。



「うん。別に平気。ちゃんと授業は聞いてるし」



そうなの。俺だけは教科書もノートも開かないで、ずっとゲームをやってたの。
だって、確実に1人で勉強した方がはかどるからさ。それに、何より……。



「ちょっとくらい勉強しなくても、この人たちよりかは良い点取れるから」

『なっ…!?』

「おいっ!」

「ふっ…」

「ははっ。確かに!」



俺の放った一言に、杏奈と雅紀が文句を言うけど、だってそうでしょ?
少なくとも平均より上は行くよ。先に言ったように授業はきちんと受けてるし、宿題もやってるし。
得意科目と苦手科目との差が激しすぎることもないしね。



『ムカツクー!絶対に和兄ぃには負けないんだから!』

「俺も!俺も!」

「いや。お前は2年なんだから、勝ち負け比べられないだろ。ま、それでも負けはしないけどね?んふふふ」

「あ゛ーーっ!もういいから、さっさと勉強進めるぞ!どっちにしろ、先生たちに色々言われるの俺なんだから、ちゃんとやってくれよー…」

「はい、杏奈。出来たよ、絵」

「…兄貴。一応言っておくけど、たぶん和の言う“この人たち”の中には、兄貴も入ってると思うよ?」

「え…。そうなの?」



うん。入ってるよ。負ける気しない。



『智くん、雅兄ぃ、頑張ろうね!!?』



杏奈の呼びかけに、いつもの2人が声を揃える。
その隣では、うんざりしている様子の翔ちゃんに潤くん。
そして俺もこの瞬間、密かにあることを決めていた。



――― もし明日もこの調子だったら、俺は1人で勉強しよう。



だって、俺たち兄妹だからさ。良い所も悪い所も、よく分かってるの。
この3人が、ミラクル起こせちゃうヤツらだってことも、ね?
だから、翔ちゃんと潤くんには悪いけど、この人たちの面倒は任せるよ。
俺は単独で勉強させてもらう。



「んふふふ。まあ、せいぜい頑張れば?」



だって、負けたくないもん。俺。





End.


→ あとがき





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