上司の本音
side. S
書類をトントンと揃え、ファイルに挟め直す。 まだ、企画を考える最初の最初という段階なのに、きちんとファイルに入れて持ってくる辺りがやっぱり女の子だ。なんつーか、男では考えられないきめ細かさ、っていうか。
「杏奈ちゃん、この企画すげー良いと思うよ。最後のページの部分だけ、ちょっと手直し必要だけど、このまま進めて問題無いと思う。俺なりにヒントだけは書いておいたから、後で見直しておいて?」
『あ…!は、はい!ありがとうございます!』
そうアドバイスすると、俺が渡した企画書のファイルを抱えたまま、彼女はほんのり頬を赤くして、深々とお辞儀をする。 ちょうどランチタイムになる時間ということもあり、失礼します、と言った後、わざわざ迎えに来た二宮と、昼飯を食いに外へ出て行った。
「はは…!つーか、ファイル持ったまんま行っちゃったし。気付いてねーのかな?」
敢えて持って行ったのか、否かはともかく。上司として、彼女の頑張りに驚かされてばかりいるのは本当のことだ。 正直、初めて居酒屋で会って話を聴いた時は、ちょっと大袈裟というか、若い部下によくある不満の一つだと思っていたんだけど。 偶然にも、彼女の上司として再会してから今日まで見てて分かったのは、その努力も仕事ぶりも、確かにきちんと評価されるべきだ、ということだった。
「ったく…。今までの上司は何してたんだか…」
それまでの彼女の上司に、つい愚痴を零してしまうけど、見ているヤツはやっぱりちゃんと見ている。 実は先日、以前いた会社の同期のヤツから、杏奈ちゃんをくれないか、と相談を持ちかけられたのだ。 なんでも、彼女が企画担当したイベントを見ていたらしく、それで引き抜きたい、ってことだったんだけど……、
“悪ぃけど、彼女は俺のだから”
…なーんて、二つ返事で断ったことは、まだ本人には言えてない。 言えば、やる気も今以上にアップするんだろうけど、本当にあっちの会社に持ってかれちゃあ、裏目になるにも程がある。
「第一に、ちゃんと見てんのは俺も同じだっつーの…」
地道の努力が一番大変で、誰にでも出来るわけじゃないのは、俺自身も経験していることだから、よく分かっている。 だからこそ、それをひたむきに続けている姿を、ちゃんと見ているヤツはいるんだって、いつか彼女に伝わればいいな、と思う。 ただ、そう思うのは上司としてだけじゃなく、あの日、居酒屋で悩みを聴いた1人の男として…でもあった。
「我ながら、すげーやっかいだな、この感情…」
この会社に来て、恋愛方面にはとことん鈍い俺だけど、なんとなく、二宮や、彼女と出会ったあの居酒屋の店主とか。 なんか探せば他にもいそーだけど、彼女を狙っているヤツらは確実にいる気がして。 仮にも、上司になった、なってしまった。いや、なったのは嬉しいし、運命的なものもすげー感じたんだけど。 でもそれ故に、なかなか次の一歩が踏み出せないでいるのも、事実なわけで。
「だあーっ!マジで情けねぇ…!」
それでも、動き出さなければ何も変わらないことも、ちゃんと分かっているから。
だから、
「つーか、あのファイル…。もしかして、二宮と一緒に見るんじゃない…よ、な…?」
だから、まずはさっきの企画書に仕込んだメッセージに、彼女がどう反応してくれるか、だ。 もしかしたら、ライバル(仮)の1人を、予想外に牽制することになっていたとしても。
【この前の居酒屋で、俺の歓迎会をしてもらえませんか?櫻井】
End.
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