それぞれのクリスマス
side. S
「サンタと…、トナカイ……だよな?これって」
店頭のボードを見て、そう呟いた。 いつものようにその日のオススメと、今日だからこその“クリスマスフェア!からあげ半額です!”という、女の子ならではの可愛い字。それに、サンタの絵。 なのに、そのサンタの横におどろおどろしいトナカイ(…だと祈る)も描かれているせいで、え?今日ってハロウィンだったっけ?と日付を確認してしまう。 たぶん、トナカイ(…しつこいけど、そう祈る)は店長である相葉くんが描いたんだろうけど、それにしたって、これはちょっと酷い。
「ぃらっしゃいま…、あー、櫻井さん!こんばんは〜!ひゃひゃ」
「どうも。…分かってはいたけど、今日はいつも以上に賑やかだな〜…。小春ちゃんもお疲れ様」
『クリスマス、ですからね。お気遣いありがとうございます。どうぞ、カウンター空いてるんで座って下さい』
店の扉を開けると、相変わらずの温かい空間。でも、今日は華やかさもある。 ところどころにクリスマスの飾付けがされているし、加えて店長はトナカイ、店員の小春ちゃんはサンタのコスプレだ。 ほとんど完璧に埋まった客席も大賑わいと言ったところで、カウンターに席が空いていることが、逆に不思議なほどだった。 でも、そのいつもの席を見て、なるほどな、と思う。これなら、自分の分の席が用意されていても不思議ではない。
『! 、櫻井さん…!お疲れ様です。…あれー?なんでー?』
「え?」
「んふふふ。だから、言ったでしょーが。はい、杏奈の負けー。ビール奢ってね」
『もー、悔しいなぁ。…相葉さん、ニノに生ビール1杯お願いします』
「ひゃひゃ。かしこまりました〜!」
俺の顔を見た瞬間、きょとんとする杏奈ちゃんと、逆にニヤリと笑う二宮。 よく分からない反応に若干不安になるけど、その前に二宮が、クスクス笑いながらネタバラしをする。
「いやね、今日ここに翔さんが来るか来ないか、杏奈とビール賭けてたのよ」
「は?賭け?」
「クリスマスじゃん?今日。だから、杏奈は来ない方に賭けてたんだけど、俺は絶対に来ると思ってたから、翔さんは。お陰様で、いいクリスマスプレゼント貰えましたよ。んふふ」
「!?」
そう言って、奢って貰ったという生ビールを旨そうに飲む。そんな二宮と俺の間に座る杏奈ちゃんは、申し訳無さそうに頭をさげた。 普通だったら、何勝手に賭けの対象にしてんだよ!つーか、お前らだってクリスマスにここに来てんじゃん!とか何とか言うとこだけど、良くも悪くも杏奈ちゃんがいるおかげで醜態を晒さずに済む。 そもそも、彼女本人が、てか私とニノも他に行くとこ無いの?って感じですよね…と先にシュンとするので(そんな表情も可愛い、けど)何も言えなかった。 俺としては、特別な日に偶然でも一緒に過ごせることと、そんな日に彼女がここにいる意味と理由を想像して、内心凄く安心しているし、メチャクチャ嬉しいんだけど。
「ちょっ!?杏奈ちゃんもニノも酷くなーい!?俺は2人が来てくれて、すっごく嬉しいよ!?」
「いや、知らないから、あなたの事情は。てか、まだ注文したからあげ来てないんですけど」
「えっ?」
「え、じゃないよ。それに、表のボードのトナカイはなんなのよ。怖すぎでしょ」
「はは!それは俺も同じこと思ったわ。今日ってハロウィン?って」
『ふふ。でも、相葉さんが着てるトナカイは可愛い。似合ってる』
杏奈ちゃんがにっこり笑ってそう言うと、相葉くんも嬉しそうに笑い返す。 その笑顔に、好意があるからこその喜びがあるなんて、言った本人も笑顔を返した方も気付いてはいないけど、ぶっちゃけ全部だだ漏れだ。俺はもちろん、二宮だって、それにすぐに気付いたと思う。 だって、なんか見たことあるもん…。ああいう何気ない一言にドキっとして、一喜一憂する感覚知ってるもん、っていう…。
「あ、とりあえずビール貰えます?」
「はーい!かしこまりましたー!」
「あと、からあげ早くねー?」
「っ、分かったっつーの!ちょっと黙ってろってば、もう!」
「ははは!」
今の会社にヘッドハンティングされ働き始めてから、どれぐらいの時間が経ったんだろう。 最初は今まで通り、仕事とプライベートはきっちり分けていこうと思っていた。余計な感情を持ち込まないで、ただ黙々と仕事をこなす。 そうすれば、敵を作ることも無いし、無駄なトラブルにも、くだらない人間関係に悩むことも無いから。
『櫻井さん、今までずっと会社にいたんですか?もしかして』
「いや?取引先のとこに行って、企画のプレゼンがいつ出来るかとか、ちょっと話してただけ。そんな、大したことじゃないよ」
それなのに、ここに来てからは、ずっとこんな感じだ。 気付けば、会社でも、会社の外でも。自然に馴染んで、あっという間にこの空気の中にいるのが心地良くなっていた。 ここで杏奈ちゃんと出会って、仕事の悩みを聴いてしまった時から、もうずっと。 “聴いてしまった”という言い方は、それまでの自分を振り返れば、あながち間違いじゃないはずだ。だって、ここまで会社の仲間に心を開くなんてこと、無かったんだから。
「…ね、聴いてます?」
「え?」
自分の嬉しい変化に浸っていると、二宮がそう声をかける。 隣を見ると、いつの間に席をチェンジしたのか、杏奈ちゃんと二宮の座り位置が変わっていた。今まで二宮が座っていた場所では、杏奈ちゃんが店長の相葉くんと、まだ何か楽しそうに話をしている。
『あ、悪ぃ。聴いてなかった。何?』
「いやね?翔さん、いったいいつ杏奈のこと諦めたんですかー?って訊いたのよ」
「へ?」
「今まで散々協力してやったのに、俺に一言も無いなんて酷くない?っていうかさ?」
「は?何の話…」
「んふふふ。噂の彼女、いつどこで知り合ったの?」
「っ、…!」
耳元でそう囁かれ、なぜかギクっとした。反射的に二宮の方へ向くと、自然と杏奈ちゃんの横顔も視界に入り、聴かれていないことを確認してしまう。 俺のそんな様子にクスクス笑っているのを見るに、二宮もその件については全く本気にはしていないんだろう。
「んなの、俺が訊きてぇよぉ〜…。もう、マジで意味分かんない…」
「ちょっと、仮にも傍に杏奈がいるんだから、情けない声出すのやめなさいって。さすがにそこまではフォロー出来ませんよ、俺?んふふ」
先月にあった智くんの誕生日からの、ちょっとした誤解と騒動。 杏奈ちゃんに言われた言葉を思い出そうとしても、忘れた方がいいと思ったから、もうデータは無いも同然なんだけど。
“彼女さんに贈るプレゼントと間違えたのかな、と思いました”
たぶん、こんな感じだった気がする。一度消去ボックスに入ってしまうと、残念ながらもう復元は出来ないようになっているのだ、俺の場合。 もっと言えば、バックアップは時と場合によりけり、という、何とも都合の良い脳内コンピュータ。 でも、だからと言って、決して彼女が悪いわけじゃないということも、ちゃんと分かっている。
「なんか…俺なりに前進したつもりだったんだけど、それが上手いこと転ばなかったっていうか…」
「? 、ショッピングデート自体は上手くいったんでしょ?杏奈も喜んでたじゃん」
「うん、それはそうなんだけど…。杏奈ちゃん本人にしても、あのイケメン親友にしても、俺の想像以上だったっていうか…」
「…なんで翔さんに彼女がいるっていう誤解の件で、潤くんの名前が出てくんのよ。関係無いはずでしょーが」
「いや…直接は関係無いんだけど、間接的にはあるっていうか…。俺個人の問題なんだけど、空回りした挙げ句、あらゆる意味で先も越されてたんだなっていうか…」
「…よく分かんないけど、とにかく悔しいのね?で、どこでどうなって、彼女がいるなんてことになったのよ、杏奈の中の翔さん設定は」
「それが分かってるなら、こんな悩まないっていうかさ…」
「…まさかとは思いますけど、それからずっと地味に落ち込んでたりしてたんですか?もしかして」
「……」
「っ、ちょっと!んははは!嘘でしょ?」
二宮とビールに操作されてしまったせいか、消去したはずの思い出がどんどん復元されていく。カバンの中には、持ち主を失ったピアスが入ったままだ。 加えて、生まれた誤解とイケメン親友の情報は、追い討ちをかけるには十分すぎた。 こうなってくると、仕事と智くんの友達だという繋がりだけでは、ちょっと太刀打ち出来ないというか、俺じゃあ挽回の仕方が分かんないっていうか……。
「…まあ、そんな感じだろうとは思ってましたよ。仕方ないから、俺がまた世話焼いてあげますかね。ほっんと、手がかかるんだもんなー、翔さんは」
「は?」
「ってことで翔さん、俺、この後用事あるんで、杏奈のことよろしくね?」
「え?」
「一応、杏奈が酔い潰れた時のことも考えて、はい、これ。杏奈ん家の住所。どうせ知らないんでしょ?」
「ちょ…えっ!?」
「ま、俺からのちょっとしたクリスマスプレゼントってことで。んふふふ。あ、因みに杏奈、このままいくと潰れるのは確実ですから」
「!!?」
半ば強引に住所が書かれたメモを渡すと、反論する間を与えることなく、二宮は再び杏奈ちゃんに席を交換するよう促す。 嬉しさ半分、戸惑い半分。 そんな俺に、どうかしましたかー?なんて、にっこり尋ねてくる彼女の頬はピンクに染まっていて、アルコールが効いてきていることは一目瞭然だ。 ふと、二宮たちの分のオーダー表を見ると、2人分だとしても、なかなかの量のビールを飲んでいたことが分かる。
いやいや!どう考えても、クリスマスだからって飲ませすぎだろ!賭けにしても、ちょっとはしゃぎすぎだよ!
「マジかよ…。俺にどうしろっつーんだよ、もぉ〜…」
仕方なく、生ビールを飲んで気を静める。けど、貰ったメモが胸ポケットの中で、生き物のように暴れているような感覚は消えなかった。 隣に彼女がいるという事実も、今となっちゃあ落ち着かなくて、何度もビールを口に運ぶ始末。 でも、そんな俺にストップをかけるように、後ろから小春ちゃんが、小さなケーキを俺に差し出した。
「え?俺、注文してないけど…」
『いえ、これは今日だけのサービスっていうか。今日、店長の誕生日なんで』
「誕生日?クリスマス・イヴが?」
『はい。それで杏奈ちゃんと二宮さんから、そのプレゼントっていうことで頂いた特大ケーキなんです。でも、食べきれないんで、全てのお客さんにお裾分けしてて。だから櫻井さんも、店長の為にも食べてあげて下さいね!ふふ』
そう言って、小春ちゃんは二宮たちにもケーキを渡した後、他の客にも配る為、店内を練り歩く。 思いがけないプレゼントにほんわかしつつも、ついつい隣に居る2人を伺ってしまうのは、俺の中に邪推な気持ちがあるからで。
だって、杏奈ちゃんと二宮で、こんな特別なことを知らず知らずにやってたのか、って思うと、ホントはあいつらデキてんじゃないのか?ってなるでしょ、そりゃあ! 小春ちゃんに想われてるって分かっているはずなのに、二宮は平気で杏奈ちゃんとここに通ってるし…。
「ん?なーに、翔さん。変な目でこっち見て」
「い、いや、別に…」
「そ?ならいーけど」
でも、俺の視線に気付いた2人は、小動物のように目をクリっとさせ、不思議そうに返すだけだった。 そんな2人の関係を疑うのが、酷くバカらしいことだと気付き、俺も遅ればせながら、気を取り直して相葉くんにお祝いの言葉をかける。
あ゛ーー…っ。恋愛のことが絡むと、ほんと人って醜いっていうか、恥ずかしいっていうか…。 マジで、しっかりしろ、俺。じゃないと、きっともうそろそろ……、
「…じゃあ、ケーキも食べたし、俺は用があるんで先に帰るとしますか!」
「!」
「んふふふ。翔さん、よろしくね?」
二宮がそんな風に不適な笑みを浮かべていたことになんか、杏奈ちゃんは全く気付くことなく。予定通り、二宮だけが先に店を後にする。 妙な緊張感に、これまでだって2人で…というシチュエーションがあったことも忘れ、心臓だけが言うことを聴かなくなっていくようだった。
でも、そんな中、杏奈ちゃんだけは楽しそうにビールを飲み続けていて。 クリスマスのせいなのか何なのか。いつもよりもペースが早く、二宮がいなくなり、店主である相葉くんも忙しくなってきた後は、よりテンションが高くなっていた。 でも、いつもとは違すぎる彼女の様子に、心配になるのは当然のことで。これ以上は控えさせる意味でも声をかけると、逆に座った目で見つめ返されドキっとした。 一瞬、確実に潰れるなんて予言を確認するまでもなく、これからのことを色々と考えてしまう。
けど、それはちょっとばかり、行き過ぎた期待だったらしく。
『櫻井さん…お兄ちゃんから、何か聴いてませんか?』
「へ…?智くん、から?」
『はい。なんていうか…、その、…彼女が出来た、とか』
「っ、…!?」
“智くん”というワードはまだしも、そこに続くものが意外すぎて、咳き込みそうになった。 は!?智くんに彼女!?聴いてないどころか、未だかつて見たことも、存在すらも感じたことないんですけど、俺!
「えっと…、俺はそういったことは聴いてないけど、なんで?え?つーか、智くん彼女出来たの?」
『たぶん…』
「たぶん?」
悲しそうに答える声とは裏腹に、その曖昧な表現にクスチョンマークが頭に浮かぶ。 もはやさっきまでのドキドキ感は消え、繋がりそうで繋がらないイメージに、脳がフル活動だ。
『だって、最近いつもケータイ見てはニヤニヤしてて…。そうやってケータイいじってる割に、私が連絡取ろうとする時には繋がらないし…』
「それはでも…それだけで彼女っていうのはさ?連絡つかないなんて、大学時代からしょっちゅうだったし…」
『っ、それだけじゃないんです!お兄ちゃん、寝言で女の人の名前も呼んでて!』
「な、名前!?」
『サユリ…?そんな感じの名前を、ずーっと呼んでるんです!しかも、笑いながら!今日もクリスマスなのに、どっか出かけちゃったし…!もう、私…、』
「杏奈ちゃん…?」
『お兄ちゃんに彼女なんて、そうなったら私、生きていけない!捨てられちゃうなんて嫌!』
「っ、…」
涙目になる杏奈ちゃんに、再び邪推な心が戻ってくる。
本当に愛されてるっていうか、ここまで彼女に想われる智くんは、兄妹だと分かっていてもやっぱり羨ましい。でも、よっぽど智くんが大事にしていないと、こうはならないわけで。 大学を卒業してから期間が空いていたとはいえ、あの智くんがそんな簡単に、いきなり自分優先になれるだろうか?しかも、趣味以外のところで。 だって、大学時代ずっと妹の存在をひた隠しにするほど、大事にしてた人だよ!?俺の想像力が乏しいせいもあるかもだけど、そんな人が彼女って、ちょっと真実味が無さすぎる。
「あのさ…俺なりの意見を言うと、捨てられることはまず無いから安心しなよ。杏奈ちゃんは妹なんだから、そんなの有り得ないでしょ」
『そうですか…?』
「うん。それに今日いないのも、本当にデートか分かんないじゃん。勝手な予想だけど、たぶん言ってないんじゃない?どこに行くかも、誰と行くかも。違う?」
『! 、はい…』
「ははっ。ほらね?」
俺がそう言うと、少しは納得出来たのか、杏奈ちゃんの表情が和らいだ。 そして、ビールを一口飲んで乾きを潤した後、もう一度、諭すように彼女に話す。
「まあ、さ…まだ彼女がいるって決まったわけじゃないんだし、あんまり考えすぎない方がいいんじゃない?それに、智くんが杏奈ちゃんを大事にしてるってのは、俺だけじゃなく、みんな分かってることだからさ。そんな落ち込むようなことじゃない……って、…え?」
“無防備すぎる”
この短時間で、いつの間にか完全に落ちてしまった杏奈ちゃんを見て、そう思った。 二宮の予言通りに潰れ、どうしようもないぐらい可愛い寝顔を見せられ、こんなの何もするな!っていう方が無理だ。 考えるより先に、顔にかかった髪を後ろに流し、そのままそっと、この手で撫でていた。ここが公共の場でもなく、彼女が自分の部下でもなく、友達の妹でもなかったら、たぶん、もっと暴走していたと思う、俺は。
「っ、…相葉くん、ごめん。勘定お願いしていいかな?あと、タクシーも1台呼んでもらえるとありがたいんだけど」
やっとのことでそう申し出た後は、あっという間だった。 彼女をタクシーに乗せ、メモに書かれた住所を運転手に告げ、タクシーの中ではダメ元で智くんに電話をする。ほっとしたことに、無事に智くんとは連絡がついた。
で、も。
『ん〜…』
「!」
こうやって、彼女が俺に寄りかかっているのも、ギュっと俺の手を握ってくるのも、全ての理由は眠っていて無意識だから、というだけの話で。 なんだったら、もっと言えば智くんと間違えられている、ってだけの話なわけで。
だから、自分だけが変に緊張していることは、彼女が酔い潰れた時から分かってはいる。 そして、窓の外の景色を眺めて気を紛らわせてみても、こうしているのが彼女なんだと意識した瞬間、それが無駄な努力となることも分かってはいる。分かってはいるんだ、俺は。
「っ、だから静まれ、俺…!」
そんな、苦しすぎる約20分のドライブもなんとか終え、歩けない杏奈ちゃんを背負って、住んでいるというマンション入り口へと歩き始める。 程なくして、その入り口から智くんが出てくるのが見えた。
「翔くん、悪かったね」
「いや…大丈夫、全然平気。寧ろ、大事な妹さんをこんなになるまで飲ませちゃって、俺の方こそごめんね?」
「いいよ、別に。それに、どうせ半分はニノが飲ませたんだべ?年に何回か、こうやってニノやマツジュンに送られてくるんだよ、杏奈」
「っ、そ、そうなんだ…」
「まあ、こんなほっぺた赤くしてまで、っていうのはちょっと珍しいけどね。久しぶりに見たな、こういうの。んふ、赤ちゃんみたい」
俺の背中で寝息をたてる杏奈ちゃんの頬を指でつつきながら、智くんは目尻を下げて笑う。 いやいや。あんたのせいですよ?なんて言いたくなりつつも、そんな風に愛おし気な智くんの目を見ていると、やっぱり謎の恋人情報は、上手く合致しない。 なので、思い切って智くんに訊いてみることにする。
「あのさ…ちょっと智くんに訊いてもいい?」
「俺?うん、何?」
「杏奈ちゃんが智くんに彼女が出来たかもって、酔い潰れる直前まで不安そうだったんだけど、それって本当?」
「? 、彼女…って、誰に?」
「いや、どう考えても智くんに、でしょ!この話の流れからして」
「? 、でも、俺いないもん、彼女なんて。何言ってんの、翔くん?」
「っ、じゃあ…サユリ?その子はいったい何者なの?寝言で智くんがその名前呼んでたって、杏奈ちゃん言ってたけど」
「サユリ……?知らない。誰、それ?」
「っ、!?」
マンション入り口から、エレベータ。エレベータから、2人が暮らす部屋まで。 ずっと、そんな押し問答を繰り返すけど、智くんから明確な答えは一つも返ってこない。でも、眉間にしわを寄せてまで考えてる智くんが嘘を吐いているとは思えないし、そもそも、そんな器用な真似を出来る人じゃない。 そうなってくると、杏奈ちゃんが耳にしたサユリという女性の名前だけが、どうにも実態が掴めなくなってくる……、
「あっ…!!」
「何?」
「もしかして、サヨリのことか?」
「サヨリ…?誰、それ?」
「バカか、翔くん。サヨリだよ!」
「は?」
「すっげー綺麗なの釣れたんだよ、この前!」
「釣れた?」
「うん、釣ったのは11月だったんだけどね。んふ。サヨリって、港内だと12月頃までイケるらしくて。それからずっと、追っかけてんだ」
「……」
「細長くて、カッコイイんだよ。刺身にしても、焼いても旨いし。今はちょうど成長してデカくなってる時期でさ…」
……なんていうか、こういう感じの真相だとは何となく分かっていたつもりなんだけど、実際に分かると、ちょっと言葉を失うな、これ…。 それなのに杏奈ちゃんは、今日1日だけじゃなく、たぶんここ数日、ずっと悩んでいたわけで。 呆れる俺にも気付かず、饒舌にサヨリについて語る智くんと、可愛い勘違いをして酔い潰れてしまった杏奈ちゃんは、確かに兄妹、って感じだけど。 とりあえず、近い内にまた改めて、安心しなよって言ってやんなきゃな…。君の大好きなお兄さんには彼女なんていないよ、って。
「…つーか、俺にも彼女はいないんだけどな…」
智くんに杏奈ちゃんを無事に返し、マンション入り口から出て、そう呟く。気付けば、空からは雪が降って来ていて、美しいクリスマス・イヴを演出していた。 この雪を彼女と2人で見られなかったことは、確かに残念だし、俺の方の厄介な誤解は解けず仕舞いなんだけど……。
「…ま、総合的には悪くなかった。…よな?」
待たせていたタクシーに再び乗り込み、深呼吸をする。
実はさっき、彼女の手を握り返していたことは、俺だけの秘密だ。
End.
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