居酒屋からあげ
『ここでアルバイトとして働かせて頂けませんか!?』
「へえっ!?」
開店前の居酒屋からあげ。このおかしな名前の居酒屋を見つけたのは、つい2週間前のことだった。 相葉さんという、やたらスタイルの良いイケメンが若き店長で、昔ながらのアットホームな雰囲気のこの店に惚れこんでから、ずっと通い続けている。
でも、本当に惚れ込んでいるのは、カッコいい店長でも、店でも無い。
「え、えーっと…君って、最近よく食べに来てくれる子…だよ、ね?」
『はい。小春って言います』
「で、なんで…えっと、小春ちゃん?小春ちゃんはここで働きたい、なんてことになってんの?俺、アルバイト募集の紙とか貼り出してたっけ?それとも、そんなよーなこといつの間にか口走ってた?もしかして!」
『? 、いいえ。これは私が勝手に思い立ってやってることであって、アルバイトが欲しいとか、この店のそういう事情は聴いたことはありません。ただ…、』
「ただ?」
突然開店前に押しかけてきた、非常識で迷惑極まりない女だというのに、相葉さんはどこまでも誠実に接してくれる。 客席からもよく見える厨房では、モツ煮でも煮込んでいるのか、大きな鍋がグツグツと美味しそうな音を出していた。 まだ常連とは言えないし、相葉さんともほとんど喋ったことがない。でも、アルバイトを必要としていないこの店で働くには、動機を話さないわけにはいかない。 正直、こんなことを他人に話すのは気が進まないのだけれど、人の良さそうなこの店長だったら、私の気持ちも分かってもらえる気がした。っていうか、分かってもらえないと困る。
『ただ…っ、私、ここでよく見るお客さんに一目惚れしちゃったんです!』
「へ?」
『だから、是非ここで働いて、彼のことをもっと知って…!』
「……」
『っ、とにかく!チャンスが欲しいんです!協力はして頂けませんか!?賃金は…半分、…いいえ!無くても結構ですから!!』
「……」
『だから…!だから、お願いします!ここで働かせて下さい!』
体育会系にも程がある頼み方。土下座する勢いで頭を下げ、思わず歯を食いしばった。 ここで働きたい理由が、料理人になりたいからとか、大きな夢があってお金を貯めたいからとか。そんな理由だったら、もうちょっとマシだったろうな、と自分でも思う。 それなのに、この店によく来るお客さんに一目惚れして、その彼と付き合いたいから働きたいって…。 見ず知らずの他人の恋愛の為に店をやっているわけじゃないし!って感じだし、我ながら凄く失礼な話だ。せめて、その一目惚れした相手が相葉さんだったなら、少しは可愛げもあっただろうけど…。
『っ、…お願いします!』
「……」
一か八かの必死の賭け。 確実に断られるのは分かっているけど、それでもほんの少しの希望にすがり付きたくて、恥を忍んでこんなことをしているのだ。
お願いお願いお願いお願いお願いお願い! おねがーーーっい!!
そんな、心の中で大きく叫ぶ声が、きっと聴こえたんだと思う。 耐え切れない沈黙が僅かに続いた後、椅子に座って話を聴いてくれていた相葉さんが、私に不思議な…でも、分かり易い質問をしてきた。
それってつまり……!
「小春ちゃんさ…。からあげって…、作れる?」
『え?』
「からあげ。俺、上手く揚げられなくて、メニューに出すの断念してるんだけどさ?」
『え、えっと…?』
「ふふふふ!…作れるんだったら、雇ってあげてもいーよ?小春ちゃんのこと!」
『!』
「もちろん、賃金有りでね!ひゃひゃ!だって、ちゃんと稼いでオシャレな服とか買っとかないと、その人と付き合うことになった時、着てくの無くて困るでしょ?」
『っ、相葉さん…!』
「ふふっ!明日から来てもらっても大丈夫?」
『は、はい…!もちろんです!』
泣きそうになるのを必死で堪え、しっかり大きな声で、そう返事する。 そして、やったね!と友達のようにハイタッチを求めてくる相葉さんと、笑顔で両手を合わせた。
信じられない…!本当に、ここで働くことが出来るなんて…!
「ね!だからさ?その好きな人が誰か、俺にも教えてよ!よく来るってことは、常連客ってことでしょ!?こーいう恋バナ、結構好きなんだよね!ひゃひゃ」
『ええ〜!それはもちろん教えますけど…。働かせてもらえるわけだし…』
「うんうん!で?誰なの?」
さっきまでの感動的なシーンはどこへ行ったのか、そう言って、相葉さんがキラキラした目で私を見る。 恋バナが好きだなんて意外だけど、男の人も、こーやって女の子みたいに恋愛の話をしているとしたら、ちょっと可愛い気がした。 いや、もしかしたら、相葉さんだからそう思うのかも知れないけど。
『名前は…話したこと無いんで、分からないんです。それに大抵いつも、可愛い女の子と2人で来てて、もしかしたら、その子と付き合ってるのかも知れないし…』
「ええ!?そうなの!?」
『でも…。ニックネームなのかな?その女の子がいつも彼のこと、“ニノ”って呼んでたよーな…』
「え?」
『その女の子、時々、社員証を首に提げたままなんですけど、だからもしかしたら、一緒の会社で働いてるのかも。よくそのことで彼が、もう仕事終わってますけど、ってからかってたし、同じ会社のロゴが入った書類入れを、彼が持ってるの見たし…。あ、すぐそこの、イベント企画会社なんですけどね?』
「っ、…!」
『あと知ってることと言えば〜…、』
「っ、小春ちゃん、そ、それってもしかして…!」
『はい?』
たくさんいるお客さんの中で、誰が私の好きな人なのかを分かってもらう為に、今知っている彼の情報を片っ端からかき集める。 でも、そんな私を余所に、たったこれだけの情報で、相葉さんは彼が誰なのか分かったらしい。 さすが店長!きちんとお客さんを大事にして、こんな素敵な居酒屋を営んでいるだけある!と思ったのも束の間、予想もしていなかった暴言を、相葉さんは恋する乙女に投げ付けてきた。
――― ねえ、常連客をそんな風に言う店長って、いったいどうなの?
「なんでニノ!?ニノの、何が良いの!?」
『っ、ちょ…!どーいう意味ですか!失礼にもほどがありません、相葉さん!?カッコイイじゃないですか、彼!』
「だって…、ただのゲームオタクだよ!?小春ちゃん、絶対誤解してるってニノのこと!杏奈ちゃんが可愛いっていうのは、間違ってないけどさ!?」
『誤解なんてしてませんーっ!ってか、杏奈ちゃんって誰のことですか!もう!』
「へえっ!?だ、誰って…それは、その…よくニノと一緒にいる女の子のことで…!」
『! 、もしかして相葉さん、その女の子のこと好きなんですか!?』
「ちょっ…!シーっ!聴こえるでしょ!?」
そう言いながら、相葉さんが顔を真っ赤にして、私の口を押さえようとする。 恋バナをさせておきながら、私の好きな人のことを批判し、自分の恋心はそんな風に隠そうとする相葉さんに、私は怒って応戦。 まだ雇ってもらって5分も経っていないけど、この時点での力関係は、きっと私の方が上だ。
『シーって、どこに誰がいるんですか!てか言っとくけど、モツ煮さっきから沸騰してますからね!』
「えっ!?ちょっ…早く言ってよ、もお〜っ!」
それでも、とりあえず。
明日から、楽しくここで働けそうで、結果オーライ…ってことでいいんだよね?
『ふふ!』
よし。まずは、絶品からあげを作る練習でもしてみますか!
End.
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