チケットの行方
こういうのを、なんて説明すればいいんだろう。居心地が悪いというか、息苦しいというか…。 さっきから、お客さんに注文されたポテトサラダを小皿に盛ったり、合間に看板メニューのからあげを追加で揚げたり、グラスを冷やしたり。 いつも通り働いているはずなのに、いつもと空気が違う。 大きな変化なんて滅多に起きることのないはずのこの居酒屋で、今夜だけはどうしても、何かを予感せずにはいられなかった。
よりによって、何でここに来ちゃうのかなぁ…。
『じゃあ、明日にでもニノにお願いして、先方に確認してもらいますね』
「うん、よろしく。俺の方からも予算の計算するように言っとくからさ」
夜になって突然降り始めた雨のせいで、いつもは繁盛している店も今日は穏やか。 でも、常連客にとってはそんなの大した理由じゃない。雨だろうと雪だろうと、ほんの些細な理由さえあれば彼らはここにやって来る。 10分前にやってきた杏奈ちゃんもその内の1人で、入口からいつものこんばんはー!という声が聴こえた時には、私もついつい二宮さんは!?と期待してしまった。
けど、今日の彼女のお連れ様は二宮さんじゃなかったようで……。
『相葉さん、焼きおにぎり一つ!櫻井さんも、食べます?』
「はは、是非」
『じゃあ、二つ。相葉さん、よろしくお願いしまーす!』
「か、かしこまりました〜…!ひゃひゃ…」
カウンター席で杏奈ちゃんと肩を並べているのは、先日の歓迎会の主役でもあった彼女の上司。 細身のスーツが良く似合うカッコ良い人で、部下である他の女子社員たちが彼をゲットしようと躍起になっているのが、その時傍目からでも分かった。 でも、同時に気付いたのは、その上司である櫻井さんは、どうやら杏奈ちゃんが好きらしい…ということ。 おかげで2人が来店してから、同じく杏奈ちゃんに想いを寄せている相葉さんは、間近で繰り広げられる楽しそうな様子に心が大荒れだった。
そして、そんな相葉さんのもとで働いている私は、ただ静かに3人を見守ることしか出来ないでいる。 というのも先日……、
〔に、二宮さん!〕
〔んー?〕
〔なんていうか…いつになったら、もうちょっと先に進めるのか訊いていいですか?その…、私たち…のことなんですけど…〕
いつものように、仕事帰りに食べに来た二宮さん。隣では酔ってしまったのか、疲れていたのか、スースーと杏奈ちゃんが眠っていた。 それをチャンス!とばかりに、なかなか進展の無いこの関係について、私は二宮さんに尋ねたのだ。そしたら……、
〔あ〜…。うん、そーね。俺も何とかしたいのは山々なんだけどさ?なんつーか、この子がね〜…〕
〔杏奈ちゃん?〕
〔一応言っとくけど、杏奈に対して特別な感情は一切無いの。2人でバカやってるのが楽しいっていうか、それだけでね。ただ残念ながら、俺でもツッコミ入れられない時があるぐらい天然なのよ、この子〕
〔天然?〕
〔うん。基本、俺に被害は無いから、それも別に良いっちゃあ良いんだけどさ?相葉さんももちろんそうだし、この子を好きになっちゃった上司とか見てると、そりゃもう気の毒で気の毒で…〕
〔は、あ?〕
〔だから、杏奈が納まる所に納まるまで、俺も小春ちゃんとのデートはやめとこーかな、って思ってんのよ。実は〕
〔え゛!?〕
〔んふふふ。ごめんなさいね?〕
全く悪いと思って無さそうな口調で二宮さんは謝り、見事に私は意気消沈。 でも、これぐらい待てるでしょ?なーんて悪戯に笑われるだけで、バカみたいにトキメいてしまうんだから、我ながら単純。ここまで来ると、本当に私はドMなんだと思う。
『からあげも、相変わらず美味しい〜!』
「はは。ほんっと、好きなんだね?とか言いつつ、俺も来る度注文してるけど」
『ふふ。あっ…でも、相葉さんの作るモツ煮も私好き。相葉さん、一つ貰ってもいい?』
「も、もちろん…」
というわけで、私は相葉さんだろーが、この素敵な上司の櫻井さんだろーが、はたまた一度しか見たことないけど、やたらカッコ良かった杏奈ちゃんの親友だろーが、もうこの際、誰でも良かった。 本当に身勝手で申し訳ないけど、誰でもいいから、杏奈ちゃんをきちんと射止めて欲しい!最悪、後ろのテーブル席に座っているおじさんでもいいから!!
「っ、…ところでさ?杏奈ちゃん、これなんだけど…」
『! 、それ…!ど、どーしたんですか?それ、すっごく人気の美術展で、あっと言う間に前売りも完売しちゃって…。今も、チケットなかなか手に入らないのに…!』
心の中で何度も何度も祈っていると、櫻井さんが胸ポケットからチケットのようなものを取り出す。 それは、興奮気味の反応でも分かる通り、杏奈ちゃん好みのものらしく、そんな彼女の様子を見て、櫻井さんは安堵の表情を浮かべた。 そして、照れ臭そうにぎこちなく笑うと、羨ましそうにチケットを手にする彼女に向き直る。
も、もしや、これは…!
「うん、それでさ…?これ、知り合いから貰ったんだけど、チケットは2枚で、俺は1人だし…」
『はい?』
「そしたら二宮が…。っ、いや二宮から、杏奈ちゃんがこーいうの好きだって聴いて…」
『……』
「だから…なんつーか、さ?もし、よかったら…」
『…っ、…』
「無駄にするのもなんだし、都合が良い時にでも…っていうか、迷惑じゃなければなんだけど…!」
『櫻井さん…!』
「っ、これ…!」
突然始まったロマンティックなシチュエーションに、思わず私も息を呑んだ。 頑張れ、櫻井さん!あともう少し!あと一息で、あなたの想いがようやく……!
『っ、こんな貴重なチケット、本当に2枚も頂いて良いんですか!?』
ええ、もちろん! そのチケットは杏奈ちゃんのもので、櫻井さんとラヴラヴなデートの為の、って……、
「「『え?』」」
『嬉しい!早速、お兄ちゃんに行けるよ!ってメールしなきゃ!』
予想もしなかった杏奈ちゃんの返しに、櫻井さんと、様子を伺っていた相葉さんと私の声が重なった。 え、ちょっと待って?今、2枚頂くって…。てか、今、お兄ちゃんって言った?もしかして。
「え…っと。お、お兄ちゃん?」
『はい!私のお兄ちゃん、今は釣りなのか絵描く為なのか分かんないけど、宮崎に……あ、でも今は山形なのかな?』
「み、宮崎?山形?」
『うーん、とにかく!絵で食べてる人なんです。だから、私もお兄ちゃんの影響でこういうの昔から好きで。この美術展も、お兄ちゃんが出かける前から観に行きたいね、って話してたんです。でも、さっきも言った通り、なかなかチケット買えなくて…』
「あ、ああ…。なる、ほど…」
『ふふっ。だから、こうやって櫻井さんが譲って下さって、本当に今嬉しいんです!ありがとうございます!』
「っ、…!?」
女の私でも、可愛い!と思ってしまうぐらいのキラッキラな笑顔で、杏奈ちゃんがお礼を述べる。 でも、たぶん、櫻井さんもずっと機会を伺ってて、ようやく得たこの時なんだろう。さすがにヤバイ!と感じたのか、勘違いしまくりの杏奈ちゃんを、意地でも方向転換させようと必死だ。
「で、でもさ!?今…お兄さん?宮崎だか山形行ってて、なかなか帰ってこないんじゃ…!」
『ああ…。でも、この美術展は年内までなんで大丈夫です』
「っ、!?」
『さすがに年内中には帰って来るし、これ行けるって分かったら、すぐにでも戻ってきます、きっと。だってお兄ちゃん、本当に行きたい!って言ってたから。ふふ』
「っ、…そ、そっか…。それは良かった…」
『はい!ありがとうございます、櫻井さん』
櫻井さんの笑顔が、さっきとは違う意味で、とてもぎこちない。 強力な天然からくる勘違いを修正出来ないまま、貴重なチケット諸共、せっかくのデートブランも消えて行くのを見ているだけなんて…。 こ、これは、確かに二宮さんの言う通り気の毒かも…。
『! 、櫻井さん、申し訳ないんですけど、私チケット持つんで、写真撮ってもらえませんか?』
「しゃ、写真?」
『チケット頂きました〜!って、メールに写真も添付したいんで。お兄ちゃんとは、そうやって写真送り合うのが当たり前なんです。ふふっ』
そう言われ、杏奈ちゃんのケータイで、杏奈ちゃんがチケットを持ちにっこり笑う写真を、櫻井さんが撮る。 杏奈ちゃんに悪気が無いとは言え(二宮さん曰く、天然すぎるだけ)、余りの仕打ちに私も涙が出そうになった。 良い子!お兄さんとも仲が良いし、仕事も一生懸命頑張ってるみたいだし、凄く良い子!良い子、なんだけど…!これはさすがに……っ、
「っ、ナイス天然…!」
『店長…?』
未だに写真を撮り続けている2人を見ていられず、顔を下に向けると、そこには背を向けてしゃがみ込む相葉さん。 手は…キツく握り締められた拳で……、ガッツポーズ? いえいえ、そりゃあ相葉さん的には不幸中の幸いっていうか、確かにナイス天然!って感じかもしれないけど…。
『ありがとうございます、櫻井さん!今度お兄ちゃんが何か送ってきたら、櫻井さんにもお礼も兼ねてご馳走します!』
「そ、それはどうも…」
どうしよう…。
このままじゃ、相葉さんや櫻井さんだけじゃなく、私の恋も進展しないんですけど…。
End.
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