相合傘


side. S



「これで良し…っと」



家からわざわざ持ってきたノートパソコンを、パタンと静かに閉める。
オフィス内にはもうほとんど社員は残っていなく、それもそのはず、時計を見れば午後9時を回っていた。
今日中にやるべき仕事は片付けたから、達成感と満足感はあるけれど、これじゃあ誰かを誘って飯を食う…なんてことは出来なさそうだ。



「仕方ねーか…。今日は帰りにコンビニにでも寄って、弁当買って食いますか…!」



けど、エントランスを出た瞬間、そんな大したことない計画ですら、実行するのが億劫になる。
ずっと会社でパソコンに向き合っていると、外で何が起きているのか分からなくなるのが、本当に厄介だ。



「マジか…。つーか、天気予報で雨降るなんて言ってねーじゃん。くっそ〜…!」



外は、全くの想定外の雨。しかも最悪なことに、少し待ってれば止むだろう、なんていう雰囲気でもない。
今朝見た、俺の記憶の中のお天気キャスターはこんなこと言ってなかったぞ!?しっかりしろよ、それで金貰ってんだったらさー!?


……とか何とか、八つ当たりにも程がある愚痴を心の中で呟きながら、カバンに入れておいたはずの折りたたみ傘を探す。
でも、それを見つけた瞬間、後ろから声をかけられて驚いた。
もうとっくに帰っていたと思っていたし、何より、こういう嬉しくない状況下の中で好きな子と会えるのは、それだけで癒されるっていうか、何て言うか…。



「翔さん?」

『! 、お疲れ様です、櫻井さん』

「二宮…。杏奈ちゃんも…。お疲れ。まだ、残ってたんだ?」

「んふふふ、そっちだってそうでしょ?企画もまとまりつつあったから、2人で出来るとこまでやってたのよ」

「ああ、それで…」

『はい。でも、外出たらこの雨で。だから、今2人でどうするか話し合ってたんですけど…』

「いや、話し合いっていうか、お前が出した提案はただのパシりでしょーが。いくら親友だからって、それはどーなのよ、人として」

『でも、潤は来てくれるもん!』

「な…、どーした?」



突然目の前で揉め始めた2人に付いて行けず、訳を訊く。
つーか、さり気なく出てきたその親友の名前、あの日の歓迎会を思い出すから、出来ればあんまり聴きたくなかったんだけど…。絶対仲良すぎるだろ、親友と言えども…。



「いやね?俺は傘持ってないんだけど、杏奈は折りたたみを持ってきててさ。だから、じゃあ途中まで一緒に入って行こうか、ってなったんだけど、生憎方向が俺たち違うから、そんな意味ねーだろって言ってたのよ。そしたら、この子…。はぁ…」

「? 、何?」

「じゃあ自分は潤くんに迎えに来てもらうから、傘貸してあげるって言うのよ」

「っ、…」

「ね?鬼にも程があるでしょ?だから、揉めてたわけ」

『っ、でも、そんなの大学の時から当たり前だったし…。ちょっと嫌味は言われるけど、潤も特別気を悪くするわけでもないから、別に平気だってば。もう!』



杏奈ちゃんが二宮に向かって、拗ねたように言う。
その親友とやらの関係の深さが見えるようで、やっぱ俺としては複雑なんだけど(だって、絶対あの親友も彼女のこと好きだろ!)、2人が赤い折りたたみ傘とケータイを持って騒いでいる理由は、よく分かった。
一応上司だし仕方ねー、俺の傘を二宮に貸してやるか…、と切り出そうとした瞬間、その二宮が俺の傘をジッと見つめ、かと思ったら、ニヤリと笑って見せる。



いやいや、なんだよ。
部下が上司に向かってするような笑い方じゃねーだろ、それ。



「…でも、翔さんはちゃんと傘持ってるみたいね?」

「え?あ、ああ。まあ…。だから、これをお前に、」

「あら、ほんと?じゃあ、翔さんは杏奈の傘に入れていってもらう、ってことで」

「『え?』」

「はい、決まりー!帰る方向が一緒の者同士、協力し合って下さいな。俺はこれで帰るんで、翔さんは杏奈のことお願いね?傘は明日返すからー」

「ちょっ、…二宮!?」



強引すぎる流れに戸惑っていると、二宮は俺の手から傘を奪い取り、すぐさま傘を広げてこの場から立ち去ろうとする。
いやいや、確かに帰る方向が同じなのは、この前の歓迎会でなんとなく分かってはいるけれど…!



「っ、おい!二宮…、」

「翔さん、せっかくのチャンスなんだから、今度こそ上手くやってよ?」

「へ?」

「んふふふ。いつまでそのチケット、ポケットに入れたままにしてんのよ?」

「っ、…!」

「せっかくニノちゃんが協力してやってんだから、つべこべ言わないで、さっさとデートにでも何でも誘ったらいーじゃない。なんだったら、このまま杏奈の家まで行ってもいいからさ?」

「!?」

「んふふふ。…じゃーね?翔さん、杏奈。また、明日」



肩を掴んで引き止めたものの、小さい声で真意を告げられ、もう何も言えなくなった。
あっと言う間に意気揚々と帰っていく二宮の背中を見送った後、杏奈ちゃんの方に向き直ると、彼女もきょとんとしている。
でも、すぐ呆れたようにため息を吐くと、切り替えるように笑って見せた。



『なんか、すみません。いっつもニノって、こんな風に勝手に物事進めちゃうから…』

「いや、それは別に気にしてないし…」

『本当ですか?じゃあ、狭いかも知れませんけど、是非傘に入っていって下さい』

「え?」

『? 、だって、帰る方向一緒ですよね?』

「え?ああ…。いや、そう、だけど…」

『じゃあ、早く行きましょう!雨も強くなってきたし』



どうせ二宮があんな風に提案しても、彼女は噂の親友にどうせ来てもらうんだろう…なんて思っていただけに、この展開に戸惑ってしまう。
けど、そんな俺を余所に杏奈ちゃんは赤い傘を広げ、既に一歩を踏み出そうとしているので、入らないわけにはいかなかった。
急激に距離が近くなったせいか、いまいちどんな風に反応し、何を話すのが正しいのか、良く分からなくなる。



「あ…貸して?俺が持つよ、傘」

『え?大丈夫ですよ。私、よくお兄ちゃんとこうして歩くこともあるし。平気です』

「いや、でも病み上がりだし。濡れてぶり返したら、せっかく復帰したのに俺も困るっつーか、寂しいっつーか…」

『? 、寂しい?』

「っ、とにかく…。ね?俺が持つよ」

『ふふ…!じゃあ、お言葉に甘えて。お願いします』



自分なりに攻めているつもりではあるけれど、こんな風に素で返されると、マジで恥ずかしくて仕方ない。
夜で本当に良かった。絶対俺、顔赤くなってるだろ、今…。



「あ、そうだ。この前のおにぎり、ご馳走様。あれ、マジで旨かった」

『ああ〜…。でも、あれは私の実力じゃなくて、ブリの実力で…。それに手作りのおにぎりなんて、失礼でしたよね。ほんと、度々すみません』

「いや、全然。俺、1人暮らしだし、料理もしないからさ。ああいう家庭の味を久々に食べられて、嬉しかったっていうか…」

『ニノもそんなこと言ってたけど…。ほんとですか?』

「はは!うん。今夜もコンビニだしね」

『……』



ようやく弾んできた会話に、内心ほっとする。
同時に、二宮が随所で俺にアシストしてくれていることに気付き、それがなんだか憎らしく、妙に嬉しい。
ここまでお膳立てされているんだから、確かにもうそろそろ、この入れたままのチケットをなんとかしねーとな……、



『櫻井さん!だったら、相葉さんの店に行きません?』

「え?…どーした?なんで、突然…」

『だって、夕食がコンビニなんて寂しすぎるし。それなら、相葉さんの所に行ってご飯食べた方がいいかな、って。ね!行きましょう?』

「いや、俺は構わないけど…。時間大丈夫?」

『ご飯食べるくらいなら、全然平気です。どーせ、帰ってもお兄ちゃんいないし。ふふっ』



そう言って無邪気に笑い、杏奈ちゃんが俺の傘を持っている左腕を、自分の腕と絡ませる。
それはもう、さり気なく。自然に。



『からあげ無くなる前に、早く行きましょう!』

「っ、オッケー…!」



俺の攻めなんて攻めじゃねーな…と反省するぐらいの彼女の大胆な行動に、心臓がドキドキして仕方ない。
驚いているし、嬉しいし、困惑しているし、でも恥ずかしいし…。


そんな複雑な感情を、どう処理すればいいのかは分からない。
でも、今夜こそ、ずっとポケットの中で出番を待っているチケットに、日の目を見せてやれる気がした。
もしかしたら、後日二宮に礼を言うことになる可能性も、あるかも知れない。



『お腹空いた〜!』



胸ポケットの秘密が明らかになるまで、あと30分だ。





End.





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