Dear, Diary [Chap.1] -6/9


聞き慣れた滑舌の良い笑い声が耳に届いて、入り口の方へ目をやる。
自分が今どこにいて、何をしているのか。屋上にいるのが見つかった時みたいに、指摘されるまで気付かなかった。
たぶん、私はそれよりも驚きと嬉しさで、頭が回らなかったのだと思う。



『あ…』

「ん?……あれ、夕城?…ってお前…」

『………』

「…一応訊いとこうか?ここで何してんの?」



諭すように問い掛ける声。でも、その質問は当然のことで、私はとあるコーヒーショップのレジの前に立っていた。
ついでに言えば、そのコーヒーショップのユニフォームであるエプロンを着けていたし、気付かれる数十秒前までは、手慣れたように他のお客さんのオーダーを取っていた。


私が何をしているかなんて一目瞭然の光景に、またあの時のように、腕組みをしてため息を吐く。
ただし、私がエプロン姿なのには変わりはないし、目の前にいるこの人も、いつものスーツ姿ではなく、黒のカーゴパンツに白のVネックのTシャツを着ている。
新鮮な格好に、今の状況も忘れて“私服はこんななんだ”と思う。



「はぁ…。まあ、訊かなくても分かるか。それでも一応言っておくけど、ここはカフェで、恐らくというか絶対にお前はアルバイトしてる」

『…その通りです』

「でも、うちの学校ではそれは禁止だったはずだし、それは夏休みも同様だった気がするのは、俺の勘違い?」

『うーん…。勘違い、…じゃないと思います』

「だよな」



私の通っている学校は、いわゆる進学校だ。学業が優先で、大学受験のために1年の時から必死になるような。
夏休みの今、アルバイトはもちろん、遊びに行くのだって快く思っていない。というか、今言われた通り、前者はそもそも禁止されている。
でも目の前に立つ人は、いつものこと、というように、次の瞬間には呆れたような笑顔を見せてくれた。



――― お盆に入る前の8月。夏休みに櫻井先生にバイト先で会うなんて、思ってもみなかった。



『怒らないんですか?』

「どうせ夕城のことだから、何言っても無駄だろ?それに学校の教育方針はともかく、俺個人の意見としては、アルバイトをするのは悪くないと思ってるし。もういいよ。…つーか、そもそも俺が夕城を怒ったことなんてないじゃん。ある?」

『っ、ふふ。いいえ。ありません』

「だろ?でも、他の先生や生徒には見付からないようにしろよ?来ねーとは思うけど」

『はい』



確かに、私は櫻井先生に怒られたことはなかった。相変わらず優しいし、何より私は櫻井先生に限らず、怒られるほど目立つ生徒じゃない。
けど、そんな私でも、櫻井先生は約束した通り度々屋上へ様子を見に来てくれていたし、雨の日は講義ルームでコーヒーを出してくれていた。
夏休みということで、その幸せな時間が与えられるのは一時お預けとなったのに、こうやって会えたのが偶然でも嬉しい。



「翔ちゃーん。お話のところ悪いけど、俺、ソイラテね。一番大きいサイズで」

「俺、エスプレッソショット追加で、カフェモカがいいなー。ニノと同じサイズで宜しくー」

『…!…』

「はあっ?何、俺が奢る前提で注文してんだよ!お前らが呼び出したんだから、せめて自分の分は自分で、」

「翔ちゃん、可愛い教え子に金払わせるつもりー?教育委員会に訴えるよー?んふふふ」

「っ、そう思うんだったら、まずは“先生”な?つーか、お前らの場合は“元”教え子だろーが!」



テンポの良いやり取りに、授業での様子や、相葉くんとの掛け合いを思い出した。
でも、先生を押すように間を入ってまで注文してくるのは相葉くんではなく、知らない男の子2人。
その視線に気付き、先生が楽しそうに説明する。まるで、自分の大切なものを見せるように。

少し、その2人が羨ましくなった。



「ああ、この2人、前の学校の時に教えてた生徒なの。こっちが二宮で、こっちが松本」

『前の学校、の…』

「そ。歳も、夕城や相葉と一緒」



いつも思うけど、櫻井先生はことごとく相葉くんの名前を出す。それだけならまだしも、私とセット扱いするのだから困る。
何より、こんな時でも先生の脳裏に浮かぶ相葉くんって、どれだけ仲が良いんだろう。
元教え子だというこの2人も羨ましいけど、相葉くんも十分にその対象だ。羨ましい。



「今日は英語の勉強見て欲しいって呼ばれて、ここに来たの。なのに、俺に全部払わせようって…。お前ら、マジで調子乗んなよなぁ〜」

「いーじゃん、別に〜。せっかく前の生徒が、わざわざ違う学校の先生に頼って勉強教えて欲しい、って言ってんのに。翔ちゃんだからこそ、こんなことやってんだよ?」

「…今の英語の先生、教えてくんねーの?」

「言えば教えてくれると思うけど、櫻井先生ほど丁寧に教えてくれない、っつーか。なんか、分かりづらいんだよね、あの先生。な、ニノ」

「うん」

「ふーん…」

『………』



嫉妬したり、共感してみたりと、なんだか忙しい。でも、二宮くんと松本くんという2人が言うように、櫻井先生の教え方が上手だということは事実だ。
本当は夏休み中でも、他の先生達は希望の大学を目指す生徒達の為に、学校で補講をしている。
でも英語担当の櫻井先生は、よりよい指導を、ということで、学校側がネイティヴの先生を呼んでしまい、その仕事を奪われてしまっている最中だった。
きっと、来たばかりの先生だということも関係しているのだとは思うけど、夏休み前に話を聞いた時は、納得がいかなかったのを覚えてる。


だって、本当は先生の方がそんな先生よりも、魅力的な授業をするのに。



「ってことで、ここはお願いね?櫻井先生」

「おーい」

「んははは!潤くん、先に席着いて勉強してよっか。翔ちゃん、あっち行ってるねー?」

「ったく…。ごめん、夕城。今ので頼むわ。あと、カフェラテ。全部グランデで」

『グランデ?ベンティじゃなくて、ですか?』

「いいの。教師としての、せめてもの意地だから」



彼らが希望したサイズよりも、1サイズ下の注文をして自ら笑う。
でも、結局奢ってあげているのを見ると、やっぱり優しい先生だな、と思った。それはコーヒー云々だけじゃなく、全てにおいて。


そもそも、補講の仕事が無くなったからと言って、こんなことする先生を私は見たことがない。
せっかくの休日を、元教え子に勉強を教えるのに使うだなんて、出来すぎているとも思うし、爽やかすぎる。
だから、自己紹介の時に“仕事が忙しいですが”なんて言うようになるのだ、櫻井先生は。



『櫻井先生、…いつもこんなことしてるんですか?』

「こんなこと?まあ、時々あいつら2人には呼ばれるけどね。別に頼りにされるのは嫌いじゃないし。今日は特別。なんで?」

『だって、あの2人…、えっと、』

「二宮と松本?」

『そう。二宮くん達からすれば、前に教えてくれてた信頼してる先生に教えてもらうのはラッキーかもしれないけど、私や相葉くんみたいに、今先生に教えてもらってる生徒からすれば、それってズルイなっていうか……』

「“ズルイ”?」

『え?…あ、えっと…。いえ、なんでもないです。…すみません』



今、自分がした発言を本人に繰り返されて、聞き分けの無い子供みたいなことを言っていると気付いた。
おまけに、さっき散々何かと話題に出てくる相葉くんのことを嫉妬していたくせに、自分だって同じくらい話題に出してる。これじゃあ、先生にセット扱いされても文句は言えない。
色々と恥ずかしかったし、何を言っているのか分からなくなって、自ら話を終わらせた。
でも、そんな私の不可解すぎる発言を櫻井先生はきちんと受け取り、こう言ってくれる。



「はは。嬉しいこと言ってくれんじゃん、夕城。でも、別に俺だって補講担当したくなくてそうしてるワケじゃないし、みんな同じ生徒っつーか。もし、えこ贔屓してるように見えたんだったら、それは謝る。ごめんな?」

『そんな風には思って……。いえ。…少し、思ってますけど』

「ははは!…まあとにかく、どの生徒も公平に接してるつもりだよ。俺なりにね。だから、もし夕城や相葉が勉強教えて欲しいっつーんだったら、いつでも大歓迎だし、」

『明日』

「え?」



今日ここで櫻井先生に偶然会った時から、私が自分の言動を理解しているのかは、正直怪しい。正しい返し方とは思えないし、ちょっと失礼だ。
さすがにきっと、ここまでは先生も対処しようが無いだろう。
だって、そのことに真っ先に気付いて、しどろもどろになりかけてるのは他でもない私なんだから。



『あ…。いえ、その、なんていうか……』

「夕城?」

『っ、私、明日もここでバイトあるし、明日もこのシフトだし……』

「? 、うん?」

『えっと、だから……、』

「だから?」

『…だから、もし本当に櫻井先生が勉強を教えてくれて、もし本当にいつでも良いんなら、明日教えて欲しいな……って』

「………」



改めて自分の言動の真意を見つめ直し、本人を前にしながらそれを説明していくのは、自業自得とはいえ居たたまれない。
逃げ出したいけど逃げられない状況に、“早くコーヒーを用意してくれればいいのに”なんて、今度は自己中極まりないことを思い始める。
それか、他のお客様が来てくれてもいいし、そうじゃなきゃ早くバイトの時間が終わればいい。
でも残念ながら、こういう時に限って店は空いているし、私もあと1時間は仕事をする約束でここに来ていた。


自分の鼓動がやけに響いて、うるさくて仕方ない。



「そっかぁ…。じゃあ、どうすっかなー…」

『……え…?』



どうしようもなくなって、いつのまにか顔も目線も下を向いている。
そのせいで、櫻井先生が返してきた言葉に反応するのも遅くなった。
恐らく、先生も自分の提案に驚いたかもしれないけど、きっと、私ほどではないと思う。



「…自分の分のコーヒー代は自分で出すっていうなら、俺は構わないけど」

『………』

「どうする?」



からかうように、笑みを浮かべながら櫻井先生は訊くけど、私には分かっている。
どうせ、あの2人にしてくれたように、結局奢ってくれるに決まっている。



『もちろんです』



黒板に書いてある文字を読むように、何も考えずに、そう答えた。






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