Dear, Diary [Chap.1] -4/9


「おーい、夕城。お前、そこで何してんの?」

『…!…』



自分がいる場所よりも下の方から聞こえてきた声に、ほんの少し心臓が飛び跳ねた。
膝の上に乗せていたお弁当箱をどかして辺りを見回せば、風と太陽の光に混じって、櫻井先生が私を見上げている。

心臓が、さっきよりも強く鳴った気がした。



『櫻井先生…』

「分かってると思うけど、ここ屋上。で、お前のいる場所は更にその上の貯水槽。俺がいる旧校舎の講義ルームから丸見え」

『………』

「ついでに言えば、屋上自体が立入り禁止だったはず。それを踏まえて訊くけど、何してんの?」

『……お弁当食べてました』

「………」



私がそう答えると、見上げたまま、腕組みをして息を吐く。
細身のスーツに青のギンガムチェックのシャツは、先生の茶色の髪と共に太陽に照らされている。
降りていった方がいいんだろうかと迷っていると、ニヤリと笑って、こう言う。



「…そのお弁当。少し分けてくれんだったら、黙っててやるけど?」



――― そして、私が“分かりました”と答える前に、自らこの貯水槽のはしごを登ってきた。



新学期が始まって約2ヶ月が経った、6月の始め。
梅雨の時期に入ろうとしているのに、まだ雨は降ることなく快晴が続いていた。
それは、いつも1人でお弁当を食べてる私にとってもラッキーなことで、天気が良い日はこうやって、空の下で過ごすことが出来るからだ。
なのに、まさかその場所で、櫻井先生と一緒に座ってお弁当を食べるなんて、考えてもいなかった。


上に登りきると、恐る恐る、櫻井先生がさっきの私のように下を覗き込む。
もしかして、高い所が苦手なんだろうか?



「うわ…。想像以上に高いな…。夕城、怖くねーの?」

『私は別に平気ですけど…。先生、怖いんだったら登ってこなきゃいいのに』

「いやいやいやいや。怖くないから……、ってバカ!押すなって!落ちるだろーが!?」

『やっぱり、怖いんじゃないですか!』



予想通りの高所恐怖症ぶりに、思わず声を上げて笑ってしまう。だって私は、ほんの少し背中を指先で押しただけなのに。
それに観念したのか無視したのか分からないけど、先生がため息を吐いて、お弁当が広げられた横に座る。
もちろん落ちないよう、端から離れた所に。



「つーか、なんでここで1人で食ってんの?夕城。教室で、相葉とかと食べればいいいのに」

『…なんで、そこで相葉くんが出てくるんですか?』

「隣の席だし、仲良いじゃん」

『うーん…』



そう言われると、答えに悩んでしまう。確かに隣の席だし、仲も良いか悪いか訊かれれば、良い方だと思う。
でも、それだけで一緒にお弁当を食べるのは何か違う気がするし、何より相葉くんは私と違って、クラスの枠を越えるほどの人気者だ。
女子からの人気も高いし、一緒に食べるなんて、何か意地悪されそうで怖すぎる。



「うわっ。この卵焼き、超うまいな!夕城が作ったの?確か、ご両親は海外に行ってて独り暮らしだったよな?」

『あ、はい…』

「そっか〜。偉いじゃん。俺なんて、全然料理出来ない。独り暮らししてんのに」

『っ、ふふ』



私の両親が仕事の都合で海外へ行っていることを、櫻井先生は覚えていてくれた。
2回目の授業の時に、私が自己紹介でそう話したからだとは思うけど、やっぱり嬉しい。
でも、だからこそ先生は、私になぜ1人で食べてるのか訊いたんだろう。だからこそ、高い所が苦手なのに、こうやって上まで登ってきてくれたんだろう。


先生が察したように、話を戻して言う。



「…でも、まあ、確かにこんな天気良いもんなー。外で食べたくなるか。そりゃ」

『はい。相葉くんはいい人だけど、ちょっと賑やかだし、っていうかうるさいし』

「ははっ!でも、あーいうヤツが1人いると楽だし、救われるヤツもきっといるよな。現に、俺も初日に相葉がああいう風に言ってくれなかったら、男子も今ほど懐いてくれなかっただろうし」



確かに言う通り、今や先生は多くの生徒に慕われる、文句無しに人気ナンバー1の先生だった。
これだけカッコ良くて、頭も良くて、なのに適度に抜けてるんだから、それも当たり前のことなのかもしれない。
それに、凄く優しい。
なぜか1人でお弁当を食べてる私にも、未だに“翔ちゃん”と呼び続ける相葉くんにも。



すると、私が規則を破ってまでここにいる理由を肯定するかのように、気持ち良さそうに横になる。
私はそれを見ながら、スーツが汚れてしまうんじゃないかと、心配になった。
でも、距離が近いことと、綺麗な横顔に気付いて、すぐにそんなことは忘れてしまう。



「つーかさー…。今思ったんだけど、こんなとこにいて他の先生に見付かったことねーの?来たばっかの俺でさえ、気付いたのに」

『うーん…。元々、旧校舎を使う先生なんて滅多にいないし…』

「マジで?!俺、ここ使って下さい、って言われて、今の講義ルーム宛がわれたんだけど!うわ〜…、完全にナメられてんじゃん、俺…」

『ふふふ。……ああ、でも、大野先生には見付かったことありますよ?大野先生も、旧校舎に講義ルーム借りてるから』

「マジで?でも、どうせ何も言われなかったんだろ?こうやって、懲りずにここにいるってことは」

『? 、はい。それどころか、時々ここに来て一緒に食べてくれたり……。櫻井先生、大野先生のこと知ってるんですか?』

「ふはっ。なんだ、その質問!そりゃ同じ学校で、同じ学年を教えてんだから、知ってるに決まってんじゃん!」



そう言って、横になったままケラケラ笑う。
確かにその通りで、トンチンカンな質問をしてしまった自分が恥ずかしい。
でも、こんなことでこんなに笑うなんて、櫻井先生は笑いのツボが浅すぎるとも思う。



「ははは…!まあ、それだけじゃなく、大学の時の先輩だっていうのもあるんだけどね?」

『へえ…』

「まー、確かに智くんだったら怒んないだろうし、喜んで参加するだろうなぁ。あの人、こういうの大好きだから」



大野先生は現国の担当で、ふわふわした、なんだか可愛い先生だ。
カッコ良くもあるけど、どっちかって言うと“可愛い”。
現国なのに、時々授業内容そっちのけで、テンション高めに釣りやアートの話をしたりする。
実際に、趣味で芸術活動もしているからか、字が凄く綺麗。そんな先生だ。


でも、大野先生と櫻井先生は雰囲気が違すぎる。
それなのに、智くん、なんて無意識に名前で呼んでしまうぐらい仲が良さそうなのを見ると、櫻井先生は本当に不思議な人だと思う。



「でもさ、夕城。今は良いけど、これから雨降ったり、寒くなってきたりしたらどうすんの?その時は教室で食べんの?やっぱ」

『え…。ここの、…屋上扉前の階段に座って食べますけど…』

「は?」

『ダメ…です、か?』

「…ダメじゃないけど、なんか寂しくね?」

『そんなこと言われても…』



思わず、俯いてしまう。

普通だったら、ちゃんとクラスメイトと教室で食べろと、一喝するところ。
しかも櫻井先生には、やたら懐いているらしい、利用できる……というと言葉が悪いけど、相葉くんもいる。
他の子だって、先生が一緒に食べてやるよう一言頼めば、絶対に誰も断らない。
でも、私がそれを望んでいないことを、先生は知っているのだ。


だから、こんなことを言ってくれるんだ。きっと。



「うーん…。じゃあ、そういう時は、今度からは俺んとこの講義ルームに来れば?場所は知ってんだろ?」

『え?』

「天気が良い時は、俺もここに来て一緒に食べるし、雨の時とかは、今日弁当分けてもらったお礼に、コーヒーだけど出してやるし。な?そうしとけって」

『は、あ?』

「なんだったら、大野先生や相葉も呼んでやるからさ」

『……相葉くんは、結構です』

「はははっ!でもたぶん、部活の用とか言って来て、気付いたら勝手に交ざってると思うよ?相葉のことだから」



せっかく起き上がったのに、私の発言に笑う先生は、今にもまた体が倒れそう。
でも、1日が終わり、ベッドで眠りにつく瞬間まで、その笑顔はずっと忘れることはなかった。



――― 卵焼き一つをあげただけなのに、やっぱり櫻井先生は優しい先生だ。






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