彼が彼女の好きなところ - 3/9


side. O



カウンターに幾つも置かれる、ガラス製の大きなコーヒー豆のキャニスター。オーク材のカウンターは明るい茶色で、それに沿うように、頭上では真っ赤なペンダントライトが光を放っている。
一つ一つが洒落ていて、シックな雰囲気の、豪華客船に相応しいカフェ。
それなのにやけに明るく見える原因は、きっとカウンターに入っているのがこの人だからだと思う。



「へえ〜。お兄さん、NYでパーティでやってたんだ〜。なんか、そういうの上手く想像出来ないけど、セレブって感じ!楽しそうですね!」

「パーティっていうか、…作品展みたいなもんだよ。契約してるチェルシーにあるギャラリーが、ちょうどやるから、って参加させられただけで。別に特別なもんじゃないし、そんな楽しいもんじゃないけどなぁ…」

「え?でも、そういう作品展みたいなのが出来るくらい、やっぱりお兄さんって有名な写真家さんなんでしょ?俺からすれば、すっごいセレブって感じがするんだけどなぁ〜、それ。ふふふふ!」

「んふふ。…まあ、何でも良いけどさ」



俺がそう言うと、コーヒーミルで豆を挽くのを、楽しそうに再開する。
船内のカフェ、【Paint by Numbers】を利用するのはまだ片手で済むほどの回数だけど、ここで働く相葉ちゃんとは、よく5デッキで遭遇し、その度に写真を撮らせてもらっていた。
だから、なんてことないこんな会話にも親しさがある。



「ええ〜?あ、でも、ってことはさ?いつか俺とサブの写真も、そういう風に作品として飾られる日がくるかも、ってことでしょ?ね、先生?」

「サブはともかく、相葉ちゃんは約束出来ねぇーなぁー」

「ええっ?!サブの方が評価上なの?なんで?!」

「あはははは!」



――― 慌ただしい地上から、のんびりとした船の上。また、長い旅が始まった。



幻のようなNYでの3日間、未だに引きずるのは、杏奈のこと。
最後に会話をしたのはギャラリー【FRONT-Row】の外で、杏奈が自分と同じように、夢を実現させる為に努力し続けているんだと分かった時だった。
でも、なぜだかその鮮明に残っているはずのシーンを、上手く想像出来ない、上手く思い出せない、上手く説明出来ない。
5年前にあったはずの杏奈の何かが、少し違うような気がして、でも正体が掴めなくて、ずっとグルグルしてる。


たとえそれが分かったとしても、俺に出来ることなんて、もう何も無いのに。



「出来ないことばっかだな…」



カップの中に映る、自分の顔を見ながら小さく呟いた。
その瞬間、表現しにくい感情が血液のように身体中を駆け巡って、あっと言う間に自分を支配する。


たぶん、俺が恐れていたのはこういうことで、杏奈に何もしてやれない現実が当たり前になることだったんだと思う。
この旅が始まって、杏奈と再会してから、ずっとそんな無力感を味わってきて、ずっと自分に出来ることを探してきた。
何も出来ないことは分かっているのに、それでも何かしようともがくのは、未だに杏奈のことが吹っ切れていないから。自分にとって杏奈が、心から大切な存在だからだ。



「あれ…?えっと、確かぁ〜…」

「?」

「んーっと…。そうだ!杏奈さんのお友達で、松下さん!」

「え?」

「…松本です」

「あれっ?!」

「!」

「おはようございます。…杏奈が起きてくるまで、一緒にカウンターで待たせてもらっていいですか?」

「あ、ああ…。どうぞ…」



名前を微妙に間違える相葉ちゃんに、冷静に訂正するのは松本くん。俺が何もしてやれない分、側でずっと杏奈を支えてくれている人だ。
VネックのTシャツに、少し厚めのニットカーディガンとジーンズというリラックスムード漂う格好も、この人がするとセレブ感がある。
笑ってお礼を言うと、右隣の椅子に腰をかけた。



「てか、あれっ?杏奈さんがこの時間に起きてないなんて珍しいですね?いつも朝早くから、デッキでジョギングしてるってニノから聴いてるけど。NYに停泊してた時も、セントラルパークで走ってるの見たし」

「ニノって…ああ、あのスーツのヤツ。…うん。俺も意外だけど、珍しく元気ないみたい。昨日も、せっかく最後のNYだったのに、なんかぼんやりしてたし」

「……」

「…ま、すぐに元通りになるとは思うけどね」



そう言って、隣に座る俺を、松本くんがチラっと見た気がした。
気になるけど訊けないその情報を、“俺の為に言っているのかな?”と思うのと同時に、“そんなわけない”とも思う。
けど、注文したコーヒーが出来上がるまでの僅かな時間、先に話題を切り出したのは松本くんの方だった。



「そーいやー、杏奈から聴きましたよ。俺たち2人が恋人同士だって、大野さんが勘違いしてたって」

「え?…ああ、…だって一緒にクルーズに参加してるし、凄く親しそうだったから。最初に会った時も、松本くん、杏奈に何かあったら困る、って言ってたし」

「ははは、だってそうでしょ?無理矢理、ワケ分かんない世界一周の旅に連れ出しておいて、何か問題が起きたら、杏奈に仕事に戻る!って言われ兼ねないもん。それだけは、何としてでも阻止しなきゃ」



無理に誘ったという今回の旅の経緯についてはともかく、俺のことも杏奈のことも、こうやって無邪気に笑う松本くんは、確かに幼い気がする。
でも、相葉ちゃんが出したコーヒーを一口含み、一息つくと、悪戯な表情は仕舞って俺にこう言う。



「好きは好きだし、一番の親友だと思ってるけど、そういう対象ではないんだよね、杏奈は。そういう種類の愛情ではないっていうか…。ま、元彼の大野さんにこんな説明しても、無駄だと思うけど」

「え?」

「だって、俺とは違う、そういう特別な感情があったから付き合ってたわけでしょ?杏奈と」



5年前の時のことを言われてると分かっていても、そのワードに自然と音が鳴った。
特別な感情、特別な人。でも、もう一緒にはいられない人。
そんな、再び襲いかかってきた苦い想いを余所に、隣に座る松本くんは、また無邪気に笑って見せる。



「ねえ。杏奈の、何にそんなに惹かれたの?」

「どういう意味…?」

「だって、俺にも分かんないから。杏奈が恋愛対象になるぐらいの、そういう魅力が分かるのは、元彼の大野さんだけでしょ?」

「……」

「杏奈の、何が好きだったの?」



純粋な気持ちからくるその質問は、そのまま、何度も何度も、俺の頭の中でリピートされる。
答えようと思えばすぐに答えられたはずなのに、なぜか躊躇してしまったのは、同時に松本くんが、こう訊いたような気がしたからだった。



――― “そして、今でも好きなの?”






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