別れた後 / 彼女の場合 - 6/11
side. O
ガラス越しに目が合ってから、1時間。 同じ空間にいるはずなのに、不自然なぐらいお互いを避けてる。距離は一定を保ったままで、決して近くはならないし縮めることも出来ない。 きっと、これが5年間の重みなんだと思った。
「船にいた時の方が、まだちゃんと喋れてたなぁ…。これじゃあ…」
誰にも聞こえないように小さく呟く。 もっとも聞かれたところで、外国人ばかりだから誰も気にしないけど。 そして直ぐにもう一度、自分が今考えるべきことを考える。
“別れてからの俺の作品を、杏奈はどう見て、どんな風に感じとってくれるんだろう”、ということを。
「………」
決して、生半可な気持ちで撮ってきた写真じゃない。 一瞬一瞬を無駄にしないように、その時の空気を伝えられるように、自分なりに必死に表現してきたつもり。 杏奈がそれを使命だと言ってくれたから、頑張ってこれた。
表向きは作品を愛してくれる、みんなのため。 でも、この世界を届けたい人は、たった1人だけ。 この5年間の想いを伝えたいのは、たった1人だけだった。
そんな、知るはずもないことをまた考えていると、肩を叩かれ名前を呼ばれる。 そういえば、この人とまともに喋るのは初めてだ。
「大野さん、こんばんは。初めまして…、でもないけど。松本潤です。あの、…杏奈の」
「あ…」
「よろしくお願いします」
「やっ、…こちらこそ」
俺よりも背が高くて、芸能人みたいに華やかなルックス。 ついつい気後れしそうなほどだけど、それが言い過ぎじゃないのは誰でも分かることだ。 けど、楽しそうに俺の作品について感想を言ってくれるのを見て、なんだか妙に安心したり。
俺も大概、単純なのかも。
「来て、ずっと杏奈と一緒に作品観て回ったんですけど、どれも凄く良かったですよ。世辞じゃなく、本当に」
「んふふ…。なら、良かった」
「なんつーか、…その場所の空気感?そういう温かいものが伝わって来る感じで、見てて凄く新鮮だった、っていうか」
「? 、新鮮?」
「ああ。…杏奈にも言ったけど、俺はああいう風に世界を歩いたことはないから。行けるけど、出来ることが限られてるんで」
「へえ…」
「はは。“へえ”って。…まあだから、“新鮮”。良いもの見せて頂けて感謝です。ありがとうございます」
松本くんの話を聞いて、そういう立場から写真を見る人もいるのか、と思った。 自分が予想している以上に、切り取った世界は広がっているらしい。
でも次の瞬間、松本くんから、また予想以上の言葉が飛んできて、脳内がそのワードでいっぱいになる。 そして、翔くんと一緒に他のゲストたちと会話をしている杏奈が視界に入った。
「…杏奈も凄く真剣に、嬉しそうに観てましたよ?自分のことみたいに」
「え?」
そう言って、最後は小悪魔的な笑顔で締める。 続くものは無いのに、突然の不意打ちに瞳が潤みそうになった。
――― だって、今の俺にとっては、それ以上の言葉はないから。間違いなく、それが最高のカタチだと思うから。
でも、そんな自分に気付かれたくなくて、必死で“そっか”と答えた後、また杏奈をこの目で捉える。 相も変わらず、どこの国の人かも分からないゲストたちと話を弾ませている。 その様子を見て、ふと“杏奈って英語以外も喋れたんだっけ?”と思った。 すると俺の心を読むように、松本くんが“よくあれほど色んな人とコミュニケーションとれるよね”、と言う。
「だって、今何語喋ってる?杏奈。たぶん相手と口の動きから見るに、フランス語でしょ?」
「フランス語…?」
「俺も教育上、フランス語みたいな主要となってる国の言葉は習ってるけど、杏奈はそれ以上だからね。よく31カ国語も喋れるな、っていうか。脱帽するって、こういうことを言うんだろーな。きっと」
もしかしたら、俺の知ってる杏奈と、松本くんの知ってる杏奈は少し違うのかも知れない。 31カ国語という数字にただただ驚いて、言葉に出来なくて、口が開いたままになる。
仕事柄、英語を得意としていたのは知っていたけど、まさかそこまで言語を習得してるとは思わなかった。 だって俺と付き合っていた時は、本当に英語だけだったから。
「…でも、ああいう風に出来るのは、きっと言葉だけじゃなくて…、」
「?」
思い出にふけるように松本くんが言葉を止める。杏奈を見つめる表情も、どこか優しい。 そして、しばらくした後に続けられた言葉と笑顔に“大事にしてるんだな”と思った。
「…杏奈は、その人の本質っていうか、自身を見てくれるからね」
「………」
大事にしてる、されてる。
「俺の時も、そうだったし」
――― 杏奈も、杏奈との思い出も。全部。
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