別れた後 / 彼女の場合 - 3/11


ホテルにしろ、レストランにしろ。
潤が私に、いわゆる“セレブ”という世界を教えてくれる人だとしたら、私は潤に、ニューヨーカーたちが暮らす“ありのままの日常”を教えられる人間だと思う。



「なんか新鮮。こういうのって」

『ふふ。悪くないでしょ?』



――― ランチにはいい時間となった今。私は潤とプレッツェルをかじりながら、MPDを歩いていた。



セントラル・パークでのジョギング後ホテルに戻ると、珍しく既に潤は起きていた。
“昨日の昼間は1人にさせちゃったから”なんて言って、今日は今の今まで、ずっと私のショッピングに付き合ってくれていたのだ。


片手にコーヒー、片手にプレッツェル。
NYに来たらフードベンダーでの買い食いは必須だけど、それを潤がやっているのがなんだか微笑ましい。
おかげでジョギング中に抱えていた不安定さなんて、気にならなくなっていた。

やっぱり、潤との時間は凄く落ち着く。



「で?欲しいものは揃ったの?」

『うん。大体は。…MPDって新しいオシャレな店が多いから好き。ここの本領発揮は夜だから、本当はその時間帯に来たかったけど』



MPDはミート・パッキング・ディストリクトの略。
元々は精肉工場だったエリアが、今やファッショナブルで最先端の街になった。その勢いはノリータやソーホーにだって負けてない。
数少ない石畳が残る場所だからか、ファッション誌や映画、テレビなどのメディアで使われることも多いのが特徴の一つだ。
そういえば、【SEX and the CITY】のサマンサは、この街に住んでいる設定だったっけ。



でも、コーヒーを飲みながら、そんなことをぼんやりと考えていると、潤が隙を突くような真似をする。
グレーのタンクトップに淡いベージュのシャツとデニム。
私も合わせるようにベージュのふんわりとしたトップスにデニムとアンクル・ブーツにしてみたけど、サングラスは掛けずにいられなかった。



――― 潤のことは大好き。でも、今は何か見透かされそうで、その強い瞳と直接目を合わせる自信が無い。



「…だったら、パーティなんて断れば良かったのに」

『…!…』



別に、嫌味を言っているわけじゃないことはちゃんと分かっている。
だって、投げかけられる視線も、声の調子も、まるでからかうような感じだから。
それなのに、同じように返すことが出来ないのは私のせいだ。

心臓が、音を鳴らすせいだ。



「まあ、俺は全然構わないけどね?作品も見てみたかったし」

『…ありがと。…ごめんね?付き合わせて』



そう言うとにっこり笑って、わざと私の髪をぐちゃぐちゃにする。私が朝、潤にいつもやっているように。
そして、別に謝らなくていいからと、コーヒーを一口飲んだ後、気遣うように話題をシフトする。


潤の、そのさり気ない優しさに私が救われていること。
本人はちゃんと分かっているのだろうか。



「…でもさー、そのパーティも含めてだけど。やっぱり杏奈を誘って良かった。今回の旅に」

『そう?』

「うん。だって、1人じゃこんな風に、こんな所を歩けなかったと思うから。NYをこういう風に歩いたのって初めてかも」



その言葉に、初めて出会った時のことを思い出す。その時も、確か同じようなことを言っていた。


先にも言った通り、潤はセレブリティの1人だ。全てが一流。何不自由ない華やかな社交界を自分の世界にして生きている。
けど、それ故に決定権を持てないという、ネガティヴな面があるのも事実だった。
だからこそ、潤はこうやってMPDを歩くだけで、フードベンダーで買い食いするだけで感動してしまう。
いつもだったら行き先は決まっているし、SP付きの車での移動だから。



なので今更だけど、“よくご両親が最高5カ月もの船旅を許してくれたわね?”と訊いてみる。
すると、何の躊躇いもなく“だって杏奈と一緒だからね”と返してきて。
どれだけ潤の両親に信頼されているのか分からないし、なんだか妙にくすぐったい気分になるけど悪い気はしない。
だから、さっきの仕返しとばかりに、からかうように言ってやる。



『何よそれ。まるで潤の保護者みたいじゃない。私、こんな大きい子供産んだ覚えないけど?』

「ははっ!」



大きく笑う姿はあどけなくて、なのに不思議にカッコ良い。
その理由は、きっと後に続く言葉に無意識にも気付いているからだ。


――― この5年間の中で、潤と出会えたことは私にとって一番の幸運だった。本当に。



「まさか。…女友達で、親友だよ。…唯一のね」






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