別れた後 / 彼女の場合 - 2/11


セントラル・パークはNYを代表するランドマークの一つであり、マンハッタンに住む人々のオアシスだ。
広大な芝生に動物園や劇場。それにスケート場も。
1日中居ても飽きることのないバラエティに富んだこの公園には、幾つもの楽しみ方がある。
この敷地が他と同じようにビルで埋め尽くされていたら、きっとニューヨーカーたちのストレスレベルは酷いことになっていただろう。
それぐらい、ここに住む人たちにとっては、なにものにも代えがたい存在だ。



『はぁ、はぁ…』



そんなパーク内をひたすらに走っていく。
いくら停泊期間中だからといって、前日の朝まで続けていたジョギングをやめるわけにはいかない。
せっかくホテルの目の前にセントラル・パークがあるなら、利用しない手は無かった。


オリーヴ色のギンガムチェックのウィンド・ブレーカー。
首に下げるiPod nanoからは、燦燦と輝く太陽にぴったりな、ケリー・ローランドの【Daylight】が流れている。

ただし、今は“Daylight”、昼間でもなければ、この曲のように心は明るくない。



『…っ、…』



きっと昨日、グラウンド・ゼロで智に会ったせい。
何か核心を突くような話をしたわけじゃないけど、何もかもが真正面から向かってきてる。
その全てが頭の中で過って、支配して、スピードを上げずにはいられない。


どうにかして、振り切りたいのに。



「あれっ?杏奈さん?!」

『!!』



そんな想いを振り切ったのは、ケリー・ローランドでも、苦しいぐらいに上げた速度でもなかった。
次の曲へと行く瞬間に聞こえたのは、旅の間にすっかり聞き慣れた弾けた声。
気付くと無邪気に駆け寄って来て、思わず私も笑みが零れる。



『雅紀くん…。ふふ。どうしたの?船降りてるの?思いっきり日本語で呼び掛けられたからびっくりしちゃった』

「ひゃひゃひゃ。なんか思った以上に船に残ってるゲストがいなくて。それで仕事も休みになったから、サブ連れて遊んでたんです。あっちの方にニノもいますよ!ふふふ」



そう言って指差す所には、芝生の上で寝転んでいる二宮くん。
ジーンズにTシャツ、ロング・カーデというラフな格好は、いつものスーツ姿とは違って眠っている様も可愛らしい。
そんな彼を見て、“無理矢理連れてきたんですけど!”と言い笑う雅紀くんは、やっぱり仲が良いんだろう。
なんとなくだけど、二宮くんはまた夜勤明けだったのかな、と思った。



「ねえねえ、杏奈さん。この首輪、可愛くありません?昨日、ノリータに行って買ってきたんだよねー?サブ!ひゃひゃ」



雅紀くんの腕の中にいるサブの首には、革で出来たピンクの首輪。
新しい物のせいか妙にくすぐったそうで、その仕草がまた可愛い。
すると、その愛らしさに惹かれたのか、同じようにジョギングしていた女性がわざわざ足を止め、声を掛けてくる。



「Hi, is it yours? Oh, so cute puppy! Can I hold it?」
(こんにちは。ねえ、その犬はあなたの?凄く可愛い子犬ね!抱いてみてもいい?)

「へえっ?」

「Is this puppy a... she?」
(えっとこの子…、雌犬なのよね?)

「え、あ!イエス、イエス!ひゃひゃひゃ。可愛い、…キュート!ね、でしょ?!」

『っ、ふふ!』



そのやり取りを聞いて、つい吹き出してしまう。
だって、余りにもシンプルすぎる英語。傍から見れば、会話は噛み合っているとは言い難い。
それなのに、小学生でも分かるような英語とボディ・ランゲージだけで、見事にその女性とコミュニケーションを取れているのだ。
“ハートで繋がる”って、こういうことを言うんだろう。きっと。



「んふふふ。…凄いでしょ?あの人。あのレベルの英語しか喋れないのに、世界一周してるクルーズ船のスタッフやってるんだから」

『! 、二宮くん…』

「おはよーございます。…また走ってたんですか?本当に元気ですね」



気が付くと、さっきまで寝転んでいたはずの二宮くんが私のすぐ隣にいた。でも未だ眠そうで、眉間にしわを寄せながら目を擦る。
相変わらず、その観察眼は鋭いけれど。



『ふふ。まあね?…でも、なんだか不思議』

「? 、何が?」

『だって、あの程度の英語だけでもきちんと会話出来てるじゃない。ああいうのを見てると、そんなに多くの言葉は必要ないんだろうな、って思うの。それって、やっぱり才能よね』

「……」

『凄く羨ましい』



サブを中心に、楽しそうに笑い合う雅紀くんと彼女を見て、そう思う。
どれだけの国に行ってきて、どれだけの言語を習得しても、結局最後に物を言うのはその人の心だ。
それは取材で色んな国に行き、多くの人たちと触れ合ってきた自分だからこそ分かること。
もちろん知識や技術は、あれば困らないのも知っているけれど。



「…でも、そんなこと言ったら杏奈サンの方が凄いし才能でしょ?」

『え?』



すると、二宮くんが私を見て言う。
寝ぼけ眼だった瞳は、もうすっかりいつもの調子を取り戻していた。



「だって、31カ国語喋れるんでしょ?言ってたじゃん」



――― そう言われた瞬間、何かがまた、この胸を突き刺す。



全てが上手く行っていると思っていたのに。
どうして心が不安定な時に限って、物事は真正面からぶつかって来るんだろう。
だからといって、昨日のことが無ければ、こんなにもナーバスにならずに済んだのかと聞かれると、それも違う気がする。
とにかく、そこまでしてその部分を追求したくはない。するべきじゃない。


だから、二宮くんには笑ってこう答えた。



『…ほとんど使わないような国ばかりよ。仕事じゃね』



まだ、十分じゃないの。まだ、意味を成してないの。それに関しては。






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