別れた原因 - 5/11
ノーホーはソーホーの対語。文字通りソーホーの北側に位置していて、最近認識されてきたエリアの一つ。 高級ブランドよりも、いわゆるファスト・ファッションであるカジュアルなブランドや、ヴィンテージ、セレクト・ショップが多い。
『さすが、ホットスポット…。オシャレな人たちが多い…。ふふ』
一軒のカフェを通り見ながら、笑みが零れる。 アートやファッション関係者が多く訪れるノーホーは、カフェ一つとっても他のエリアには無いセンスが光っていた。 最先端のギャラリーに、新進気鋭の若いアーティストたち。 彼らの作品を飾る、ギャラリーのようなカフェもたくさんあり、気軽に身近にアートを感じることが出来る最高の場所だ。
『…そういえば、櫻井さんの働いてるギャラリーもNYだっけ』
NYという街は常に忙しく、片手にコーヒー、もう片手にスマート・フォンという光景が当たり前。 流行に敏感で、有名ブランド店や老舗のホテル以外は変動が激しく、来る度に街の至る所が変化している。 でも、だからこそ多くの人たちが集まり、活気がある街。 そんな忙しい街では珍しい、ニューヨーカーたちのブレーク・タイムの様子をデジカメに収めながら、櫻井さんのことを思い出した。
ギャラリーの名前は聞かなかったけど、もしあるとしたらこのノーホーか、これから行くローワー・イースト・サイド、もしくはチェルシーだろうと考える。 櫻井さんの名前を潤が知っているぐらい有名ならば、それらの場所が妥当だ。 だとしたら、智もこの辺を歩いたりしていたのだろうか。
「あれ…。夕城さん。…ですよね?」
『え?』
味わいあるカフェの内装をウインドウから覗き、櫻井さんのしてくれた話を思い出していると、その本人の声が耳に届いた。鏡のようなウインドウには、私の後ろに立つスーツ姿も。 半信半疑ながらも掛けた言葉だけど、私が私だと分かると、いつもの爽やかな笑顔を向けて私のいる場所まで歩いてくる。
「はは…、やっぱり。こんにちは」
『櫻井さん…。突然、日本語で声掛けられたからビックリしたじゃないですか!ふふ』
「驚かせてしまってすみません。つい。…夕城さんも船を降りていたんですね。松本さんもご一緒ですか?」
『ええ。彼がわざわざアップタウンの超高級ホテルを取ってくれて。今は用があるとかで別行動していて、ちょっと放置されているんですけどね?』
わざと皮肉交じりに、ユーモアたっぷりに潤のことを言う。 すると櫻井さんが“そんなこと言って大丈夫ですか?”と笑いながら訊くので、“愛情があるから”と返すと、“それは良かった”と、また笑った。
『!、…その様子だと櫻井さんも随分忙しそうですね?旅の最中だっていうのに』
「え?ああ…。ギャラリーに連絡したら、早速仕事頼まれちゃって」
手に下げられたA2サイズのデザインケースを指差し訊くと、眉を下げながらそう答える。 でも、勝手な想像だけど、別にそれが嫌では無いんだろうな、と思った。
仕事が好きで、切っても切れない位置にあるものに自然となっている。 おかげで櫻井さんとは話をする度に、自分の仕事への欲求が高まっていくのだ。 偶然にも最初の寄港地が自分の仕事場である場所になった彼に、嫉妬を覚えるぐらいに。 そういう意味では、私もこの人もNYという街にはぴったりの人間なのかも知れない。
『あ。…もしかして勤めてるギャラリーって、やっぱりこの周辺だったり?今、ちょうど“どこなんだろうな”って考えてたところで』
「本当ですか?ええ、【Overflowing】っていうところで、そこが一番新しく出来たギャラリー。もうちょっとローワー・イースト・サイド寄りで、ここからは少し遠いかな。あとはチェルシーにもう一つ。そこは【FRONT-Row】っていうんですけど」
『へえ…。行けば、すぐに分かります?』
「よっぽど方向音痴じゃなければ。【DeTour】でエディターの仕事をしている夕城さんなら、なんてことないと思いますよ。どちらも他のギャラリーより大きい建物だし…。自慢じゃないですけど、良い作品、才能あるアーティストたちばかりの作品です。時間があるんだったら、是非観て欲しいなぁ〜。…それに…、」
『?』
饒舌に語られる、自分の仕事に対する自信と誇り。でも、そこまで言って間を空ける。 紳士的な態度は、茶目っ気たっぷりな意地悪な笑顔と共に姿を消した。
“ああ。また、だ”
同い年なはずなのに、櫻井さんは私よりも常に一枚上手らしい。
「…智くんの作品もありますし、…ね?」
『…!…』
こっちの想いなんて、当たり前かのように見透かされる。だから私も必死に“そう、ですね。確かに”と返す。 負けてたまるかと冷静に笑顔を向けてやると、突然彼が“あ…、でもそういえば…”と渋い表情を浮かべる。 けど、すぐに何か閃いたのか、指をパチンと鳴らし、さっき消えたはずの紳士な姿が再び現れた。
「…ちょうど今夜からなんですけど、ギャラリー主催でパーティがあって」
『? 、パーティ?』
「はい。だから、ほとんどの作品をチェルシーの方のギャラリーに移してあるんですよ。なので【Overflowing】へ行っても、意味が無いと思うんですけど…」
『は、あ?』
「そこでなんですけど、夕城さん。もし宜しければ、今夜のパーティじゃなくても、明日の夜のパーティに来ません?」
『え?!』
「たぶん、今夜に関しては既に予定があるでしょうし、智くんも恐らく来ない気がするんで。勘ですけど。…是非、松本さんと一緒にでも来て頂ければ、と思って」
突然すぎる招待に、頭が付いて行かない。 確かに、明日の夜の予定は決まっていないし、潤に言えばきっとノってくれるはず。 仕事に活かすためにも、取材をしたいのも本音。 でもそれ以上に、仕事の場に私がいたりして迷惑では無いのだろうか。
そんな風に考え込んでいると、また一言。でも、パンチのある一言が、私の心臓をドクンと鳴らす。 けど、さっきのような笑顔ではない。諭すような、そんな笑顔。
「…観たくありません?智くんの作品」
『……』
“観たい”
頭の中では、その言葉が木霊する。しつこいぐらいに。 でも、なぜだか怖れているのも事実。 だから、きっと私はこの時“ごめんなさい”と返すはずだったのだ。 けど、その前に櫻井さんが“だったら、せめて…”と言って、私にその言葉を呑みこませる。
――― やっぱり、一枚上手。きっと、私はこの人には敵わない。そんな気がする。
「…停泊期間の内に、観て欲しい作品があるんですけど」
なぜだか、逆らえない。どうしても。
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