再会 - 2/12


「すげー綺麗。ここ、どこの国?」



平日午前11時。某大手出版社、海外旅行雑誌【DeTour】の編集部にて。
会話を切り出したのは、騒がしいオフィス内とは温度も雰囲気も全く異なる、彼の方からだった。



『え?…ああ。それはフィンランド。綺麗でしょ?自然もたくさんあって、運が良ければオーロラも見られる。公用語はフィンランド語とスウェーデン語。気になる?』

「へー。俺、オーロラはまだ見たことないんだよね。今度行ってこようかな」



デスクトップのパソコン越しに見えるのは1人の男性。手には私のデスクに散らばっていたはずの写真が何枚かあり、その内の1枚であるオーロラの写真に目を奪われている真っ最中だ。
背後では私の仕事仲間である他のエディターたちが慌ただしく働いているというのに、そんなことを気にする様子は皆無。
でも、それもそのはず。それが当然だった。


なぜなら、彼はただここに遊び来ているだけの、いわゆる部外者なのだから。



『さすが潤。普通、そんな気軽にフィンランドに行ってこようかな、なんて言えないわよ?』

「まあ、時間も金もあるしねー。つーか、杏奈だって行ってんじゃん」



そう言って、オーロラの写真を刑事ドラマの刑事が警察手帳を見せるように、私に突き付ける。
約1カ月半前に現地で撮ってきたそれは、我ながら惚れ惚れするほど、綺麗に写真の中に収まっていた。



『これはだいぶ前だし、仕事で行ってきてるの!潤とは違うでしょ。これ資料なんだから、グチャグチャにしないでよね』



私が写真を奪い取って注意をすると、潤は相変わらず忙しそうだなー、なんて、座っている椅子をぐるりと回しながらニヤリと笑う。
そして私は、再びレビューを書く為に、キーボードの上で指を動かし始めた。


彼の名前は松本潤。社交界に明け暮れる、世界的財閥の御曹司だ。
見に付ける物も、訪れる場所も、知り合う人も、全てが一流。洗練されたルックスは、この騒がしいオフィスでは面白いほどミスマッチだった。
そんな彼が部外者であるにも関わらず、私の目の前に居る理由はただ一つ。



「杏奈」

『何?』

「肌荒れてる」

『…ほっといて』



2人がこんなことを笑顔で言い合えるぐらいの、仲の良い親友同士だからだ。
なんてシンプルで、単純明快な答えなんだろう。



「はは!怒るなって」



からかうようなその声と笑顔は、私よりも年下のせいなのか幼く見える。でも、育ってきた環境を考えると、潤にとってこんな風に笑えることは奇跡だった。
以前、ここまで無防備でいられるのは私の前だけだと、寂しそうに呟いていた横顔を覚えている。きっと、私には理解出来ない、息苦しいこともたくさんあるんだろう。
潤とは雑誌の強力なスポンサーを獲得する為に出会ったとはいえ、その結果が今の未来に繋がるなんて、人生はつくづく分からないものだと思う。


そんなことを考えていると、潤が頬杖を突きながら、改まったように訊く。PC画面を見つめながら、その質問に答えた。



「…そーいえばさ。杏奈、今週末って暇?」

『そんなわけないでしょ。校了も迫ってるっていうのに』



旅行雑誌は数あれど、“海外”旅行雑誌はなかなか少ない。だからこそ、そんな雑誌に関われていることに誇りを持っていた。
例え仕事に追われる毎日で、休みが無くなってしまったとしても、それはそれで悪くない。この歳でデスクというポストに付けたことを考えれば、そんなのは惜しくない。
今の自分にとって一番嫌なのは、妥協をしたことで後悔してしまうことだから。



「…俺さ、今週末からミステリー・クルーズに参加すんだ。豪華客船で世界一周。目的地が分かんないの」

『船旅?ミステリー・クルーズなんて、凄い企画』

「面白そうだろ?杏奈も一緒に行こ?」

『無理』

「なんで?別にいいじゃん」

『話聴いてたー?校了間際で忙しいって言ったでしょ。そんなの、行きたくても行けるわけがない、…っ…!?』



潤らしくない、と思った。
事情も話した上でしつこく誘うのは、たとえ仲の良い間柄であっても、礼儀を心得ているはずの彼にとって良しとはならない。
それに何より……、



『…潤?』



こんな風に、仕事をしている私の手を掴んでまで制止させるなんて、もっと有り得ないことで、あってはならないことだった。
でも、それだけに私も戸惑ってしまい、どう反応すればいいのか分からなくなる。目の前の親友にさっきまでの幼い笑顔は無く、瞳は真に迫るようだった。
思わず怯んでしまい、きちんと声が出せない。



「…杏奈こそ、ちゃんと俺の話聴けって」

『……』

「最近、休んでないじゃん。俺は、少しぐらい羽伸ばすのも必要だって言ってんだよ。…別にいいと思うんだけど。2、3週間ぐらい仕事から離れる時があったって」



強い言葉を選びながらも、最後にはほんの少し拗ねたように話す潤に、いつもの空気が戻って来る。
静かに掴んでいた手を離すと、だから肌だって荒れんだよ、とからかうようにまた笑われ、私もつられて笑ってしまった。潤ならではの優しさに胸が熱くなる。
でも、私の答えは誰かが簡単に覆せるようなものでもないというのが事実。この頑固さがあるから、ここまでやってこられたのだ。



『ありがとね、潤…。でも、私がいないと機能しないの。また今度誘って、』

「心配するなって!俺がその間、杏奈の代わりになるエディターを派遣してやるからさ。だから行こ?」

『……は?』



私が言い終わるのも待たず、食い気味で潤が、何かとんでもない言葉を口にした気がした。
相手が潤じゃなければスルーするところだけど、残念ながら相手にしているのは、紛れも無くその人であり、それ故にスルー出来ない。
つい、そのまま笑顔で見つめ合ってしまう。



「だって、それなら仕事に穴は開かないじゃん。で、杏奈はそれなら文句ない。でしょ?」

『ちょ…っ、…潤?』

「そうと決まったら、さっさと代わりを用意しなきゃだな…。あ、俺の方から杏奈の上司に伝えておくから、杏奈も引き継ぎの準備だけはしとけよ?とりあえず今やってるのは、今日中に終わんだろ?」

『ちょ…。ね、ねえ…何言って…。まさか、本気じゃないわよね?』



余りの急展開に、直前までフィンランドの記事を書いていた頭は付いていかない。冗談みたいな話にツッコミを入れようとしても、潤は至って真面目に見える。
それでも何とか正論をぶつけようとしているのに、逆に無視されているのは自分の方だった。
仕舞いには勝手に椅子から立ち上がり、私の上司の居場所を訊いてくる。や、ヤバい…!早く何とかして止めないと…!



『っ、ちょっと潤!!こんなこと、許されるわけないでしょう!?』

「…!」



そう言って、今度は私が潤の腕を掴み制止させる。必死の声と動きに、親友はもちろん、周りの仕事仲間も自分を見た。
でも、あっさりとその手は解かれ、またもやニヤリと笑われた挙句、こんな風に言われてしまう。



「“強力なスポンサー”。……会社だって絶対に失いたくないだろうから、許されると思うけど?」



――― その一言は、ちょっとズルすぎる。






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