彼と私の自由時間 - 1/2


ある日の明け方。

ベッドの毛布がモゾモゾと動き、肌をかすめるのを感じる。薄く目を開くけど、光も入らない真っ暗闇の中では、たとえ猫でも見えるものは無い。
その代わり、いつも通りのカチっという、鳴る前に止められた目覚まし時計の音を聴いて、私もいつも通り、耳をピンと僅かに動かす。



「ふあぁ〜…。今日は朝が早ぇなぁ…」



独り言を呟いた後は、大抵約1分間、それ以上の動きはもちろん、音も聴こえなくなる。もしくは1分以上、ただぼんやりするという、その行為に時間を費やすこともある。
でも、それが終われば静かにベッドから下り、服を着替え(何を着ようか迷うような、そんな余計な物音はしない)、ガチャっとこの部屋から出て行く。
彼は、私が毛布の中、ベッドの足元の方で丸くなっていることを知らない。



「そこで眠ってて気持ちいいの?」



ある日の夜8時半。

私が玄関とリビングを繋げる短い廊下の途中で寝そべっているのを、仕事から帰宅した彼が見つけ、そう声をかける。
どうやら、堅い床で眠るのが理解出来ないらしいけど、つい先日までソファで眠っていた彼に、そんなことを言われる筋合いは無い。
面倒臭そうにみゃーと鳴くと、クスクス笑いながら、彼はリビングへ向かって行った。



ある日の午前10時。

カチャカチャと私の食器をいじる音がしたかと思うと、彼がそこに、困らないだけの量の水とキャットフードを入れているのを見た。



「こんなんで大丈夫か?今日、収録で遅くなりそうなんだよなぁ…」



これからのスケジュールが億劫なのか、時折ため息を吐いて愚痴を零すけど、そんなモチベーションも、長くは持たないことを私は知っている。
なぜなら……、



「…今日の出前は蕎麦だっけ。何食おう…」



真剣な顔でお蕎麦のことを考えていると、インターフォーンのピンポーンという音が鳴り、慌てて家から飛び出していく。
椅子の下で見守っていた私は背伸びをし、トコトコと彼が用意していってくれた水を飲む。そして、日向ぼっこする為の場所を見繕う。



――― 今日は、天気が良いみたいだ。



私がこうやってここで生きていることを、世の中のほとんどの人は知らない。


半年前までは、ペットショップ(…というらしい)でたくさんの人間たちを見たし、姿を見ることは余り無いけど、他に仲間がいることは、声を聴いて分かってはいた。
そこでは、そんな仲間の声が聴こえなくなったかと思うと、隣から新しい声が聴こえたり、また聴こえなくなったりする。大抵彼らがいなくなる前は、人間たちに抱っこされているのを目にした。
何度か、私も大きな窓がある小さな部屋から出され、同じようなことをされる機会があったけれど、その度に理解出来ないことを残念そうに言われては、また元の部屋に戻される。
意味は良く分からないけれど、“うーん…やっぱり値段がねぇ”と、彼らはよく言っていた気がする。



「あ…。俺、こいつがいい」



そんなある日、キャップを被った1人の男性が、窓越しに私をジッと見つめたかと思うと、独り言のようにそう呟いた。
訳が分からず、コテンと首をかしげる私を余所に、彼はトントンと軽く指で窓を叩いては、満足そうに笑う。



「えっ!リーダー、その猫でいいの?もうちょっと、他の子も見た方がいいんじゃない?ってか、まだ抱いてもいないのに!」

「なんか…やらしぃ言い方すんなぁ、相葉ちゃん」

「っ、やらしくねーっつーの!ひゃひゃ」

「んふふっ」

「でも、真面目な話、その子でいいの?値段も結構するよ?」



背の高い男性の方が、そう言って窓の上の方を指差す。私は本能的に、突然動いたその手を、お座りしながら顔ごと追ってしまう。



「うん。どうせ、他に金使う予定もないし」

「そ?でも、1回は抱い…抱っこしてみた方がいいんじゃないの?もしかしたら、気が合わないかも知れないじゃん。リーダーとこの子」

「そっかなぁ…?俺はそんな感じはしないけど…」



彼ら2人が話す内容は半分も理解出来ない。でも漠然と、私は私がここを去る番が来たんだな、と悟った。
それを強く感じたのは、彼が細く長い指で私に初めて触れた時。もう何人目か分からない人間の体温なのに、彼が一番しっくりきたからだった。



「リーダー、その子の何に惹かれたの?一目惚れ?」

「だって、靴下履いてるみたいで可愛いじゃん。んふふ。よろしくね、ウタコ」



そう言って、なぜか手足だけ白い私の左前足に触れながら、キスをする。背の高い彼は、誓いのキスだね!と笑っていた。
そして月日は流れ、今に至る。私の運命の人は、サトシくんという名前の人だった。



さっき、私がここで生きていることをほとんどの人が知らないと言ったけれど、ご主人様であるサトシくんも、知っているのかは怪しい。
この家に住み始めてから、色んなことを教えてもらい、たくさんの物に見て触れて、世界を広げてきた。でも、どうやらサトシくんは忙しい人で、私のように、陽に当たりまどろむと言った時間は持てないらしい。
それなのにサトシくんも私も、お互いの生活に干渉せず好きなように家で過ごしてしまうから、知る機会も術も無いのだ。


けど、だからと言って、それが嫌なわけでもない。



「ふあぁ〜…。今、何時だ…?」



ある日の朝、時間は……謎。

いつも通り、鳴る前に目覚まし時計を止め、しわがれた声で独り言を呟く。その後もいつも通り、さっさと着替えて、さっさと仕事へ行くのだろうと思いきや、その日はいつも以上にゆっくりしていた。
そんな、なかなか起きないサトシくんとは逆に、私はモゾモゾと毛布の中から抜け出し、水を飲みに行く。
無事に喉を潤した後は思いっきり伸びをして、顔を洗い、入念に乱れた毛並みを整え、部屋の中を見回す。太陽は、もう顔を出しているようだった。



「うぅ〜…ん。…何やってんの、ウタコ…?」



私が窓とカーテンの間で、ベランダにいる鳥を捕まえようと格闘していると、ベッドの方からサトシくんが声をかける。
でも、質問した割に追及する気は無いらしく、そのままベッドから下りた後は、いつも通りの着替える物音だけが聴こえた。
私は何度ジャンプしても捕えられない獲物を、いいもん、今日は見逃してあげる…と視線を送り、ようやくカーテンの中から出る。



「今日、どうっすかなぁ…。せっかくのオフなのに、急過ぎて釣りに行くことも出来ねーし…」



サトシくんがカーテンを開けると、ついさっきまで私が追っていた鳥が飛んでいく。
それを恨めしそうに見送りながら、私は廊下に出て、ある場所へ向かう。サトシくんは再びスイッチをオフにしてしまったのか、そのままぼんやり外を眺めていた。



「釣り…。でも、洗濯もしなきゃいけないんだよなぁ…」



独り言の内容を整理するに、今日は仕事をする日ではなくなったようで、おかげでサトシくんは、今日をどう過ごそうか決め兼ねているらしい。
でも、相変わらずの私たちは、どんな予定を立てようと互いを干渉することはなく、思い思いに行動するだけだ。



そんなことを考えながら、私は廊下へ出てすぐのバスルームに着くと、勢いよくジャンプをして洗濯カゴの中に飛び込む。
しばらく、サトシくんの匂いがするたくさんの服で、爪を出さない程度に1人遊びをした後は、日向ぼっこをするより暖かく、優しい匂いで溢れているその場でうとうとするのが常。
そして、ペットショップを出てからの、広いようで狭い、狭いようで広い、自分が生きるこの世界の夢を見るのも当たり前だった。



“ウタコ、今日からもっと、自由に生きていいんだよ”



半年前までは、ずっと同じ景色を見て、僅か50センチほどしかない部屋に閉じ込められていた私は、サトシくんのその一言で、何かを取り戻したような気がした。


確かに彼はベタベタに構ってくれるわけではないし、こんな1人遊びを編み出してしまうぐらい、彼とは一緒に過ごす時間は多くない。
それに自由と言っても、この家の中だけ。さっきの鳥からすれば、そんな自由で満足してるなんて可哀想に…ぐらい思われてるだろう。それはその通りだし、否定するつもりもない。
でも私は、そのおかげで危険な目に遭うことも無ければ、キツい首輪をして、居心地が悪い思いをすることも無かった。
これは私にとって、一番の自由の象徴だ。



「あれ…。ウタコ?」



服に埋もれて白昼夢を見ている私を、不思議そうにサトシくんが見下ろす。
手には大量に作った新たな洗濯物があり、側に鎮座する洗濯機はバシャバシャと水を溜める音を響かせていた。それを見るに、今日何をするかは決まったらしい。



「んふふ…。こんなとこにいたんだ?久しぶりにちゃんと見たよ、ウタコのこと」



タオルや服を洗濯機に投げ入れながら、クスクスと笑って言う。
私はそれなりにサトシくんのことを見ていたけどね、という意味を込め、みゃあーと返事をすると、それが理解出来るのか、彼は再び笑って見せる。



「うん。いいよ、好きにしてて。今はちょっと、ここから出て欲しいけどね」



通じているようで通じていない会話の後、洗濯カゴの中から見上げる私を抱き上げ、自分の肩の上にちょこんと乗せる。
私はバランスを崩さないように身を落ち着かせ、ほんの少しだけ爪を出して、サトシくんの服にしがみつく。さっきの服の中よりも、はっきりと優しい匂いを感じた。
そして、今日はこれからどんな風にこの家で遊ぶか考えていると、彼は私が予想もしなかったようなことを言い出す。


サトシくんは、さすが自由の達人だ。



「あ…でもね、今日は1日俺の側にいて欲しいかも。ウタコの絵を描くことにしたから、いてくれないと。んふ…」



ある日の、午後。

彼は私をテーブルに上げると、目を合わせ、時折笑いかけながら、ひたすらにペンを動かす。



「ねえ、ウタコ。ちゃんとこっち向いて?」



ねえ、ご主人様。
こんな自由なら、いつでも大歓迎だからね?





Let’s Waste Time!

(これからも、私とあなただけの自由をちょうだい!なんて。)





End.


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