恋に落ちる時 - 1/2
side. M
夜10時、久々に早く終わった仕事にテンションが上がっていたのに、家に帰ってきて呆然とした。 せっかく上がったテンションも見事にだだ下がり。その酷い有様に、意識することもなく、ついつい突っ立ったまま無駄な時間を過ごしてしまう。 毛むくじゃらの小さな犯人は、お帰りなさい!今日はこんなものを見つけたわ!と成果を披露するように、リビングの真ん中で俺を見つめていた。悪びれる様子もない。
「っ、やられた…。いや、俺が悪いんだけど…」
そう愚痴を零しながら、とりあえず荷物をキッチンカウンターの上に置き、犯罪現場のように荒らされたリビングを確認する。 本にCDにDVDにちょっとした置き物。それに、朝家を出る時に使ったお気に入りの香水瓶…。雑誌は、まだ読んでいないのにも関わらずビリビリに破られていた。 それでもラッキーなことに、壊れたり割れたりしたものは、まだ少ないと見てもいい。 やっぱり細々した物や危険な物は、躾が完璧になるまではどこかに仕舞っておいた方がいいかな、と思う。
「い、っつ?!」
観念してようやく片付け作業に入ると、しゃがみこんだと同時に、猫が爪を立てて背中に乗ってくる。 ただでさえ薄着の季節で服に厚みが無いのに、短くも良く刺さる爪でそんなことをされちゃあ、顔をしかめるしかない。 そして、相変わらず飄々とした様子でにゃーと鳴くその猫はスカーレットという名前で、俺のルームメイトでありペットだった。
「あ…そーいやあ、まだ餌やってなかったっけ…。っ、分かったから、ちょっとおりろってスカーレット!」
――― 俺が猫を飼うことになるなんて、誰が予想出来ただろう。当の本人である俺だって、予想出来なかったのに。
事の始まりは約3カ月前に遡る。今日みたいに仕事が早く終わり、1日中雨が降っていた日だった。 冷蔵庫にビールが無いことに気付き、近くのコンビニまで買いに出かけた際、その帰りに、ずぶ濡れになっている猫を発見してしまったのだ。 しかも、さっきまでは絶対に居なかったはずの、自分のマンション前で。 いつかの自分が出たドラマを思い出して、迷いながら部屋へ連れていったのを今でも覚えている。
それから1週間ほど、友人・知人に引き取れないか電話して訊きまくったけど、良い返事は貰えなかった。 メンバーにも一応訊いたけど、リーダー以外は猫より犬が好きな人ばっかりだし、だからといってリーダーも飼うこと自体に興味は無いし。翔くんに関しては、考えるまでもない。 すると、そんな俺を見兼ねて、相葉くんとニノが言ったのだ。
“だったら、潤くんが飼ってあげればいいんじゃない?”
そんなわけで、3カ月前から念願だったペットを飼うことになった。望んでいたのは犬であって、猫ではなかったんだけど。
「お待たせ。遅くなってゴメンな」
キャットフードを皿に出すと、スカーレットはよっぽど腹が減っていたのか、勢いよく食べ始める。 時折上目遣いで俺の様子を伺うスカーレットは、短くも美しい毛並みで、顔も小顔。適切な表現じゃないけど、野良だった割に美人な気がする。…いや、美猫か?この場合。 名前は、ちょうどその時観ていた、古い映画のヒロインから貰った。
「…おっし!俺も自分の分、用意するか」
片付けもなんとか終わり、遅くなった自分の夕食を用意する為にキッチンに立つ。 面倒だからパスタでいいか…と思うのも束の間、結局やり始めると楽しくなってくるのはいつものこと。ドラマで培った技術を、存分に活かそうとしてしまう。 オリーブオイルにトマト、ほんの少しニンニクも。それに、缶詰を開けてツナも入れる。 でも、そのツナ缶を手に取ろうと動いた瞬間、足がもつれそうになった。足元を見ると、いつの間に来ていたのか、スカーレットがそこに居る。
「びっくりしたー…。驚かせんなよ、ったく…」
そんな風に呟き、敢えて気付かないフリを装うけど、もちろんスカーレットは俺を驚かす為に足元をウロウロしているわけじゃない。 現にスカーレットは物欲しそうに俺を見上げているし、ツナ缶が開く音がすると、ちょうだい!ちょうだい!と訴えるように鳴く。もう、大興奮だ。
「さっき、飯やっただろって!?ちゃんと自分の分食べ切ってからにしろよ、せめて!」
もちろん、そんな必死の抵抗が通じる相手じゃない。なんせ相手は、暇潰しにリビングを激しく荒らすほどの女。 挙句、履いているジーンズに爪を立ててよじ登ろうとするんだから、こっちは痛みとツナを奪われてしまうという危機に、パニックもいいところだ。 そして結局、ほんの少しのおこぼれを、スカーレットはちょうだいすることになる。
マジで、猫相手に何やってんだ、俺……。
「はぁ…少しだけだぞ?」
余計な油をきちんと絞り、ひとつまみ分だけ掌に乗せてスカーレットに差し出す。躾上良くないことだと分かっていても、ついつい甘やかしてしまうのは、やっぱり自分に懐いて欲しいから。 動物をほとんど飼ったことがないし、好きなのに嫌われる!と面白可笑しくメンバーに言われれば、そりゃ気にもする。 3カ月経って、俺もスカーレットも色々分かってきたし、少しは慣れてきたとは思うけど、振り回されているのは見ての通りだ。
こうやって無駄におやつを与えてしまうのはもちろんのこと、注意をしたらしたで、俺に爪を立てるのも良くない。 また、好奇心旺盛な猫にとって俺の家は宝の山らしく、取って置いたドラマや映画の台本は、本棚から何度も落とす実験をされている。おかげで、今や大半の本がボロボロだ。 クローゼットに忍び込まれるのはマジで困るから、入れないように紐で取っ手と取っ手を縛り付けたけど、今度は俺が面倒臭くて仕方が無かった。 それを考えると、ゴミ箱が横倒しにされるぐらいは、可愛いもんだとすら思う。
「でも、やっぱ良くないよなー…。これからも一緒に生活していくんだから…」
風呂から上がり、パンツ一枚のままバスタオルだけ羽織って、ベッドルームに置いてあるパソコンに向かう。 スカーレットは、部屋から部屋へと俺に付いて来て、今はベッドの上で毛繕いをしていた。 ほとんど裸の俺と、ベッドで待つ猫という妙にセクシーなシチュエーションに、まるで人間の女さながらだな…なんて自嘲気味に笑ってしまう。
「…って、そんなバカなこと考えてる場合じゃねーし。明日も早いんだから、さっさと調べとかないとな」
そう呟きながら、パソコンを起動させて、猫の躾の仕方について検索をする。 躾に悩んでいるのは俺だけじゃないんだな、とほんの少し安心し、気になるものは全部プリントアウトしていった。 …が、そうやっている間もスカーレットは、俺の足の指を可愛らしく舐めていたと思ったら甘噛みをしてきて、色んな意味でやる気が削がれる。
「っ、ああ〜…くっそ!マジどうだってよくなってくんな、こうなると…」
躾について調べている間も躾に悩まされ、思わず何もかも放棄して、ベッドにダイブする。 動物マスターの相葉くんならともかく、自由気ままな猫を躾するなんて、俺には無理だ。そもそも俺に動物が懐くはずないし、懐いても餌貰う時だけだし…。 すげー気ぃ遣ってるのに報われないとか、マジで飼い主としてダメすぎるだろ、俺。でも、だからといって強く怒ることも、自分が思った以上に出来ないし…。 やべ…。なんか、俺に飼えるのなんて、熱帯魚とハムスターぐらいな気がしてきた……、
「っ、…何?」
自分でも嫌気がさすぐらいのネガティヴモードに落ちていると、突然柔らかいにくきゅうが鼻に触れた。 目を開くと、まるで人間が熱を測るような仕草で、スカーレットが俺の様子を伺っている。その前足に、爪は出ていない。
「…んだよ。ほっとっけって、俺のことなんか」
いきなりの行動に意表を突かれながらも、どうせ今だけだろ、とまた目を瞑る。 ペットの猫相手に、何意地張ってんだ、と我ながら思うけど、それぐらい結構落ち込んでいるのだ。
でも、それが分かっているのかいないのか、スカーレットはしつこく頬や額を叩いたり、頭を摺り寄せてくる。 目を閉じていたこともあり、若干俺がうとうとしかけてくると、無視しないでよ!と抗議するように、耳元でゴロゴロと喉を鳴らされた。
「っ、はは!うるせーよ!」
猫ならではの猛追に耐え切れなくなり、結局笑ってしまう。そして、軽く頭を小突いた。 けど、スカーレットの方はようやく俺が自分に構ってくれたのが嬉しかったらしい。甘ったるく鳴いたと思ったら、もう一度擦り寄ってきて、そのまま唇にキスをする。
「いやいやいやいや…。だから、どんな駆け引き上手な女だよ、お前…」
再び訪れた妖しい雰囲気に、微妙に気まずくなりつつも、今度は恐れることなくスカーレットを抱き上げ、仰向けになる。 真下から覗いた瞳は金色で、部屋が暗いせいか黒目が大きくなっていた。そして、親バカというよりは恋人気分なのか、その瞳がこう言っているような気がする。
“私は、本当は潤くんのことがだぁーいすきなのよ!”
「俺も好きだよ…?お前のこと」
そう囁いて、とろけるような秋波を互いに送り合う。
猫に恋に落ちるって、こういうことか。
Let’s Waste Time!
(ちょっとツンデレが過ぎただけ。お互いに、ね。)
End.
→ あとがき
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