Twisted Angel - 1/2


お客さんがひしめく、午後3時のスターバックス・コーヒー。夏休み真っ只中のせいか、日曜日の今日はいつも以上に店は混んでいた。
いかにも学生さんな団体の女の子たちは、可愛らしい色のフラペチーノを飲んでいて、サイズも可愛い。
ピークになる前に来店し、一番奥の角の席に居座っていた私のテーブルには、グランデサイズのソイラテとノートパソコンがあるだけなのに。



『薄…』



氷が溶けて味が薄くなってきたソイラテを一口含み、そう呟く。さっきからずっと、ノートパソコンの画面と睨めっこしてばかりだ。
いつもの最大音量より真ん中に設定したiPodからは、“この気持ちだけは疑わないで欲しい、それだけは本物だから”、と歌う声。
今注目の、イギリス出身の女性R&Bシンガー。彼女のこのアルバムで、もう何人目になるだろう?それなのに、未だ作業は滞り中だ。まずい。



『…?』



気を引き締めて、もう一度最初から文字を打ち直してみることにする。でもそんな時、隣の席に座るカップルから妙な視線を感じて、動きが止まった。
よく見ると、そのカップルだけじゃなく、近くの他の席に座るお客さんたちも私を見ている。
何だろうと不安になったけど、イヤホンを耳から外してすぐに、その理由に気付いた。傍らに置いておいた私のケータイが、けたたましい程の音量で鳴り響いている。



『っ、マナーモードにしとくの忘れてた…!』



小さく愚痴を零しながら、急いでケータイを取る。でも、着信を知らせる表示された名前を見て、更に毒づいた。
もう、何なのよ、こんな時に…。



『…もしもーし?』

≪やっと出た。今、どこに居んの?≫

『はぁ…。ねえ、翔ちゃん…私、今はちょっと、』

≪仕事?≫

『当たり前じゃん』



分かってるなら、電話かけてくるな、っつーの。
そう言ってやりたいのを我慢して、頬と肩でケータイを持ち、再度目の前の作業に挑戦する。
今から一からまとめるとしたら、どれだけの時間が必要なんだろう。明後日の会議までに、この企画書は本当に間に合うのか不安になる。



≪ふーん。つーか、すげー何回も電話したんだけど、俺。仕事で手離せないとしても、1回ぐらいコールバックしてくれても良くね?心配したし≫

『イヤホンしてたから着信に気付かなかった。電話したって、何回ぐらいよ?』

≪うーん。少なく見積もっても10回ぐらい?≫

『バカじゃないの。そんなしつこい男に、絶対にコールバックなんかしてやらないし』



私がそう一蹴すると、受話器の向こう側から、いつもの滑舌の良い翔ちゃんの笑い声が聴こえた。車にでも乗っているのか、エンジン音と、微かにラジオの音もする。
くっそー。さすが大手のエリート会社員は余裕がありますねー?私は日曜だっていうのに、スタバで企画書練ってますよ!相変わらず腹立つなぁ!



≪はは…!まあ、そう言われても仕方ないけどさ。で、もう1回訊くけど、今どこに居んの?≫

『なんで』

≪いいから答えろよ。じゃなきゃ、また5分置きに電話するけど≫

『…スタバ』

≪どこの?≫

『私の生活圏内に、スタバは2軒しかないけど』

≪だから、どっちのだよ。よく買い物に行く方?駅構内?≫

『…駅構内』

≪分かった≫



そう言って、挨拶も無しに突然プツっと電話が切れる。もしかしたら、余りの素っ気ない私の態度に、会話を諦めたのかも知れない。
でも、だからと言って私が翔ちゃんに罪悪感を抱くことは無かった。
こんなのは日常茶飯事のことで、あの映画観に行こうだの、旨いレストラン見つけたから今度一緒に行こうだの、事あるごとに彼は私に付き纏う。
私はもちろん、彼もこんなの慣れっこだし、何より今は、この忌々しい企画書をさっさと退治しなきゃいけないのだ。構っている暇なんて無い。



『…おし。やるぞ!』



再び気合いを入れ直し、イヤホンを装着する。
さっきまで“私の愛を疑わないで欲しい”と歌っていた彼女の作品は、電話をしている間に後半戦に突入していて、時間を無駄にしたことを思い知る。
せめて、残りの曲全てを彼女が歌い切るまでには、企画書の最初の1枚目は仕上げてしまいたい。出来るかな…。



そんな若干の不安とも戦いながら、残された時間を大事に、驚異的な集中力を私は発揮する。
瞳はパソコン画面だけを捉え、イヤホンからは素晴らしい声とメロディだけが流れてくる。キーを叩く音も、心なしかリズミカルだ。
時折、もう十分に薄くなってしまったソイラテを飲んでは、頭の片隅で“この箇所が終わったらもう一度注文しよう”、と思う。
でも、もうなかなかの時間をこのスタバで過ごしているし、これ以上居座るのはやっぱり厳しいかも知れない。その時は家に帰るか、場所を移すか……、



『っ、痛!?』

「お疲れー」

『…! 、…翔ちゃん…?』



額に走った突然の痛みに、大きく声を上げ、体も跳ねた。困惑したまま顔を上げると、パソコン越しに私を見て笑う、見慣れた彼。
いつの間にここへ来て、いつの間に私の居るこの席に座っていたのかは知らない。
でも、確かに目の前に居るのはさっきまで電話で話していた相手で、紛れも無く翔ちゃんだった。しかもこの人、今デコピンした?もしかして。



「他に誰かいんの?てか、気付くの遅過ぎじゃね?俺、それなりに待ったよ?」

『…なんでここに居るの?』

「? 、ここに居るって言ったじゃん、杏奈」



頬杖をつきながら、私の問いにそう答える。表情は何を言っているのか理解出来ないとばかりで、逆に不思議そうに見つめ返されてしまう。
しつこく電話をしてきたり、勝手に私の居る場所へ訪問したり、もはやストーカーの疑いで警察に連絡出来そうな勢いなのに、何なんだろうこの余裕は。
でも、悔しいことに彼は相変わらずカッコ良く、周りに座る他のお客さんも、突如現れたイケメンに、そわそわと落ち着きが無い。
ふと、視界に入った隣のカップルの彼女も、なんでこんな女にこんなイケメンが?とばかりに視線を送ってくれる。なんて素晴らしい。



『…ねえ、翔ちゃん。見ての通り、私仕事してるんだけど』

「お気になさらず。俺も俺で、勝手にやるから」

『そうじゃなくて…。集中出来ないんだってば、翔ちゃんが目の前に居ると〜…』

「はは!さっきまで、俺が来たことにすら気付かなかったくせに」



私なりの正論を言ったはずが、もっともな返しをされ、心の中で舌打ちをする。これだから、頭の良い男は!
悔しがる私を余所に、彼が未だオンにしたままの私のiPodに気付き、手に取った。
さっき立てたはずの目標は、もはや達成出来る気がしない。ぬるくなったソイラテも、当たり前だけど美味しくないし、テンションはだだ下がりだ。


でも、何が一番うんざりって、たかだか翔ちゃんが現れただけで仕事が出来なくなる自分が嫌。
それに、こうやって付き纏われるのも、内心悪くないと思っている自分も嫌。だって、なんかこれって、まるで私が翔ちゃんのこと……、



「あー…。いいよなぁ〜、この曲。俺も好き」



そう言って、私のiPodをいじっていた翔ちゃんが、前のめりになる。
一緒に聴こうと、私にも片方のイヤホンを差し出すので耳に付けてみると、そこからはもう何度も聴いた曲が流れていた。



「これ、なっんか共感しちゃうんだよな〜。聴く度に、俺みたいって思うの」

『“自分の愛は本物だから疑わないで”、って?それ何のアピール?翔ちゃん似合わないよ、そういうの』

「はは!相変わらず厳しいよな〜…。でも、杏奈のそういう全然なびかないところが好きなの、俺」

『…!…』

「出来れば、早く俺の気持ちに応えて頂けると嬉しいんだけどなーって、この曲聴きながら思うわけ」

『……』

「ど?ツンデレも、もうそろそろやめにしない?」



片方の耳から聴こえるお馴染みの曲と、何もかもお見通しですよ、とばかりの彼の笑顔に、思わず息を呑んだ。
この人は、いったいいつから私のことを想ってくれていたんだろう、と本気で考えてみる。そして同時に、私もいつから彼のことが好きだったんだろう、と考える。
でも、いくら考えても答えは出て来ない。つまり、それぐらい自然に、いつの間にか惹かれてた…ってことなんだろうか。うわー、何それ。怖いんだけど。



『意味分かんない…』

「はは!それがツンデレだって言ってんだよ!…まあ、別にいいけどさ」



そんな風に私の変わらない態度に大きく笑った後、いい加減に注文してくるわ、と言って席を立つ。
けど、私のソイラテが既に空になりかけていることに気付き、当然のように奢ると申し出るんだから、本当にムカツク男だと思う。
自分が何をどう言えば相手の心を揺さぶれるのか、きっと熟知しているに違いない。それぐらい、余りにもそつが無さすぎるのだ。
故に普通にしていると、私はいつも勢い余って、翔ちゃんのことを好き!と素直に言ってしまいそうになった。


でもそれって、もうなんか……、



『…ベンティでお願い』

「ベンティ?そのサイズの量、必要?まだ、仕事そんなかかんの?」

『いいじゃん、別に』

「ふーん…。まあ、いいけど」



だから、これが私なりの仕返し。

そっちがツンデレをやめろと言うなら、意地でも続けてやるのだ。



『…少しでも長く一緒に居たいだなんて、絶対に言ってやんないだから』



ざまーみろ!





Twisted Angel

(誰がこんな風にしたのか、もしかして本当に分かってないの?)





End.


→ あとがき





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