4 hours - 1/2


side. S



形で残る物は要らない、と言われた。それに、花をくれる男が好きだ、ってことも。



「…ごめん、遅れた」



前者は数日前に言われたことだからともかく、後者の意見が、今回の状況にも当てはまるかどうかは怪しい。
しかも、赤、ピンク、黄色とたくさんあった薔薇の中から、敢えて白を選んでるんだから、もうどうしようもない。我ながら物分かりが良すぎるとも思うし、自虐的ですらあると思う。
それなのに彼女が、遅れて到着した俺にも、薔薇の色にも怒りを表さなかったのは、もはや奇跡に近い。


彼女は一瞥した後、ありがとう、と素直に受け取っただけだった。



「じゃあ…、食事にでも行こっか」

『うん』



待ち合わせしていたベンチから、彼女が立ち上がるのを確認し、歩き出す。
ほんの少し小走りで駆け寄ってくるブーツの音は、いつもと同じ。でも、突然右手に感じた柔らかい感触はいつもとは違うものだった。
思わず立ち止まって、彼女を見つめてしまう。



「な、…え?どした?」

『何、その反応…。別にいいじゃん、手繋ぐぐらい。翔は恥ずかしい、って言っていつも嫌がるけど、今日ぐらい繋いでくれても良いでしょ?ね?』

「…分かった」

『ふふ、やった。ずっと、こうやってデートしてみたかったんだ』

「そっか…」

『うん』



再び手を繋いで歩き始めると、心の中で“ごめん”と謝る。
お互い何も言わず、いつも通りのデートを装うけど、これから4時間、それを保てるかどうかは、きっと俺に懸かってるんだろうな。
現に杏奈は、こうやって俺と手を繋いでるってだけで無邪気に笑い、“いつも通り”を破綻させようとしてる。
それに杏奈のことだから、白い薔薇を選んだ理由も、気付いているに違いなかった。



『お腹空いたー!』

「はは。もう着くから、慌てんなって!」



――― ヤバイ。既に、俺の方が泣きそうだ。



恋人である杏奈は、元々は大学時代に出会った友人の1人だ。
俺は卒業後、そのまま大手の会社に就職して働き始めたけど、彼女は院に進み、勉強を続けることにした。俺は経済学部で、彼女は文学部だった。



『んー、美味しかった!』

「ご満足して頂けました?」

『今まで食べた中で、一番美味しかったかも。さすが働いてる人はお金にも余裕があるし、いいお店知ってますねー?』

「っ、なんか嫌味じゃね?それ。せっかく人が、杏奈の為に、忙しい中、店調べてご馳走してやったっつーのに…」

『あははは!嘘、嘘。ごめん、冗談だってば〜!』



冗談なのは、分かってる。
でも、食事が終わり、目的地も決めないまま、ただ人混みの中を2人で歩いていると、その見解は確かだとも思う。


仕事帰りでスーツ姿のままの俺と、デートの為にきちんとオシャレをしてきた杏奈。
そんなカップルが、もちろん俺たちだけじゃないのは知っているし、きちんと上手く付き合っていけるヤツらの方が多いのも知っている。
でも如何せん、俺と杏奈が互いの世界を尊重することになった一因はそれであり、今日のデートが成立した理由もそこにあった。
そして今夜、仕事仕様であるはずの眼鏡を外せない理由は、与えられたせめてもの時間を台無しにはしたくない、というのが俺の勝手な言い分だった。


眼鏡をしていれば、仕事モードを保てる。俺の勝手な私情に、流されずに済む。



『ね、…翔?』

「んー?」



そんなことを考えていると、彼女が繋いでいた手を緩め、俺の前を立ち塞いで、真っ直ぐに見つめる。
そして、あっという間に、仕事時の俺のトレードマークである眼鏡を奪い取った。



「っ、ちょ…!何する、」



反射的に、取り戻そうと手を伸ばす。でも、それよりも早く、彼女がネクタイの結び目を掴み、軽く自分の方へ引き寄せる。
そしてまた、あっという間に。


人が溢れかえる道のど真ん中で、俺にキスをした。



「…!…」



何も理解出来ないまま、突然に世界はスローモーションになる。好奇の目で見る人もいれば、聴こえるように舌打ちをして通り過ぎる人もいる。
キスされているんだと気付いた瞬間、やけに街のネオンは眩しくなり、五感の全てが麻痺するような感覚に襲われる。
それでも彼女を引き離すことが出来ないのは、触れ合った唇の温度にも、ネクタイを握り締める強さにも、痛いぐらいの想いを感じるからだ。


ああ、もう。何なんだよ、いったい。



「杏奈…」

『ふふっ…。これも、一度はしてみたかったことの一つ。ドラマみたいで、良い感じじゃない?』

「…ドラマっつても、海外ドラマの中の世界だけだろ」

『つまんないセリフ。そんなこと言ってると、これから先、誰のヒーローにもなれないよ?海外ドラマの世界どころか、日本のドラマの世界でもね』



目の前でクスクス笑う彼女に、何を言うべきなんだろう。


“お前以外のヒーローになるつもりなんかねーよ”?
でも、待たないで欲しい、と言われた。

“どーいう意味だよ!余計なお世話だっつーの!”?
でも、笑ってそう言えるほど、本当は心の整理はまだついていない。

“お前こそ、誰かのヒロインになれると思ってんの?”?
そんなの、考えたくもないし、ましてや口に出せるわけもない。



「…俺の日常生活は、ドラマとは違うんだよ。…眼鏡、返せって」



数秒考えて出てきた言葉は、考えたとは言い難く、空気が読めないにも程がある。
俺の冷めた答えに、杏奈の顔から笑顔が消えた。



『…何で、こんなのしてんの?いつもはしてないじゃん』

「仕事から真っ直ぐ来たんだから、仕方ないだろ。…返せって」



当然の質問に、用意されていた答え。彼女の手から眼鏡を取り返し、する必要のないそれを、また掛け直す。
彼女が俺の答えに納得出来ていないのは一目瞭然であり、自分でも最低だな、と思った。
でも、だったら何が正解?でも、何が正解か、なんて考え始めたら、きっときりがないし、そもそも考えること自体が無意味だ。


だって、これが杏奈との“最後のデート”なんだから。



「…そろそろ帰んなきゃマズイよな。送ってくから、行こ?杏奈」



時計を確認すると、タイムリミットである“残り4時間”が終わりを告げようとしていた。
最後のデートを、杏奈との別れを、ケンカで終わらせたくはない。だから、何もなかったように笑いかけ、今度は自ら杏奈の手を取る。
それなのに、杏奈は動こうとはせず、一瞬目を伏せた後、また明るい声を俺に向かって響かせた。



『っ、大丈夫だってば!だって…、まだ10時になる前だし!』

「家に着く頃には、10時過ぎるよ。…今は実家に戻ってんだから、おじさん、おばさんに余計な心配かけさせんな、って。荷造りも、まだ完全に終わってねーんだろ?」

『そんなの…っ、…もうとっくに終わってる!』

「嘘吐け。…帰るぞ」



そう言って杏奈の手を引き、駅へと足を進めようとするけど、思いっきり振り払われてしまう。
言い聞かせるように名前を呼び、何度手を取っても、その度に杏奈は俺の手を振り払い、同じことを繰り返す。
数分前にキスした時と同じように、好奇と嫌悪感が要り混ざった視線で、人が見ているのも、通り過ぎていくのも分かった。


ある意味、正しくドラマの1シーンだ。



「杏奈…!」

『っ、そうだ!ねえ、ホテル連れてって。夜景が綺麗で、ロマンティックな感じのところ。翔、稼いでるんだし、それぐらい平気でしょ?』

「そんな、出来るわけ…」

『で、いっぱいキスして、いっぱい抱き締めてよ。最近、全然会えてなかったから、私、すっごく寂しくて…、』

「…!…」



彼女の突拍子もない提案と、後に続いた本音に、心臓が剣で突き刺されたような、鈍い音が聴こえた。
確かに、最後である今夜のデートを迎えるまでの数カ月、満足のゆくデートが出来たとはお世辞にも言えない。
俺だけが原因を作っていたわけじゃない。でも、杏奈にそれを言うような発想も、この時の俺には無かったし、寂しい想いをさせたのは事実だ。


今更しても、遅い後悔。言い返す言葉も、今度は出て来なかった。
俺のそんな様子に気付き、さっきまでの嘘くさい明るい声も、強張ったような笑顔も、彼女から完全に姿を消す。



『っ、…何よ、それ…』

「杏奈…」

『っ、そんな…!そんな、困ったような顔しないでよ!面倒そうな声、出さないでよ…っ!』

「……」

『この白い薔薇も…っ、…私のことバカにしてるんでしょ…!』



そう言って、邪魔にならない程度にまとめてもらった花束を、俺の胸に勢いよく叩きつける。
瞬間、何枚か花びらが舞い、それが地面に落ちていくのを見届けながら、やっぱり彼女が意味に気付いていたことに、妙な安堵感を覚えた。
彼女のことをバカにしているつもりは毛頭無いけど、苛つかせるだろうと分かってて渡した俺は、やっぱり自虐的で、凄く卑怯だとも思う。


なぜなら、こんな風に責められるのを、心のどこかで期待してた。
責められることで、何もかもチャラに出来るんじゃないか、って期待してた。きっと。



「ごめ、ん…」



――― やべぇ。これ以上俺に言えることなんて、きっと、もう無い。



経済学部の俺と、文学部の杏奈。ひょんなことから知り合って、恋人同士になれた。
卒業後、お互い自分の夢や目標に向かって別々の道を歩き出したけど、危機感はまるで無かったと言っていい。
俺は彼女を信頼していたし、彼女も俺を信頼していた。
数カ月前より以前は、時間をきちんと作って、他のカップルと同じようにデートをしていたし、訳が分からないと言いつつも、仕事や勉強の成果を報告し合っていたから。


誰がどう見ても、俺たちは上手くやっていたと思う。
ああ、そうだ。その時、白い薔薇は文学的な意味と象徴で言うと、友情と親愛の証だ、と杏奈から聴いたんだ。



『っ、白い薔薇なんて…!なんで、そんな簡単に…受け入れるのよ、翔は…!』

「ごめん…」



じゃあ、今の俺たちがあるのは、やっぱり仕事の忙しさにかまけて、寂しい想いをさせた俺のせい?
それとも、1週間前になってやっと、海外の大学へ留学が決まったと、杏奈が報告したせい?


5年間も。しかも、待たれるのも待たせるのも嫌だ、と言われて。



『…分かってる。別に、翔は悪くない。私から、…別れようって言ったんだから。そう言ったことだって、後悔してない、…私』

「……」

『っ、…でも、なんで…?なんで、そんなに冷静でいられるわけ?なんで、…そうやって1人で大人ぶるのよ…!』



だって、そうしないと杏奈の今までの頑張りが、無駄になるから。そうしないと、自分の勝手な都合で、杏奈を困らせることになるから。
でも、涙をボロボロ流す彼女を見ていると、結局同じことだったな、と思う。


結局、俺のせいで困らせた。



『翔、1人にしないでよ…』

「杏奈…」

『家になんか送っていかなくていいから、翔と一緒にいさせてよ…』



彼女がよろよろと近づき、俺の胸を軽く拳で叩いて、力無く寄りかかる。
俺はどこに焦点を合わせていいのか分からず、彼女も俯いたままだったけど、涙が止まっていないのは確認しなくても分かっていた。
白い薔薇の花束は、今や完全に地面に落ちていて、それでも、抱き締めることは出来ない。



『送ってかないで…』



分かる。でも、もう時間だから。
どんなに気持ちが一緒でも、もう終わりだから。


だから、



「…杏奈、…帰ろ?送ってく」



俺は、嫌われたっていいよ。

お前の為なら。





4 hours

(残された時間も、未来の時間も。2人だけの時間は、もうおしまい。)





End.


→ あとがき





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