また、明日 - 1/2
「夕城さん!」
『!?』
もはや定例となった、放課後のホームルームで行われる体育祭についての話し合い。 相変わらず担任不在のこの話し合いは、男子も女子もそれぞれにグループでまとまっていて、私の親友である川乃は、今日はリレーで走る順番を決める為に入口ドア付近の席で話し合っている。川乃は足も速い。 そして教室後ろの広いスペースでは、例の女子グループがチアガールの演技、ダンスの振り付けに精を出していた。なのでこちらは、ラッキーなことにまだ放課後の練習は始まっていない。 そんな中、私も結局相変わらずで、今日は窓側の自分の席に着きながら、ヘッドホンをしてメモ帳に色々と書き留めていたのだ。
でも今、突然私の机の前から、ひょこっと顔を出した相葉くんに名前を呼ばれ、ペンが止まった。 ヘッドホンの音量が通常よりも半分にしてあるからとしても、ここまで声が綺麗に割って入るなんて、相葉くん以外考えられない。 思わずヘッドホンを肩に下ろし、流れてくる音楽と、現実の音を確かめた。
「ごめんね、夕城さん。邪魔しちゃって」
『え?…あ、別に。えっと…?』
「でも俺、何回か呼んだんだよ?ひゃひゃ。聴こえなかった?」
『え、あ…』
なんの過程も無く、無邪気な笑顔と言葉を向けられ、何がなんだか分からなくなる。 一度も喋ったことのない彼が、膝立ちで私の目の前に立っていて、しかも私の机に腕全体を置いて自分の顔を乗せ、こちらを見つめているのだ。 30センチほどしかない至近距離に、緊張するというよりも恥ずかしくて仕方ない。というか、私を呼んだって、何で?
『…?…』
改めて教室を確認すると、黒板前では委員長である櫻井くんが、他のクラスメイトと話し合い中。 大野くんは、今日は傍観することなく、でも自分の席でぐっすりと眠っている。 二宮くんと松本くんも以前のホームルーム時と変わることはなく、目立つ彼らは今まで通りに、各々にこの時間を過ごしていた。
目の前で笑う彼、相葉くん以外は。
「あ、ねえ、それってもしかして、翔ちゃんにあげるCDのやつ?」
『え?』
「翔ちゃん言ってたんだよね。夕城さんに色々教えてもらってるって」
『あ、うん…』
彼が言う通り、私がホームルームにも参加せずにやっていたのは、今度櫻井くんに焼いてあげる予定のCDのリスト作り。 数日前にひょんなことから話すきっかけが出来て、川乃が言う“音楽仲間”となったらしい櫻井くん。恐れ多い気がして、私はとてもそんな風に思えなかった。 でも、櫻井くん自身は気軽に私に話かけてくれるようになったり、何より、相葉くんたちに私の話までしてくれてるなんて、少し怖いけど、こうやって話を聴く限り、悪いことは言われてないようだし、やっぱり嬉しい。
「あれ?これ、リーダーも持ってるよ!へえ〜。夕城さんも、こういうの興味あるんだ〜!」
因みに傍らに置いていたのは、大野くんが以前好きだと言っていた、アーティストの作品集。 気になって、本屋で見つけた時につい買ってしまったのだけど、まさか本人と同じものを選んでるとは思わなかった。
っていうか、それよりも今は……、
『あの…、何か用があったんじゃ…?』
「え?あ、そうだ!ごめんね?なんか色々目に入っちゃって、目的忘れちゃってた、俺。ひゃひゃ」
そう言って、屈託なく笑い、実は持っていたらしい1枚の紙を机の上に広げた。 そこには、体育祭で行われる競技の種目と、あらゆる人の筆跡で書かれた名前がある。
「これね、体育祭でやる種目に誰が出るか、っていう最終決定表なんだけど、まだ夕城さんだけ名前が無いんだよね」
『ああ…』
「男子と女子じゃ種目が若干違うし、女子は女子で決めるって言うから任せてたんだけど…。訊かれたり、この紙回ってこなかった?」
『ううん。今、初めて見た…』
初めて見るその用紙には、既にクラスメイトのほとんどの名前があり、女子は彼が言う通り、無いのは私の名前だけのようだった。 川乃は部活に入っていて、最初のホームルームで参加種目が決定しているから、その後のことは何も知らないだろうし、私自身が常にこんな状態だから、自然と後回しにされ、自然と忘れられてしまったんだろうな、と思う。 そして相葉くんは体育祭実行委員だから、こうやってわざわざ私に確認しに来てくれたんだろう。なんだか、手間掛けさせちゃったみたいだ、私…。
「じゃあさ、今から決めよ!もうほとんど決まっちゃってるから、残ってる種目の中からになっちゃうけど。…どれにする?夕城さん」
背の高い彼は膝立ちをして、私が座っての高さと、やっと同じくらいになる。 いつも放課後、クラスの女の子たちが彼が所属しているらしいバスケ部に応援に行こうとはしゃいでるのを見ていたけど、なるほど、この高さはバスケをするんだったら武器になるんだろう。
『うわぁ…。キツイのばっかり…』
「楽な競技は、やっぱりスグ無くなっちゃうよね。だから、早い者勝ちじゃなくて、きちんと話し合って選んで欲しかったんだけどなぁ〜」
まだ定員数となっていない残った種目は、どれも走る競技であり、そして長距離だった。 一番短いもので400メートル、その他は800メートルと1000メートルだけ。しかも、1人2種目参加が絶対だ。 短距離で華のある種目は、川乃含む部活をやっている子と、当たり前のように、例のグループの子たちの名前が多くある。 彼女たちは運動神経が良い子も多いし、当然と言えば当然。でも、普段の体育でさえ、走る授業の時は喋りながら歩いたりしてる子たちでもあるので、疑問を感じずにはいられない振り分けだ。
すると、苦い表情を浮かべる私を見て、彼がすまなそうに声をかける。
「ごめんね?俺も、もっと早くこの状況に気付いてあげられたら良かったんだけど…」
『え…』
「そうすれば、夕城さんも納得して参加種目決められたし、みんなで楽しく体育祭出来たのに…って、まだ始まってもいないのに、結果決めちゃうのは良くないけどね?ひゃひゃ」
『う、うん…』
大野くんはともかく、櫻井くんたち同様、相葉くんも目立つ男子の1人であり、私が関わらないタイプの人。 明るく元気で、このクラスのムードメーカーでもある彼が、とても気さくで、誰とでも分け隔てなく接しているのは、喋ったことが無くても分かっていた。 でも、いくら実行委員だからといって、私みたいな子に、こんな風に素直に謝り、優しい言葉をかけてくれるなんて、思ってもいないことだ。 しかもこの場合、悪いのは相葉くんじゃなく、積極的に話し合いに参加していなかった私の方なのに。
「どうする?夕城さん。とりあえず、この中で一番短い400と800にしとく?もし無理そうだったら、俺が他の女子に頼んで交換してもらってもいいし、」
『! 、っ大丈夫!それは、他のみんなにも迷惑だし…』
確かに彼が頼めば、どんな女の子だって快く交換してくれるだろう、と思う。でもだからと言って、それに甘えるのは間違ってる。 何より、その場は上手く行っても、そういうケースは後が怖い。 男子には理解出来ないだろうけど、だから女子にはグループが存在するのだと私は思っている。いざ、という時のために…。
彼の申し出をやんわりと断ると、不思議そうに私を見つめ、“そ?”と首をかしげるけど、きっと彼もそういう女子ならではの特質を理解出来ない人だろう。 でも、たった私1人の為にそこまでしてくれようとするのは、彼が本当に優しい人だからに違いない。 その優しさが純粋に嬉しくて、私もこれ以上彼を困らせない為にも、自ら種目に立候補した。
『えっと…、じゃあ、400と1000にしていい?私…』
「! 、大丈夫?400はともかく…。わざわざ一番長い距離を走ることないよ?」
『ううん。こういう持久走は結構得意なの。1位は無理かもしれないけど…』
「…そっか!そういうことなら、全然いいよ?ありがとね、夕城さん。頑張って走ってね!ふふ」
『ふふっ…。うん』
理由に納得したのか、弾けた笑顔を私に向ける。そして、用紙の空欄部分に私のペンで私の名前を書いた後、もう一度ありがとうとお礼を述べ、黒板前に立つ櫻井くんの所へ戻って行った。 私はそんな彼を無意識にも笑顔で見送り、またヘッドホンを掛け直し、ペンを握る。そして、気付いた。
『あ…』
――― 櫻井くんも相葉くんも、きちんと私の名前を知っていたことに。
『うわ…。もう、こんな時間…』
ホームルーム終了後、外に出るともうだいぶ暗くなっていて、それは私にしては珍しいことだった。 遅くなった原因はありがちなことで、1年の時の担任の先生に呼び止められた挙句、教材整理の手伝いを頼まれたから。…お世話になっているだけに、断れなかったのだ。
けど、そんな既に遅い時間にも関わらず、一際賑わう体育館の側を通りかかって、オンにしかけたiPodの操作をやめる。 体育館入口をそっと覗くと、そこで繰り広げられていたのはバスケ部2チームに分かれての練習試合であり、応援と呼ぶにはうるさ過ぎる歓声は、言わずもがな、大勢の女子たちのものだった。 そして、その中心で、まるでアイドルのように女子たちからの熱視線を受けているのは、今日初めて喋ったはずなのに、なぜか私の名前を知っていた相葉くんだ。
『凄い…。てか、足長…!』
でも、そんなことどうだって良くなるぐらい、プレー中の彼はカッコ良くて、思わず息を呑んでしまう。 これだけキャーキャーと歓声を浴びているはずなのに、そんなの耳に入っていないのか、真剣にボールを追いかけている。ゴールが決まれば、全身で喜びを表現し、見ていて気持ちいいぐらいだ。 応援する女子たちが彼のファンクラブのようになっているのも、分からなくはない。だって、確かに彼はカッコ良い。
「あれっ?夕城さん?」
『!』
練習とは思えない、試合終了のホイッスルが鳴った後、よっぽど珍しかったんだろうと思う。入口で見ていた私に彼がスグに気付き、仲間やマネージャーが差し出すタオルを無視してまで、側に来てくれる。 また屈託なく嬉しそうに笑うけど、相葉雅紀ファンクラブなる、応援してた彼女たちの視線が痛いのは、私の気のせいだと思いたい。…っ、心から!
「うわぁ〜、どうしたの?珍しいね!」
『あ、偶然通りかかって…。賑やかだったから、つい』
「そっか〜。どうだった?俺、結構イケてたでしょ?」
『…!…』
「これでも一応、2年唯一のレギュラーなんだ〜。ふふ。って、自分から言っちゃ全然イケてても何ともないって、よくニノや翔ちゃんに言われるんだけど、」
『っ、そ、そんなことないよ!』
「…え?」
『あ…』
彼の自分を卑下するような言葉に、自分でも恥ずかしくなるぐらい大きな声を出して否定した。 だって、Tシャツが汗でびちゃびちゃになるぐらい、さらさらの髪がぐちゃぐちゃになるぐらい一生懸命やっているのに、イケてないはずなんかないと思ったから。 それを私が伝えると、予想外の賛辞だったのか、慣れていないのか、彼も照れたようにはにかむ。さっきまで、真剣な瞳で敵チームと対峙していた人とは思えない。
「ひゃひゃっ。…うん、ありがとね、夕城さん」
『ふふっ。…どういたしまして』
その時、ちょうどバスケ部キャプテンの“休憩残り3分!”という大きな声が、こちらにも届いた。 せっかくの休憩時間に、最後まで私に付き合わせちゃいけないと思い、戻った方がいいと彼を促すと、また笑って“そーだね!”と応える。
「夕城さんは?これから帰るんでしょ?気を付けて帰ってね!」
『ありがとう。相葉くんも頑張ってね』
「ひゃひゃ!じゃ、また明日ね!」
『うん、また…、あ。…そういえば…』
「? 、どーかした?」
入口から何歩か歩き出し、別れの合図に手を振ろうとした瞬間、ふいに今日のホームルームを思い出す。 櫻井くんは学級委員だから何となく理解出来るけど、相葉くんの場合は、いくら考えてもピンとくる答えが得られないのだ。 だから、さっきの勢いを借りて、そのまま思い切って彼に質問をしてみる。
『…なんで、私の名前知ってたの?』
「え?」
『だって、今日初めて喋ったのに…。不思議だなぁ、って…』
「…!…」
私がそう訊くと、小さい子供のような、きょとんとした表情。 でも尋ねられている意味が分かったのか、すぐに笑顔で、私の質問に答える。 それは彼らしい、とてもシンプルなものだった。
「だってクラスメイトじゃん、夕城さん」
『…!…』
「ふふっ。…また、明日」
『う、ん…』
そう言って、長い手足をフルに動かし、またコート内でボールを追っかけ始める。BGMとなるのは、女子たちの大きな歓声。 私はそこから静かに歩き出し、一度、まだ視界に入る体育館を振り返って、笑顔で静かに呟いた。
元気で明るくて、クラスのムードメーカー。笑顔は絶やすことなく、少し優しすぎると思うぐらい、優しい人。 運動神経も抜群で、女子からの受けも抜群。でも、何事も一生懸命で、真剣で、誰もが応援したくなる。
そして、とってもシンプルな考え方を持つ人。
『また、明日…!』
本当に、イメージそのままの人って存在するのだ、この世の中。
17 コンパス
(彼みたいな人がクラスメイトで、私も嬉しい気がする)
End.
→ あとがき
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