30センチの距離 - 3/4
「あら、珍しい」
次の日の朝、松本くんは遅刻ギリギリで教室に到着した。 私もまだ彼の隣になって1週間ほどしか経っていなかったけど、二宮くんの言う通り、それは珍しいことで、他の3人も口々に同じことを言う。 髪は少しくしゃくしゃで、それでもやっぱりカッコ良いことには変わらないのが、さすがだな、と密かに思った。
「どうしたの?なんかあった?」
「いや、ただ単純に寝坊しただけ」
「んふふふ。尚のこと珍しいね?寝起き悪いなりにも、きちんと今まで起きてたわけだし」
「うっせーな…。けど、それでも超眠い。1限目ってなんだっけ?」
「現国。あの先生のことだから、寝てても平気じゃない?俺はゲームしてるけど」
席に着きながら、二宮くんに遅れた原因と、次の授業をどう過ごすかを話す。 前に向き直った後も、面倒そうに一応教科書と筆記用具を出してはいたけど、大野くんよりも眠そうで、なんだか松本くんらしくないな、と思った。 私も私で開いていた本を閉じ、前回の授業までやっていたことを確認しようとノートを見ていると、突然松本くんが“あ…”と静かに声を出す。 どうしたのだろうと思い、なんとなく隣に視線をずらすと、彼は私の名前を呼びながら、自分のカバンを探っていた。
そこから出てきたのは、昨日貸したはずの、私の本だ。
「夕城さん、ありがと。忘れそうだから、先に返しとくね」
『え…。う、うん…』
「すげー良かった。あんまり海外の本って読んだことなかったけど、夕城さんの言った通り、読み易かったし」
『なら、良かったけど…』
「うん」
『…松本くん、1日で読んじゃったの?全部…』
貸したその本は、確かにハードカバーほどの厚みは無いけど、ページ数は十分すぎる量だ。 変な話、推理小説では無いし、ゆっくり読み進めてもいい内容なだけに、それを1日で読んできたと思うと、びっくりというか、無茶苦茶だとすら思う。 でも、本人はそれが当たり前なのか、あくびをしながら机に覆い被さった。
「…だって、なんか止まんなかったんだよね。別に昨日はやることも無かったし、気付いたら朝の4時半だったっていうだけで」
『4時半…!?』
「でも、大丈夫。これから寝るし。ただ、もし先生に当てられそうになったら、夕城さん、起こしてもらっていい?」
『う、うん…。もちろん』
「ん、お願いね」
『……』
そう言って、こちらに顔を向けたまま目を閉じる。 そして私は返してもらった本のページを軽く弾き、そんな彼を横目で捉えながら、なんだかまた困惑していた。
私のこれまでの松本くんのイメージといえば、5人の中でも相葉くんや櫻井くんとは違った意味で目立つ人で、故に絶対に仲良くなれないと思っていた人だった。 纏う雰囲気が華やかで、クールで、二宮くんと一緒に、時々厳しいぐらいのツッコミをする人。 友達が多いのは見て分かるけど、気軽には話しかけられない。たとえ女子であっても、遠くから見ていたいと思うタイプだ。 でも今、もしかしたらそれは私の見当違いだったのかと、疑わずにはいられなかった。
『…ねえ、松本くん?』
「んー…?」
『もし良かったら、あとでこの本の感想聴かせてもらっていいかな…?』
私がそう訊くと、ゆっくりと瞼を開き、真っ直ぐに見つめてくる。 その瞳の強さに、席替えしたばかりの1週間前は圧倒されてしまい、目を逸らすことしか出来なかった。 けど今は、私もしっかりと彼の目を見て話すことが出来る。この距離だからこそ、見えてきたものがある気がする。
「…うん、喜んで」
『…!…』
カッコ良くて華やかではあるけど、それに振り回されることは無い、芯がある人。 見た目以上に、誰よりも真面目でストイック。何事にも貪欲で、熱くて、それ故に無茶をしてしまうような。 でも、だからこそ聡明で、優しい人なのだ。きっと。
だって、そうじゃなくちゃ、こんな言葉は出てこないと思う。
「…夕城さん?」
『…何?』
「ありがとね?」
1週間前なら、その“ありがとう”が、何に対しての“ありがとう”なのかは分からなかった。 でも、今なら分かる。分かる気がした。たとえそれが、私の勝手な想像だとしても。
『こちらこそ…』
30センチの距離に、もう不安は無い。
17 コンパス
(きっと、本はカバーだけで判断しちゃダメってことね)
End.
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