道端の予言者 - 5/9


偶然見つけた路上の絵描きさんは、私が思っていた以上に不思議な人らしい。


聞き間違いかと思うような柔らかい声は、目にしていた作品たちとは合致するのに、直前まで人を寄せ付けない程のオーラを出していた彼とは、なかなか合致してくれない。
時折、クスクス笑いながらスケッチブックを捲る様子も、人の内側を見るような仕草も、言葉は悪いけど、少々浮世離れしている気がした。
それでも、ついついここで絵を見ながら彼との会話を楽しんでしまうのは、翔ちゃんと同じ空気を感じたからだ。



『サトシ、…さん?』

「うん。大野智っていうの。よろしくね」



絵に記された“Satoshi. O”というサインを見て、彼がそう答える。


潤んでいるようにも見える綺麗な瞳は、余計なフィルターなんて持っていないみたいに濁りが無い。
翔ちゃんも真っ直ぐでキラキラした目をしていると、出会った時に思ったけど、この人は翔ちゃん以上に迷いが無いようだった。
そのせいなのか、会ったばかりなのにも関わらず、私は何もかも話してしまいそうな衝動に駆られては、それを自分でセーブするという行為をさっきから繰り返している。
おかしなことだけれど、彼なら何を話しても動じない気がしたし、何より、この人の作る空気は眩しいけれど心地良かった。



翔ちゃんと同じ。でも、翔ちゃんとは違う。
全てを見透かされている気がして仕方ないのに、それが嫌じゃない。怖くない。



『いつも、ここで絵を描いてるんですか?』

「ううん、いつもってわけじゃない。他にもお気に入りの場所があるから、そこで描いたり、たまに眠ったり…んふふ。基本、自由だね。さっきも言ったけど、ここでは絵を見る為に足を止めてくれる人の方が少ないから、どっちかっていうと、人を観察しにここに来てる感じかも」

『そうなんだ…。道理で、見たことないと思った』

「うん。だから、いつもは途中で飽きちゃうんだけど、今日は君がいるから」

『…!…』

「んふふ…俺は楽しいしありがたいけど、大丈夫?無理に引き止めたりしてない?」



柔らかい口調は保ったまま、彼がふにゃっと笑うと、それだけで時間がゆっくり流れているような錯覚を起こす。
でもその質問に、未だにこの作品たちを共有出来ていない寂しさを思い出した。少し遠くにいる翔ちゃんを確認すると、まだ電話をしている。



『いえ…、まだ…』

「?」



道路を走っていく車を見つめながら、楽しそうに翔ちゃんが話をしているのが、ここからでもよく分かる。
いつもはすぐ隣で感じているはずの滑舌のいい笑い声や、ズルイぐらいドキドキさせる仕草を、ほんの僅かな時間お預けを食らっただけなのに、どうしようもなく寂しい。
過ぎ行く女の子たちが見とれていることにも気付かず、仕事だと言っていたはずの電話で盛り上がっている翔ちゃんは、まるで私のことなんか忘れちゃったみたいだ。
我がままは言わない約束だけれど、こんな風に放っておかれると、やっぱりここは自分の居場所じゃないんだと思い知らされているようで哀しくなる。


どうして、こんなに遠く感じるんだろう。



「…あの人は、君の彼氏なの?」

『え…?』

「あそこで電話してる人でしょ?さっきから、ずっと見てるもんね」

『あ…』

「デート中だったんだ?んふふ」



自分でも気付かないぐらい、無意識に翔ちゃんを追っていることを彼に指摘され、頬が熱くなる。
でも、当たっているような、外れているような彼の見解は、同時に私を冷静にもさせた。やっぱり私は、我がままを言っていい立場じゃない。



『…彼氏でも、デート中でもないです。私はただの、ペットだから』

「え?」

『今日は散歩の為に、ここに連れてきてくれたんです。ご主人様の仕事も休みだし、約束してたから』

「……」



冷静になったと言いつつこんなことを口走るのは、我ながら信憑性に欠けている、と思う。初対面の人に対して話すようなことじゃないのは、重々承知だ。
けど、普通だったら誰も信じない内容なのも確かで、だからこその正直な発言。
ペットとご主人様で、今は散歩中だなんていう冗談みたいな話をまともに受け入れるのは、この世で翔ちゃんのようなバカ正直な人だけだから。


でも、絵描きの彼はやっぱり不思議で、やっぱり翔ちゃんとどこか似ているらしい。
ううん…。似ていると言うよりこの場合は……、



「んふふっ…。そうなんだ…。ペットとご主人様…」

『え?』

「相変わらず面白ぇなぁ、んふふふ…」



一瞬の沈黙の後、またクスクスと笑い始め、それが当たり前だとでも言うような不可解な彼の反応と言葉に、逆に私は戸惑った。
気付けば、さっきまで視界の端にいた翔ちゃんは電話を終えたのか、もう3メートルも無い距離に足を進め、私の名前を呼んでいる。



『“相変わらず”…?』

「んふふふ。…来たね?君のご主人様。ハナちゃん、…っていうんだ?」



翔ちゃん以外の人の口から初めて聴くはずのその名前が、余りにも自然に響く。
でも、ゴールに着いたことを知らせる翔ちゃんの影がこの場を覆った瞬間、それも当然のことだと思えた。



「ごめん、ハナ、待たせた……って、…っ、智くん!?」

「んふふ。久しぶり、翔くん」



――― ペットの件は、やっぱり言わない方が良かったかも知れない…。






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