道端の予言者 - 4/9
side. O
午後の暖かな日差しに、緑色のそよ風。街中の雑踏すらも遠くに聞こえるほど、絵を描くのに集中していた。 普段だったら、その間何かが起きることは無いのだけど、今日はいつもと違ったらしい。 夢から起こされるように聞こえた独り言に顔を上げると、いつの間にか1人の女の子が俺の作品を見ていた。
「あ…。見ててくれたんだ…」
『え?』
「ごめんね?気付かなくて…。無視するつもりはなかったんだけど、ちょっとさ…。んふふ…」
俺がそう声をかけると、女の子も顔を上げ、きょとんと見つめ返す。 ギンガムチェックのワンピースを着た彼女は、オシャレなこの街に難なく溶け込めるぐらい違和感が無いのに、なぜだか俺の絵を見る為に足を止めている。 この場所で絵を描いているくせにこんなことを言うのは変だけど、彼女ぐらいの年齢で、しかも女の子が興味を持ってくれるのは稀なことだった。 だからこそ俺は、普段はぼーっと歩いている人たちの観察をする為だけに、ここに座っていたりするんだけど。
「…空をね、見てたの」
『そ、ら…?』
珍しいお客さんを相手に、会話を切り出す。 なんだかナンパをしているみたいで少し気が引けるけど、ちょうど描いていた絵も一段落ついたところだったから、気分も良かったんだと思う。 彼女は話しかけられているのは自分なのかと、一瞬周りを伺ったけど、俺は気にせず話を進める。
「うん。今日さ、天気が良くて凄く気持ちいいでしょ?だから、ずっと空を見てたの。どうせ、立ち止まって絵を見てくれる人もいないし、歩いてる人たちを観察するのも飽きちゃってたから」
『はあ…?』
「んふふ、そしたらさ…」
『?』
「…子供の頃、雲をわたあめだって勘違いしてたこと思い出しちゃって。んふ…雲に必死で手を伸ばして、どうやったら食べられるか考えてたな〜って1人で笑ってたら、突然そういう絵を描きたくなったんだよね」
『……』
「そしたら、ついつい集中しちゃって、君が絵を見ててくれたことも全然気付かなかった。ごめんね?」
『…!…』
昔、小さい頃に良く想像しては、どうにか出来ないかと考えていた空に浮かぶ雲。 我ながらくだらなくて、人によっちゃ幼稚だと思われるかも知れないけど、そういうことを積み重ね経て、今の自分がある。 さっきまでスケッチブックに描いていた雲は、さすがに作品として売ることは出来ないだろうけど、こうやって1人で眺めている分には悪くない。 でも、俺がそんな風にスケッチブックをパラパラと捲っていると、さっきまで首をかしげていた彼女が楽しそうに笑い出す。
『ふふっ…凄い。私には分からないけど、そういうちょっとしたことがインスピレーションになったりするんだ…』
「んふふ、他の人がみんな俺みたいかは分からないけどね…。それに、そんな凄くないよ。ただ自由に好き勝手やってるだけで、複雑なことはやろうと思わないし」
『うーん。でも、やっぱり凄いと思うけどな』
「んふふふ、そう?でもさ…、…! …、あれ…?」
『?』
「君……、」
初めて会った女の子に、ここまで饒舌に絵の話しをしているなんて、もしかしたらそれが一番珍しいことかも知れない。 純粋に褒めてくれるのが嬉しくて、でも、ずっとスケッチブックをいじりながら会話をしていたせいか、まともに彼女のことは見ていなかった。 だから、ようやく目が合った瞬間、思わず驚きを口にしてしまったことも、色んな意味で釘付けになったことも、当然のことだったと思う。
だって、こんな色をした瞳、俺見たことないもん。
『?…、あの…何か…?』
「……」
瞳は嘘を吐かない、って言うけど、それは本当のことだと思う。こうやって日々絵を描いていると、それがよく分かる。 人の感情を一番に映し出すのは目であって、そこにはたくさんの想いが詰まっているもの。そこに見えるもの全てが、その人そのもの。だから、人物を描く時には目が一番大事なのだ。
でも、目の前にいる女の子には、不思議とそれが見えない。 右は黒で、左はグレーのオッド・アイは不自然なぐらい色が違く、綺麗だけど、悪い意味でガラス玉のようでもある。 時折、そこに何か映し出されたかと思うと、それは苦しみだったり、孤独だったりの哀しい影ばかりで、どんなに笑っていても、それだけが透けて見えた。 そしてそれすらも、元々存在していなかったかのように、すぐに姿を消してしまう。
「…ううん。何でも無い。ごめんね、話の途中で」
『いえ…?』
突然現れた、今まで見たことのない色の瞳にショックを受けながらも、そう笑って誤魔化す。 俺の不可解な言動に、彼女はほんの少し不思議そうな顔をしたけど、もう一度声をかけるとほっとしたように笑って見せた。 なんとかしてあげたいのは山々だけど、迂闊にこれ以上何か言えば、それこそナンパみたいだもんなぁ…。
「良かったら、他の絵も見てってね」
『ふふ…。はい、ありがとうございます』
――― 勿体ない。その影さえ無くなれば、もっと綺麗なのに。
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