道端の予言者 - 2/9


side. S



賑やかな街の中、歩道を歩いていると、すれ違う人の分だけ会話が耳に入る。
断片的すぎるその内容を知ることは決して無いけど、塵も積もれば山となるとはよく言ったもので、時には耳障りに感じることもあった。
でも、そんな喧騒の真っ只中にいても、不思議とハナが口ずさむ、観終わったばかりの映画の曲は聴こえる。



「ははっ、完全に浸ってんな〜。楽しかった?」

『うん!ローリン・ヒルもやっぱり凄く素敵だったし、久しぶりに観られて良かった。何より、翔ちゃんが言ってたシーンをきちんと確認出来たし』

「ね?俺の言った通りだったでしょ?やっぱ、勘違いじゃなかったんだって!」



そう言うと、絡まる腕がより一層強くなる。
約1週間前に2人で盛り上がりつつも、微妙に食い違っていた古い映画の記憶は、今日を持って完全版になる。
目的地も決めないまま、何となく歩きながら感想を言い合うのは、正にハナが言う、ペットの散歩そのものだ。
もちろん、いつかの冗談のようにリードと首輪を付けるわけにはいかないから、ハナはこうやって俺の腕に自分の腕を絡ませてくるわけだけど。



『“I sing because I’m happy”…』



劇中でローリン・ヒルが歌っていた曲を何度も口ずさむハナは、歳はもちろん、見た目も今時の女の子なのに、クラシカルなその曲がやけによく似合う。
初めて会った時も、歌い慣れたように何かの曲を歌っていたし、その後も、あらゆるシチュエーションの中で何度かそれを耳にした。
上手くメロディや詞は思い出せないけれど、その曲は今歌っているような、クラシカルな雰囲気の曲だった気がする。



『“I sing because I’m free”……! 、ねえ、翔ちゃん見て?』

「ん?」

『あんな所で絵描いてる』



人込みの中で、唯一響く、癒しとも思えるような歌声に聴き惚れていると、ハナが少し遠くを指差す。
そこには、僅かなスペースに身を置き、熱心にスケッチブックに向かう男性が1人。
離れている為、顔はきちんと確認出来ないが、絵の他にも細々とした作品が彼の前に広がっているのは分かった。所謂、路上パフォーマーの一種である絵描きなんだろう。



「ああ…。でも、別にそんな珍しいもんじゃなくね?よく見るじゃん、ああいうの」

『そう?この通りでは、ああいうの見たことないけどな…。少し見ちゃダメ、翔ちゃん?』

「ん、どーぞ。別に急ぎの用も無いし、俺もちょっと興味湧いてきたし」

『本当!?』



嬉しそうな笑顔。そして、早く!早く!と腕を絡ませたまま、ハナが俺を引っ張り歩く。
出会って2日目に買ってやったピンクのギンガムチェックのワンピースが揺れ、余りにも自然になってしまった距離の近さに、俺もつい声を大きくして笑ってしまう。
そんな自分達を、さっきからすれ違う人たちが羨ましそうに見ていくのは、たぶん、たかが絵を見るだけなのにはしゃぎすぎているから…というだけではない気がした。


そして同時に、それがここ最近の、俺の心配事でもある。



『翔ちゃん!』

「ちょっ…、ハナ!そんな焦んなって!」



誰がどう見たって、ハナは可愛い。客観的に評価しても、きっとそれは変わらない。
俺が目を離せないように、周りの男たちの視線も、同じようにさっきからハナを追っていることが、それを証明してる。
そして、どんなに飼い主とペットというモチベーションを保とうとしても、この痛い視線と、ほんの少しの優越感が、俺の感覚を狂わせている気がして仕方なかった。



なんか、普通に腕組ませちゃってるけど!うっかり、それがまた心地良くなっちゃってるけど!
もし誰かに見られた場合、“この子は妹なんです”なんていう白々しい言い訳が、とてもじゃないけど通用するとは思えないのだ。
なんていうか、この感覚も、雰囲気も、状況も、俺が知っている飼い主とペットという関係とは違う気がする。


何がどう違うのかは、訊かれたって困るけど。



「! 、ちょっと待ってハナ!…電話来た!会社からかも知れないから、ちょっと先行ってて」



密かに鳴る心の警報ベルに耳鳴りのようなものを感じていると、ポケットの中で本当に音が鳴っていることに気付く。
思わず舌打ちしそうになった着信。でも、画面に表示された名前を見てハッとする。



『翔ちゃん…?』

「あっ…悪ぃ、すぐ追い付くから…」



そう言って、ハナが何度か振り返りながら足を進めていくのを、俺はその場に立ち止まったまま見送った。
けど不思議なことに、警報のベルの音は、益々大きく激しくなったような気がする。



――― マジで、なんだこれ?






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