知らない名前 - 6/9
「は……?」
一通り、要点だけざっくりと事情を説明した後、潤がそう反応する。 雅紀はパチクリと一度瞬きをしたまま、色んな意味で、私から目を離すことが出来ないでいるようだった。
「え…?それって何…どういう意味、」
「っ、お前バカじゃねーの?!さすがに相葉くんだって、そんなこと起きねーぞ?気を付けろよ!!」
「ちょっ…!どーいう意味だって、それ!ってか、よく分かんないから、もう1回説明して欲しいんだけど!」
あの日、体調が悪くなって倒れたこと。おかげでバカな男にダンボールに入れられ、ゴミ捨て場に捨てられたこと。 そして、“心優しい人”が、そんな私を見つけ助けてくれたこと。
もう一度、雅紀の為に同じ説明を繰り返すけど、様子を見る限り話を理解していないわけじゃない。 雅紀が本当に分からないのは、それだけのことが起きて、1週間以上経っているのにも関わらず、私が2人に連絡しなかった、ということなのだ。 でも、それを正直に告げるには、省いたはずの箇所を一から詳しく説明しなければいけない。今、身に置いている特殊な状況を、話さなければならない。 だから、2人に会う心構えが出来ていなかった私にとって、言えることはそんなに多くはなかった。
『ごめんね…。その時にケータイも失くしちゃって、2人には連絡出来なかったの。せめて雅紀には…って思ってたんだけど、何て言うか…パニクっちゃって…』
「……」
「そーだったんだ…。でもそっか、そうだよね…!そんな酷い目に遭ったんだもん、しょうがないよ!っていうか、杏奈が無事ってだけで、俺本当に安心した!ひゃひゃ。だって、もう少しで警察に連絡するとこだったんだから!ねー、マツジュン?」
『…!…』
「…まーね」
そう言葉を返した潤は、何かを見極めるようにジッと私を見る。さっき、事務室前で顔を合わせた時も、そんな風に見ていた。 もしかしたら、私が言わないことも本当は分かっているんじゃないか。本当は何もかも知っていて、わざと試すような真似をしているんじゃないか。 鋭く光る瞳は、いつだって私をそういう気持ちにさせる。 その奥に潤ならではの優しさが存在することを知ってはいるけど、今はその追求に身を任せられるほど、心に余裕は無かった。
「ねえ、そういえば杏奈さ?アパートの件はどーなった、」
『っ、ごめん!私…、ロッカーに置きっ放しにしてた荷物取ってこなくちゃ…!』
「…?」
「あ、それで事務室に行ってたの?ロッカーの鍵も一緒に取られちゃったんだ?」
雅紀の声を遮って、この場を離れる為にもっともらしいことを言う。 何の疑いも無く、心配そうに訊く雅紀を前にしていると罪悪感が湧いてくるけど、これ以上はもう上手く取り繕える気がしなかった。アパートの件なんて、以ての外だ。
『うん…まあね?それに、ちょっと電話もしたいし…』
「電話?だったら、俺のケータイ貸すよ?」
『っ、ううん。いいの、大丈夫。休憩室の公衆電話使うから…』
「? 、そう?なら、いいけど…」
でも、雅紀とこんな風に会話をしている間も、潤の視線が痛くて仕方が無かった。 一瞬の呼吸の乱れや声の調子だけで、隠した事実を悟られそうな威圧感は、潤と知り合ってから今が一番強い気がする。
こんなの、もうダメだ。耐えられない。
『だから…、ごめんね。ちょっと行ってくる…!』
「えっ?ちょ…っ、杏奈!?」
そう言って裏口の扉を開け、逃げるようにその場を離れた。 この1週間、ずっと翔ちゃんの側で生活していた私にとって、元の世界は余りにも厳しすぎるみたいだ。
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