1ピースの宝物 - 3/7
side. S
ダイニングテーブルには、切り分けられた色鮮やかな野菜とフルーツ。それに湯気を立てている、カップに注がれた紅茶。 ハムエッグやチーズはともかく、ホイップクリームやチョコレートが何に使われるかは皆目見当もつかないけど、久しぶりに食事らしい食事を見た気がした。 ストライプのシャツを羽織る途中のまま、その光景にびっくりしていると、キッチンに向かっていたハナが俺に気付き声をかける。
『どうしたの、翔ちゃん?』
「すげぇ…。何これ?」
『クレープ。ブランチにはちょうどいいかな、と思って。この生地に好きなのを包んで食べてね』
テーブルの上に追加された皿には、何枚もの薄いクレープ生地。それを椅子に座り、言われたとおりに作って食べてみると、予想以上にうまくて、更に感動してしまう。 大袈裟なまでに反応する俺をハナは笑い、“こんなの誰でも作れるよ?”と言うけど、俺からすれば信じられないことだ。 第一、たとえ作れたとしても、こんなオシャレなブランチをわざわざ家で食べようとは思わない。これが男と女の違いなのかも知れないけど、やっぱり面倒だな、と思ってしまうのだ。
「クレープも美味いけど、この紅茶もうまい。ちょっとクセがあるけど、イケる」
『本当?レディ・グレイっていう紅茶で、私のお気に入りなの』
「へー。こんなの家にあったんだ」
『まさか。近くのスーパーに行って買ってきたの。翔ちゃんのお財布の中にレシート入ってるから、後で確認してね?』
「んー。オッケー、……って、ちょっと待て!」
初めて飲んだそのレディ・グレイという紅茶は、柑橘系の香りが好みで、普段滅多に紅茶を飲まない俺でも、美味いな、と思った。 でも、さすが初めてなだけあって、やはり、この家には元々存在していなかった代物らしい。よく考えれば、ここに並んでるもの全てが、昨夜には見当たらなかったものばかりだ。 つまり、これらはハナが言う近くのスーパーから買い出しされて来たもので、その金はどこから出てきたのか、っていうと……、
「それってもしかして、俺の財布を使って買い出しに行った…ってこと?まさかとは思うけど」
『だってこの家、何にもないんだもん。食材どころか、洗濯する為の洗剤すら無いし…』
「っ、…それは謝るけど、そこじゃない!俺の金を勝手に使うのはルール違反だろ!なんで…っ、」
『…ずっと掃除しながら待ってたんだけど、翔ちゃん、なかなか起きないから…』
「え?」
『でも、それ以外でお金は使ってないよ?必要なものだけ。言った通り、レシートもあるし…。信じられないなら確認して?』
普通に考えれば激怒していいシチュエーション。無断で俺の金を持ち出すなんて、とんでもない。 しかも彼女は、一応俺の“ペット”という役割でこの家に居ることになったのだ。ペットが良くないことをしたら、きちんと怒って躾るべきだろう、きっと。
『怒った…?翔ちゃん』
でも、よく見ると部屋は見違えるように綺麗になっていて、そのままにしていたカップやグラス、床置きだった雑誌や本も、あるべき場所に戻っている。 どれだけ時間をかけたか分からないけど、ハナが俺の為にやってくれたことだけは間違いなかった。 しかも、こんな風に不安そうに見つめられるのは、なんかもう色々と反則だ。ここで本気で怒っちゃあ、俺が最低すぎる…。
「いや…。うん、分かった。もういいよ。俺にも過失があったわけだし…」
『ほんと…?』
「っ、でも!でも、今度から勝手に持ち出すのは禁止な?!俺にちゃんと断ってから、」
『ふふっ。…うん、分かった』
そう言って笑い、お互いのフォークとナイフが再び動き出す。 考えてみれば、買い出しは何れにせよ必要だったわけだし、どういう経緯があったのかは謎だけど、ハナには服だけじゃなく、一切合切の所持品が無いのだ。 理由はその内訊き出すにしても、もし自分がそんなことになったら…と考えると、メチャクチャに恐ろしい。しかも病み上がりでここまでしてくれて、きっとほとんど寝てない。 決して不安が無いわけじゃないだろうし、演技なのかも知れないけど、ハナのその飄々とした態度と、真逆である瞳の陰りが不思議だった。
『翔ちゃん』
「え?あっ…、何?」
『これ食べたら、家の中のことや、ここに居る上でのルールとか、色々教えてね?』
「ああ、うん…。でも、その前にシャワー浴びたいから、その後でいい?つーか、ルールは今のところ、金を勝手に使うなってこと以外は何も無いんだけど」
『ふふ、意地悪…』
「はは。うっせ!」
たった一晩で、俺たち2人の空気はやけに馴染んだもんだと思う。 でも、もしこれからの生活に何か心配があるとしたら、それは俺じゃなくて、ハナの方なんだろう。
その“何か”の見当が、当たってるか間違ってるかはともかくとして。
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