起こった奇跡 - 6/9


「っ、…とにかくさ?…まずは少しでいいから、これ食お?そうすれば薬も飲めるし、今よりももうちょっと楽になるはずだから」

『…!…』



再び彼が、答えられない私の為に、空気を断ち切る。
ローテーブルの上に差し出されたお粥は温かい湯気を立てていて、きちんと一緒に、薬と水も用意されていた。
その温かさと空腹感に、吸い寄せられるようにソファから下りる。



『いただき、ます…』

「ん、どーぞ召し上がれ。あんまうまくはないけどね」



そう言って、同じように床に胡座をかき、茶目っ気たっぷりに笑う。つられて、私も笑顔を返してしまう。


さっき私は、ここまでしてくれる彼のことを“優しすぎる”とし、それに危機感を感じると言った。
でも、寝癖がついたままの茶色い髪の毛も、気遣うような笑顔と言葉も、全部彼の人間性そのもので、本当に優しい人なのだ。
それを裏付けるように、不安でいっぱいなはずの心が、今まで感じたことのないくらい温かい。



私が出されたお粥に手を付け始めたのを確認し、安心したのか、しばらくすると彼は立ち上がり、今度は自分の為にコーヒーを作ろうとする。
くっそ〜、どうやんだっけ、これ…なんてブツブツ言いながら動かすコーヒーメーカーは、やはり使い慣れている物では無いらしい。
エスプレッソ・マシーンとコンビになっているそれは値段も相当だろうに、なんて勿体ないんだろう。


それだけじゃない。

同時に見回した部屋の中は、最初の印象通り男っぽい部屋であり、多少散らかっている。
でも、キッチンは元より、視界に入るほとんどの物は、継続して使用している形跡は無い。
せっかくのアントニオ・チッテリオの名作ソファも、ショールームのように、ただ置かれているだけだ。
ガチャガチャとコーヒーメーカーをいじり続ける彼はチャーミングで、つい笑ってしまうけど、それだけ忙しい人なのだろうと思った。
生活感を感じさせないぐらい、きっと。



『…!…』



彼と彼の部屋であろう、この空間をしばらく観察していると、床に置かれた葉書やダイレクトメールに目が行く。
ローテーブルに散乱していたそれらの郵便物は、さっき彼がお粥を出す際、雑誌と一緒にまとめ、退かした物だ。
自然と、宛名の文字を読み解こうする。



――― “櫻井翔”。



葉書に書かれた名に、これだけたくさんのことを質問し、…ほとんど答えることは出来ていないけど、会話をしているのに、自己紹介もしていなかったことに気付く。
名前と彼を交互に見て、初めて彼を知れたような気がした。



『さくらい…、しょう…』



小さく声に出した彼の名前に、また心臓だけがドキッ、ドキッ、とうるさく返事をする。
そして同時に、不安からではなく、純粋に彼を知りたいと思った。



なぜ、そう思うのかは、良く分からないけれど。






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