起こった奇跡 - 5/9
彼がキッチンに立ち、私の為だというお粥を用意してくれている。 でも、温めるだけのはずのレトルトにですら手こずっていて、普段から料理をしないのは一目瞭然だった。 そんな人が、得体の知れない人間の為にここまでしてくれるのは、“優しい”というよりは、“優しすぎる”。 しかも、その得体の知れない人間は、ダンボールに入れ捨てられていた経緯を言わないのに、だ。
「あっちぃ…」
物事をドライに、客観的に見る冷めた自分が、危険だ、と警報のベルを鳴らす。 普段だったら、こんな状況を知った時点で、彼よりも私の方が先に行動するだろう。それこそ、出し抜くように。 だからこそ、いつだって、何が起きても切り抜けて来れたし、大丈夫だったのだ。
『ふふっ…』
それなのに、今日はなかなか上手く動けない。 未だにくしゃくしゃの髪のまま、キッチンで悪戦苦闘を繰り広げている彼を見つめ続け、自分でも気付かないぐらい自然に笑い声を上げている。 本気で笑ったのは、久しぶりだった。
でも、ずっと彼を見つめているわけにもいかないことに、突如気付く。 せめて、一緒にいたはずの雅紀には連絡しようと思い自分のケータイを探すけど、ケータイどころかバッグすらも見当たらない。 雅紀のことだから、心配して電話をかけているかも知れないし、もしかしたらパニックになっている可能性もある。 何より、焦って警察や“彼”に連絡するのは、何としてでも回避したかった。
雅紀はともかく、あの鋭い瞳で責められるのは、耐えられそうにない。
『え…?なんで…っ…』
「? 、どうかした?」
『!!』
部屋の中をキョロキョロと首を動かす私に、彼が気付き声をかける。 見れば、レトルトのお粥は出来上がり間近だった。
『あ…。なんていうか…、っ、…私のバッグって…』
「バッグ?」
『! 、…持って…ませんでした、か?』
彼の反応に、すぐに持っていたはずのバッグの行方を知る。 きっと、あれらの所持品は証拠隠滅とばかりに、勘違いしたバカな男の手によって捨てられてしまっているのだろう。 連絡手段であるケータイも、全財産である財布も、全部。
「箱の中にも、外にも見当たらなかったけど…。持ってたの?」
『…っ、…』
彼の質問に、またもや答えられない。出来るのは、自分の情けなさに俯くことだけだった。
居場所も無い、お金も無い、待っている人も居ない。 自業自得とはいえ、1日の間にこれだけのものを失えるとは思わなかった。 それでも私は、まだ大丈夫と言えるのか?切り抜けようと、考えることが出来るのか?
――― 自問自答しても、答えは得られない。無力感だけが、確実に自分を覆うのを感じる。
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