起こった奇跡 - 2/9


目を閉じるのは好きじゃない。
時間がどれだけ過ぎたか分からなくなるのも嫌だし、浅い眠りの中、同じシーンが繰り返しリピートされる夢にうなされるのも嫌だった。
“あの日”から、ずっと同じ夢を見続けてる。



『ん…っ、…?』



でも、今見た夢はいつもとは違う。どんな夢だったかは覚えてない。でも、いつもと違う。
目を閉じる瞬間に感じた、冷たい空気も惨めな気分も無ければ、起きてすぐにやって来るはずの震えも無い。
どちらかというとふわふわ温かい気分で、本当に天国に来ちゃったんだと、蛍光灯の明るい光がより一層、そう思わせた。
私には珍しいことだけど、幸せな夢を見ていたんだろう、と思う。



『…ここ、どこ……?』



蛍光灯の光は一気に全ての神経を刺激する。知らない天井、知らない明かり、知らない匂い。
覗いた視界は見覚えのない景色ばかりで、どう考えても、最後の記憶であるあのホテルではなかった。


ゆっくり起き上がると、額と体から、湿ったタオルとブランケットが落ちてくる。瞬間、頭がグラつくのを感じて、自分の異常さにも気付いた。
でも、自分だけならまだしも、今は状況の全てが“異常”で、歪んだ視界もすぐにピントを合わせ、辺りを見回す。



『マンションの、部屋…?』



眠っていたソファと同じタイプの1シーターのソファ。その上には鞄と衣服が何枚か重ねられており、床には本や雑誌が雑然と置かれている。
ローテーブルには幾つかの使いかけのマグカップやグラス。それに何日分だろう?開封されていない郵便物と葉書が放置されていた。


“男っぽい部屋”


それが、第一印象。ごく一般的な普通の部屋だ。
なのに、どこか生活感が無いこの部屋に、またおかしなことに巻き込まれたんだろうか、と不安にならなくも無い。経験的事実に基づけば、こういう状況こそ、何が起きていても不思議じゃないからだ。
現に、目を閉じる瞬間に居た場所はホテルだったわけだし……、



「いっ、てっ!?」

『えっ!?』



無意識にも立ち上がろうとした足が着いたのは、床ではなくて誰かの腕だったらしい。足元から聞こえて来た人の声に驚いて、また足をソファの上に戻した。
その時、ようやくソファとテーブルの間に人が居たのだと理解する。



「っつ…」

『………』



軽く起き上がると、私が踏んだ腕を押さえて顔を歪める。
でも、ソファの上にいる私に気付くと、その人も今の状況をすぐに理解したらしい。



「あ…、目ぇ覚めた…?」

『え?』



淡いブルーのシャツに、緩く締められたネクタイ姿の男性。少し茶色が混じった黒髪には寝癖も。
その様と着ている服とに若干のズレがあり、私の警戒心を薄めていく。でも、目を擦りながら眠そうに尋ねるその人は、当たり前だけど知らない人。
私が彼と一緒に居るのか、彼が私と一緒にいるのか。
何も分からないままなのに、なぜか素直に質問に答えようとしてしまう。



『えっ…と、はい。…目は覚めた、…みたい?』

「ふはっ。疑問形なんだ、そこ?まあ、分かり切ったこと訊く俺も俺だけど…」

『………』

「…あ、体調は?なんか熱あったみたいだけど…」



私を見上げる大きな瞳はキラキラしていて、同時に誠実な色を見せる。声はほんの少し低めで、一語一語に感じるのは意志の強さ。
投げかけられる言葉の意味は良く分からないけど、目の前の彼から目を離すことが出来ない。



「少しは楽になった?」



向けられる声に、瞳に、笑顔に。
なぜだか、心臓だけはまるで返事をするように、きちんと反応をしていく。



ドキッ、ドキッ、ドキッ。



――― 何、これ?






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