愛の歌は聴けない
やばい。やってしまった。
走りながら私は拳銃を握りしめて引き金を引いた。
敵側からの銃弾が頬をかすめる。思わず舌打ちを打つ。
資料を手に入れたものの、敵に見つかってしまった。
失敗を、してしまうなんて。
Libraから言い渡された単独任務。
内容は、敵に見つからないように重要な資料を盗んでくることだった。
相手は弱小のグループだったから、何とかなると油断していたから……
少しだけ、視界がぼやけた。
まずい、意識が薄れてきた。
利き腕ではない右腕を強く押さえる。先ほど、見つかってしまったときに敵に一発、銃で撃たれてしまった場所だ。
純白のシャツに、鮮血の紅が滲んだ。
思いのほか痛くて、思わず顔をゆがめた。
――――こんなザマだと、『変光星』の通り名も驚き呆れてしまうわね。
自嘲の笑みを浮かべつつ、よろよろとふらつきながらも走る。バタバタと忙しない音がする。ああ、まだ撒いてないのか。
嫌に、なってくる。
鞄をごそごそと弄り、見つけたそれを取り出す。
小さな手榴弾だ。
小さい割には、威力は申し分ない。
口で栓を開けて、敵がいる後方に手榴弾を投げつける。
必死に走ると、今度は巨大な爆発音と煙に複数名の悲鳴が響き渡った。
全速力で走って、敵の足音が聞こえてこなくなったところで、人影がない路地裏に座り込む。
*
――――さて、これからどうすればいいのだろうか。
待機場所には戻るにも体力もないし、救援を呼ぶにも内線は先ほど壊れてしまって使い物にならない。
頭が、くらくらしてきた。
だめだ、ここで意識を失ってしまえば本末転倒だ、
「………大丈夫ですか」
「なっ……」
「すぐさま治療致します」
ぼやけた視界が、一瞬で鮮明になる。
見れば、黒ずくめの女が立っていた。怪我人が目の前にいると言うのに、その表情は無に等しかった。
カクテル帽子に、黒のヴェール。それが、彼女を更に謎めいたものにしていた。
彼女は、私の近くに座り込むと救急箱らしきものから包帯と消毒液を取り出す。
私は、見知らぬ女を軽く睨み付けた。彼女は、素知らぬ顔で消毒液の蓋を開けた。
「っ、だれよ、あなたっ…」
「喋らないで下さい、傷口が広がります」
「みしらぬひと、に……いきなり、怪我をみてもらうわけに、は」
ぱしん。
乾いた音がした後、痛む頬で私は自分が叩かれたんだと理解した。
目の前の彼女は、先ほどと変わらない無表情で吐き捨てる。
「怪我人は、黙って医者の手当てを受けるものです」
「…………」
「それに、貴女に抵抗する体力が残っているとも思えません」
「……………」
あまりにも冷静で的確な言葉に、私は黙り込んでしまった。
彼女の言うことは、あまりにも正論で少し悔しい。
つん、と薬品の匂いがして、思わずぎり、と小さい歯軋りをした。
「……傷口は塞ぎました」
「、そう」
「命に別状はないです、しばらくして救援が来るでしょう」
「…………」
「迎えがくるまで安静にしていて下さい……Mira」
「!!……………な、」
なんでその名を。
そう言おうとしていた前に、彼女は立ち上がって去ろうとしていた。
朦朧としだした意識の中、私は最後の力を振り絞って、誰だか知らないけどありがとう、と呟いた。
彼女は一瞬驚いた表情をしてから、すぐさま元の表情に戻った。
そして、冷静な声で淡々と言葉を紡いだ。
「私は、Sadalsuud。Sadalsuudです」
「さだる、すうど……」
では、と去り行くSadalsuudの後ろ姿が見えた。
揺れるヴェールを見つめながら、たゆたう闇にて私は薄かった意識を手放した。
タイトル/秋桜
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