「甘い…」

国民の休日である筈の元旦、いつも通りの出勤を命じられたあたしが家を出るとたまたま通り掛かった近隣に住むおばさんに年始の挨拶と共に液体の入った紙コップを貰った。勢いで受け取った中身は甘酒。あまり飲む機会のないそれに口を付けると存外、その甘さに顔を潜める事になった

「おい」

ひょい、と突然紙コップを持っていた手が軽くなったかと思えば背後から声が聞こえてきた。聞こえたままそちらの方向に振り向くと既にそこに人はなくもう半回転、つまり360度回ったところで長身の銀髪が目に飛び込んできた。見慣れた隣人は器用に中の液体が零れないようにあたしからコップを奪うことに成功したらしい。汚れる事の無かった手でコップを取りじい、と中身を見やる後あたしに視線を移した。

「おはよう御座いまーす石田さん」
「貴様年が明けてもする挨拶は変わらないのだな」
「ああ」

あけましておめでとうごさまいます、なんて付け足したように挨拶をすると呆れたように深く息を吐く隣人、石田三成。どこぞやの大手に勤めるという彼の素性は知らないがもう4、5年隣人をしている上にお互い独り暮らし、出勤時間も被るわけで。いつの間にかこうして特に合わせる事をせずとも同じ道を同じ時間に行くようになった。

「これは何だ?」
「え、甘酒。石田さん貰わなかったの?」
「いや」
「まあ、そうだよね」

おばさんに無理矢理甘酒を貰う石田さんを想像すると相当かわいい絵になるかもしれない。怖いからそれは言わないでおくがいつも眉間にシワを寄せている石田さんに甘酒を渡すなんて至難の技であるとあたしは踏む。空いた指先をゆるりと丸め中心に円が出来るくらいに形を合わせてそれを口元へ持っていき石田さんに飲む真似をして見せる。正月なわけだし甘酒の一杯くらい飲んでから出勤してもバチは当たらないだろう。暫くあたしとそのコップに入った液体を交互に眺めていた石田さんはようやく腹を決めたのかコップを口元まで運んだ。

「…甘い」
「やっぱり?美味しいんだけど、ちょっとね」

甘いものが好きなあたしにでさえ甘く感じるのだ。石田さんが甘いものを好きかどうかは知らないが眉を潜めるくらいだ。少なからずそう感じているのだろう。口直しにと鞄の中からガムを取り出しケースを開けようと手を伸ばした筈だったのだが、その指がケースに触れることはなかった。代わりに手にあるのは置き換えられた紙コップ。まだ重みのあるその中には半分くらい甘酒が残っている

「寄越せ」
「言ってくれたらあげるのに」
「貴様は拙劣だからな」
「何それ、あたしがケチだとでも言いたいの?」

答える代わりにケースからガムをひとつ取り出しケースをあたしに差し出す石田さん。あたしのガムなのに何故か石田さんからガムを貰っている気になるのはどういう事なのだろうか。それでも気にしないを決め込んであたしもケースから包みに入ったガムを1つ、包装を解いて口に含んだ。甘くない黒いガムは口の中がスースーするために寒い冬向きではない。お陰さまでマスクや口元を覆う何かをしていないあたしは息を吐く度に喉元が震えた。冷えるな、なんて首元に手を伸ばしたところであたしは自分の異変に気付いた

「げ」
「どうした」
「マフラー忘れた」
「マフラー?」
「いつもしてる赤いやつ」

不覚だった。どおりで喉元が震えるわけだ。しかし時計を見れば既に退路は無い。このまま通勤するしかなさそうだがどうにもやるせない。何も無い首元に手を添えながら止まった足を再び動かす事にした。年始だというのに忘れ物とはなんだか締まらないスタートなのだけれど。明日からは確認して出掛けよう

「ま、いいや」
「いいのか」
「一日くらい寒くても、別に素っ裸な訳じゃないんだし」

駅が見えた。あたしと石田さんはそれぞれ反対側のホームに立つからこの改札を潜ればお別れなわけで。また明日の朝にも会えるだろうがなんとなく寂しいのはご愛嬌。そんな事より通勤電車が来てしまうと早足で駅へ向かうあたしは突然何かに腕を掴まれ危うく凍結した路面に雪まみれで転がりそうになった。犯人なんて見なくても分かる。どんな嫌がらせをするのだと軽蔑がてら睨みを利かせてやろうと振り向いたら、ふわり。首元に暖かい感覚と自分のものではない心地の良い匂いを感じた

「していけ」
「え?いいの?」
「今日の夜に返せ。この駅前に8時だ」
「何それ」

デートの約束?なんて言葉を言う前に石田さんは早々に改札を潜っていってしまった。そういえばまだ彼の連絡先を知らない。これじゃあ断る術もないじゃないかと溜め息ひとつ、藤色のマフラーを巻き直してあたしも改札を潜ることにした。なんだか頬が弛んで仕方がないのはきっと手に持った甘酒の暖かさが心地よいせいだ


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