「堪え凌ぐ癖は、昔から変わっておられぬので御座るな」

小さく息を吐く目の前の男性の顔を、名前はよく覚えてはいなかった。 

降頻る雪を窓から眺めるのは幾らぶりだろうか、昨年も確かにこの雪を見ていた筈なのに今年の雪はどうも、これまでに見た事のない、それでいて酷く懐かしく感じるような雪だった。もう直ぐ一年が終りを迎え新年という名の未来がやってくる。そこに見出すのは期待か絶望か、読み終えたばかりの分厚い小説の中で語られる少年は崩れ行く国と共に逝こうとする国王から諭された言葉を胸に未来を進む事を選ぶハッピーエンド。在り来りなファンタジー小説はたとえ辞書程の厚みがあったとしても年若い子供でも楽に読み切る程に単純明解、それでも読み切った小説の中で国王が最後に口にした言葉が名前の頭の中をぐる、ぐる、ぐる、ぐる。

「何を熱心に読んで居られたので?」
「真田」
「まるで辞典で御座るな」
「読みやすい、ただのファンタジーだよ」

ここが学校の中にある図書室だという事を忘れていた。後ろから聞こえてきた声にゆっくりと振り返る前に、視界の横から茶髪の男子生徒がそれまで名前が読んでいた小説に手を伸ばした。変わらず外界では雪が世界を覆い尽くさんとばかりにしんしんと静かにその色を浸透させている。この雪の所為で世界がいつもよりずっと薄暗いから、きっと此処がどこなのか忘れてしまったのだろう。窓際の席で一心に外界だけに視線を這わせれば、この埋もれるような沢山の本も、行き交う生徒も目には入らない。

現実に引き戻された、という表現が正しいのか正気を取り戻したという言葉選びをするべきなのか、名前を見た真田幸村は小さく息を吐いた。 

「何故名前はいつも此処に居るのだ?」
「図書室が好きだから、だってここは皆の場所、でしょ?」
「そうかもしれぬが、しかし高校生ともなれば放課後が親しき仲の者らと出掛けるのが常では」
「世の中の、全女子高生がそうだと思ってるのならとんだ勘違いだよそれは」
「そうなのだろうか?しかし、」
「しかしも、かかしも、私はここが好きだから、通う。それに理由なんている?」
 
ずっと窓の外へと向けていた視線を静かに真田に移すと、今度こそ彼は押し黙った。場所が悪いのかそういった校風なのか、図書室に通う生徒は少ない。まるで独占したかのような空間に居座る二人が口を閉ざしてしまえば、聞こえるのは司書の先生が使うパソコンから聞こえる無機質な、それでいて僅かなものとキーボードを叩くカタカタという音。たまに聞こえる生徒の声はドア一枚隔てた向こう側から聞こえるだけだというのに、酷く遠い場所から響いているような錯覚を覚えてしまいそうだった。
 
相変わらず、雪が止む気配も無ければ、この場から真田幸村がいなくなるという気配も感じる事は出来ない。
 
「何故」
「え?」

「何故誰の事も頼ろうとしない」
 
そろそろ新しい本を探しに席を立とうかと両足に力を込めた時、ずっと同じ方向を向いていた真田が名前の方に振り向き静かに口を開いた。誰の事も、という事はまるで誰かを頼らなければいけない状況にあるという比喩なのか。名前は込め掛けた力を抜き再び真田に向き合う事無くただ置かれた本に視線を落とした。名前は真田と目を合わせるのが苦手だった。真田幸村という人物は女性という生き物を苦手とする噂は入学当初から全学年を駆け巡っていたのを知っていたし、本当に真田は女子生徒と殆んど時間を共にする事も、ましてやうわついた話が浮かび上がる事も無かったのに、こうして名前の場所へまるで押し入るように、干渉してくるからだ。他の女子生徒と同じように嫌悪し遠退いて貰えればどれだけ良かっただろうと、名前はこれまでに何度も考えた。純真そのものの目が名前を射る度、どうしようもなく逃げてしまいそうになる。だから、
 

「誰の、所為だと思ってるの、」
 

真田が口を開く事は無い。
 

「私に近づかなければ、それで良いのに。そうすれば、誰も私を悪くは言わないのに」
「名前」
「どうして私の傍に来るの、私に、構わないでよ」
「名前」
 
まるで酷く許しを乞うような声で、真田が名前の名前を呼んだ。これ以上声を荒げればきっと司書の先生から追い出されるだろう。そうでなくとも、これ以上名前はこの場で真田と二人きりでいる事が堪えられなかった。逃げ出したい。
 
だから司書の先生に心の中で謝りつつ、隣の椅子に置いていた鞄を乱暴に掴みその場を動かない真田を放って図書室を飛び出した。何も考えず後ろ指を差されるのをも気に留めず、ただただ玄関まで走った。なるべく早く靴を履き替えて、なるべく早く家路に着きたい。寒空の下に繰り出すと、そこは一面の銀世界。相も変わらず、雪は降り続いている。一歩歩けばさくりと軽快な音がする。対照的に名前の気分はどんどん下がっていった。
 

「名前」
 

聞きたくも無い声が、また名前の鼓膜を揺らす。
 
「着いて、来ないで。お願い、お願いだから、私に構わないで、皆みたいに私の事を無視してよ。その方が、楽なの」
 
振り向きたくも無かった。それでもその声の主が誰なのか、名前には直ぐに分かってしまった。幸い雪の為に殆んどの部活が活動を中断し早めに帰宅していたお陰で行き交う生徒の数は少ない。それでもその注目の的になっているのが手にとるように分かる。周りに視線を馳せずとも、生徒達が名前と真田の会話に耳を傾けている。この状況がとてもとても、嫌いだ。

声が聞こえない、何も聞こえない。
息のする音は雪の降る音に負けてしまう程か細く儚い、真田が真後ろにいる事は分かっていてもその距離までを測る事は叶わない。ゆっくり、ゆっくりと体の向きを反対側に変えようと前方に差し出そうとしていた足をそのまま後方に引いてぐるり、
 

そして、ふわり。
 
抱き締められていると理解するにはあまりにも膨大な時間が必要だった。周りから小さな悲鳴のような声が聞こえる。悲鳴を上げたいのは自分の方だと意外にも冷静な頭が訴えるのをそのままに、思い切りその自らよりもずっと広い胸板を両手で押した。
 
「堪え凌ぐ癖は、昔から変わっておられぬので御座るな」

どこかで聞いた声が、どこかで聞いた台詞が、頭上から降ってきた。懐かしい、ずっと聞きたかったのに、ずっと忘れていた声だ。何故、真田が。
 
「俺は、継いだ世で必ず名前を幸せにすると約束した。だから」 

もう何処へも行かせはしないと、名前を覆う男は呟いた。
そういえば、あの日も、雪が降っていたような気がする。今日と同じような、雪が。
頭の中では未だに、小説の中の国王の言葉が頭の中を掻き乱していた。

何も見つからないかもしれない
それでもしっかりと今を見つめて歩いて欲しい
そこが、お前の生きる国だ
 

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転生現代で、雪の日に死んだ主と幸村の交した約束。
幸村は前世を覚えていますが主は覚えていません。
文中に出てくる言葉は小説ではなく某ゲームのエンディングに出てくる言葉を参考にしています。あまりにも感慨深いゲームだったので。



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