伊達の殿様が側室を取ることになったと、城内では直ぐに噂が広がった。遂に焼きが回ったのだと笑う家臣達の横をすり抜ける少女の腰に巻かれたのは色鮮やかな帯、ではなくひらひらのスカート。その姿を確認するや否や途端口元を結んで頭を垂らす男共には目もくれずそのまま少女は颯爽と己が目指す場所へと身軽な体を向けた。

少女の名前は、名字名前と言った。

勢い良く障子を開けたかと思えばわざとらしく荒々しい音を立てながらバチン、と再びその障子を両手で閉ざす。それからがらんとした部屋を見回し“誰も“いないか確認した後、名前は力が抜けたようにその場に崩れた。

「何でトイレ行くだけでこんな疲れなくちゃいけないわけ?」

大体、と名前はひとっこひとりいない部屋で声を漏らした。此処にいる当の本人さえ、誰もが羨むであろうこの立場を決して望んではいなかったからである。

事の発端を思い返したところで浮かんでくるのはほんの半年前の出来事。久しぶりの休暇をいかに過ごすかを考えつつワンルームアパートを一歩出た先が、この地奥州だったのだ。再び後ろを振り返った時には既に遅く、そこにあった、確かに名前が出てきた筈のドアは跡形もなく無くなり代わりにそこには大きな鳥居のような門が佇んでいた。

それから1ヶ月は親切な老夫婦に世話になっていた名前であったがついに、その奇っ怪な身形を見た村人が“国“を治める殿様にそれをちくってしまったのだ。あれよあれよと言う間に連れて来られた城では歴史上の人物、伊達政宗が我が物顔で長い長い廊下を練り歩いていた。齢はまだ若いのだろう、教材などで知る顔とは全く違ったそれを暫し見やってしまったことさえ今では良い思い出だと、名前は溜め息を吐いた。

薄暗い部屋に灯るのはランプ、ではなく行灯。中ではゆらゆらとろうそくの火が燃えている。

「早く子供でも産んでしまってくれよ、側室さんとやら…」

その火に手を伸ばしながら、名前は再び口を開いた。名前のこの場所での地位はいつの間にか、「伊達政宗の正室」に成り下がっていた。否この場合には成り上がっていた、と表現すべきか。気が狂ったのだという家臣達の反対を押し切り、正室として迎え入れられたのが3ヶ月前。むしろこれまでの3ヶ月、側室が迎え入れられなかった事が名前は不思議で仕方がなかった。名前は床事情をとことん拒否したし、伊達政宗も必要以上にそれを迫らなかったのだ、跡継ぎをただでさえ心配するこの時世、どこの馬の骨かも分からないような変な女よりも名のある大名の子を生むことがよっぽど意味があるのではないだろうか。

いい加減触れることの叶わない小さな炎に気をやることを止め、ゆっくりと障子の向こうに目線を移した。自分の手で小まめに洗濯をし、決して着物を着ないのはこの時代とは交わらないという名前の強い決意。寝巻きでさえ着ることを躊躇った名前を説得したのは意外にも、いの一番に名前と伊達政宗の婚姻を反対した家臣の片倉小十郎だった。

「ねえ、また来たの?」
「気付いてたのか」

低い声と共にゆっくりと固く閉ざした筈の障子が糸も簡単に左右に押し広げられる。目線の先に見える筈の小さな庭園は遮られてその美しさを隠してしまった。隠している張本人は満足げに笑みを浮かべながら一歩、また一歩と名前の方へと歩みを進めてくる。溜め息も吐き飽きたところだ、今日くらいは相手をしてやるかと寝巻きに着替えた両腕を伸ばすと、ずしりと名前の上に覆い被さるようにして男が名前の華奢な体を抱き込んだ。男の息は僅かに荒い。その吐息が耳を掠める度、驚くほど名前の頭は冴えていった。

この男は顔が良い。地位もあれば名誉もある。どうせ元の世界に戻る方法のひとつも見つけられずにいるのだ。

それでも名前はこの男と真の夫婦になる意思は無かった。
故に名前は、今にも己の全てを晒け出そうとしている男を見上げながら小さく唇を動かした

「お兄ちゃん」

男は、あまりにも似すぎていた
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