指輪 | ナノ
 

2枚のチケット
 

「《すまない、名前…》」
「ううん、いいよ。楽しんできてね?コンサートなら私ひとりでも大丈夫だし」
「《埋め合わせは次に必ずする》」
「無理しなくていいってば、もう。彼女さん待ってるんでしょう?怒られちゃうよ、それじゃあまたね」

まだ何か言いたげな柳との通話を半ば無理矢理終了させ、持ったままの携帯電話を握り締めながら小さく吐いた溜め息は狭い部屋に響き渡った。有名な海外の交響楽団の演奏会に行くために、3ヶ月前にチケットを予約し同じ日に休みを入れた。元々会社は違うため同じ日に休みを入れようが関係の無い事なのだけれど、柳と同じ会社にいる違う部署に配属されている彼の彼女が柳が休みを入れたというのを知り、先週突然休暇を取ったらしい。それを柳が知らされたのが今朝で、彼女は柳をびっくりさせようと今日までその事を伝えず、朝電話がかかって来たのがつい先程。わざわざ柳の為に休みを入れてしまう彼女さんは、柳には勿体ないくらい可愛くて優しくて一途だ。昔一度だけ会った事があるのだけれど彼女はとっても柳の事が好きで、柳もそんな彼女の事を大切にしているのを私は知っているので、私は潔く身を引く。私は柳の彼女ではないし、柳と彼女さんの仲を引き裂きたいわけではない。彼らが幸せであるから、私はこうして柳との関係を続けていられるといえば、世間は私を笑うだろうか。

コルクボードに掛けられた二枚のコンサートチケットを眺め、当ても無いのにそれを二枚ともひったくって化粧台に腰を下ろした。開演は夜だけれど、それまで久しぶりにショッピングでも楽しめればと、私は下地を頬に乗せた

「…ん?」

後は久しぶりにピアスでもしようと、開けてから10年近く経つ左耳たぶの小さなくぼみに指先を当て数の少ないアクセサリーの中から目当てのものを物色している時、不意に私の携帯電話の着信音が鳴った。今日私が休日だと知っている人はいない筈、それに殆どの友人も仕事をしているから朝方連絡を入れてくる存在に検討が付かずピアスを探す手を止め鳴り続ける携帯電話に手を伸ばすとそこには見たことの無い番号からの着信が表示されていた。いつもなら知らない番号には出ないようにしているのに、しまったと思った時にはもう通話ボタンを押した後だった

「《…もしもし?名字さん?》」
「え…?あ、はい」
「《良かった、でてくれないかと思っていたから安心したよ》」
「あ、の…貴方は」
「《あれ?俺の声、もしかして忘れてしまったのかい?》」
「…幸村くん、だよね?」
「《ふふ、正解》」

驚いた。通話を押して聞こえてきたのは透き通るような、柳とは対照的な声でしかも私には思い当たる節のある人物だったからだ。柳とは違う、全てを柔らかく覆ってくれそうな安堵感、幸村くんからの電話に私は声を詰まらせてしまった。どうして私の番号を知っているのかと言う問いには案の定柳から聞いたとの返答が返ってきた。きっと柳なりの罪滅ぼしなのだろう。しかし週の真ん中である水曜日に幸村くんの休日があるとは到底思えなかった。ならば何故、という問いにきっと幸村くんは答えてくれない。それにもしかしたら会社から連絡をしてくれているだけかもしれないから、それとなくそんこな事を聞いてみることにした

「今日は、会社?」
「《会社にいたらこんな時間に連絡なんて出来ないよ、今日は俺休みなんだ》」
「え、休み?」

だから一緒に出掛けない?とまるで私が今日休みだという事を知っていると言わんばかりに電話口で嬉しそうに声をうわつかせる幸村くんの誘いを、断る術を私は知らない



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