短編tns | ナノ


ライアーライフ  


「もう、嘘つかなくていいよ」

跡部が浮気をしているという事実を、知らなかったわけじゃない。本人に指摘するタイミングを見失っていたといえば言い訳に聞こえるかもしれないしずるいと言われるかもしれないが、本当にタイミングを逃し続けていたのだ。

跡部はいつも約束を守らなかった。仕事が忙しいのだと言われれば所詮公務員である私が何か意見を出来る訳がない。加えて跡部はもうすぐその座を退く親の後を継いであの跡部財閥の頂点に立つ事が決まっていて、その引き継ぎや挨拶回りで忙しい事は百も承知であった。だから所詮恋人という立場の私がもっと会いたいと口にしたところで意味は無く跡部の会いたい時に跡部に合わせて跡部の指定した場所で少しの間を共に過ごすのが私たちのデート。関係を知っている友人からはもっと豪勢な事をしているとばかり思っていたなんて大袈裟すぎるくらいのリアクションを貰ったが、気にはならなかった。跡部が私の事を好きなのだと思えば、どんなに少ない時間でさえ至福に思えた。

でもある日、私は見た。出張だから一週間日本を空けると言われていたのにその3日目には某週刊スキャンダル雑誌に抜かれ、パリの街中を綺麗な女性と手を繋いで歩いているところが鮮明に、その雑誌の一面を飾っているのを。そしてその2日後、まだ出張先にいる筈の跡部が郊外の私の勤務する会社近くの美術館に雑誌に載っていた女性と一緒に入っていくところを私は見てしまった。そうして予定通り一週間後、帰国したと私のメールに通知が入ったのだけれど、特に何を言うわけでも、跡部が私に何か言うわけでもなかったのでそのまま関係は続いた。跡部はそれからも私に会いに来たし私も跡部に会いに行った。スキャンダルをものともしない、とは抜かれた彼女からしたらとても光栄であり胸を張れる素晴らしい事なのかもしれないが生憎それは私ではない。それでも、私の中にある小さな維持が私を跡部と繋ぎ止めた。時間に遅れようがすっぽかされようが例え相手が他にいようが私に会ってくれるというだけで満足しようとしていた。勿論、限界を常に傍らに感じながら。

きっと沸点を越えたのだと思う。いつものように、それはそれは自然とやってきた。まるで時計の針が12時を差し日付が変わるかのような日常現象をも錯覚しそうな私の言葉に、跡部は持っていたフォークを落とした。カラン、と無機質な音が静かなレストランに響き渡り、素早く新しいフォークを持ってきたウェイターに気も配れない彼を彼女が見たら疲れてるの?などと甘ったるい声で囁けるのかもしれないがその術を私は持ち合わせていない。ただ果てしなく続く時間の中を動揺の色を隠しきれていない、否隠せないフリをしている跡部に柔らかく微笑み掛ける私はどのように映っているのだろうか。

「そら、どういう意味だ、アァン?」
「そのままの意味だよ。もう出張だなんて嘘つかなくてもいいし、誕生日の予定を誤魔化す必要も無い。好きでもないのに愛してるだなんて言葉を吐きながら買いたくもないプレゼントを選ばなくてもいいんだよ、跡部」

まだ手もつけていないメインディッシュをそのままに私は隣の椅子に置いていた鞄に手を伸ばした。跡部が言葉を発することはなくて、それが了承だと受けとるのにそう時間は掛からなかった。着てきたジャケットをゆっくり羽織る時間も惜しいと思うほどに、言葉を発した後の私は跡部を否定し始めている。その癖この瞬間が名残惜しいと言わんばかりにゆっくりと席から腰をあげようと力を込める自分に飽き飽きしてしまいそうだ。腐っても鯛、見切りをつけた相手だとしてもあの跡部景吾。未練がないかと言われれば勿論あるに決まってる。それでももう、このままではいられない。そんな気がするのだ

「これからはさ、好きなものを好きだって堂々と言いなね。遠慮なんて、しないでさ」
「名前、俺は…」

「楽しい時間をありがとう。本当に幸せだった」

跡部の声が静かなレストラン中に響き渡るのが痛いくらい感じ取れたけれど、立ち止まる訳にはいかない。これを過去だと決別して新しい人生を歩まなければいけないのだ。だからレストランを出たら跡部景吾の彼女は終わり。否、彼女であったのかさえも曖昧だけどそれでもこの関係には一区切り。残酷かな、呆れるくらい冷静な頭で寒空へ繰り出した私を祝福してくれるひとは、この世に存在するのだろうか。

涙が、一筋も私の頬を伝わない



話は変わるが、私は今とある大きな屋敷の前に来ている。慣れた手付きで少し見えにくい位置にあるインターフォンらしきベルに手を伸ばしたところで、開けてもいない見るからに厳重そうなドアがギイイと音を立てて開いていく。玄関の灯りだけに照らされていた私がゆっくりと眩い光に照らされる事で私の心は言い様の無い安堵感で満たされていくのを感じた。

「終わったのか」

見慣れた使用人の奥に見える西洋風の大きな階段の一番上に、そのひとの姿はあった。ワイン色のスーツを身に纏いブロンドじみた綺麗な髪色をした背の高い男性は私が初めて出会ったときからあまり容姿に変化が無いように見える。若く見せているのか、本当に若いのか。何にせよ一財閥のトップに君臨する勝者、私は早足で階段を駆け上がりバラの香る胸元に飛び込んだ

「榊さん、ただいま帰りました」
「もう何処へも行く必要は無いのだな?」
「はい」

言い忘れていたが、私は明日結婚する

ライアーライフ

果たして嘘をついていたのは跡部か私か。それとも目の前で明日の結婚を楽しみに待っているこの男なのか
騙され贄にされた羊は誰なのか

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