短編tns | ナノ


私、魔法使いなの  


「ねえねえ、けーごはあたしの特別な人だから教えてあげる」
「あーん?なんだよ」

イギリスにいた頃、同じようにそこで生活してるっていう日本人と仲が良かった事をふと思い出した。あの時は年も10歳そこいらで同じ肌の色をして同じ母国語だってだけで言い様の無い安心感を覚えよく一緒に学校に通っていた背の低い女の名前は確か、名前だったと思う。いつも俺をけーごけーごと言いながら後ろを引っ付いてきたそいつの事をいつの間に忘れてしまっていたのだろうか。久しぶりに訪れたイギリスの街並みを眺めながら当時の事を振り返る事は非常に懐かしく、そして少しの頭痛を伴った。名前は夏休み、突然俺の家を訪ねてきたかと思ったら可愛らしいラッピングが施された星型の不格好なクッキーを俺に差し出しながらいつもの笑顔で俺にそう言ったのだ。アールグレイのクッキーしか作れないのかと無邪気に微笑むその頬をつねってやっても、いつものように反発してくる事の無い彼女を些か疑問に思ったものの当時は特別の意味も対して分かっていなかったせいもあってただ仲が良いからと言う理由でそいつの話を聞こうと家の中に名前を招くと、名前の笑顔は突然曇り今にも泣きそうな表情で俺を睨んできた

「あたしはまほーつかいだから11歳の誕生日になったらホグワーツに通うの」

そうして口を開いた彼女の言葉を、俺が理解出来る筈が無かった。魔法、勿論あれから何年も経った今こうして同じように思い浮かべたとしてもやはりその真意を理解する事は出来ず生まれるのはそんな意味の分からない事を話す彼女への反発。

「まほー?バカじゃねえの!そんなもんあるわけねえだろ!」

そう言って泣きそうな名前にきっとトドメを刺したのは俺で、特別だからと言ってくれた名前の言葉も理解しようとしないまま俺は突き放した。ショックに顔を歪める当時の彼女の顔が今になって鮮明に思い出されるのが酷く現実的で、目の留まったカフェに陽射しを避けるかのようにして入店した。何故今まで忘れていたのかなんて事を考える余裕も無い位、段々と頭痛も酷くなってきて遂にその顔を上げる事も出来ずに一番奥のテーブルに腰掛けた。今彼女はどこで何をしているのか、彼女は本当に魔法使いだったのか。今となっては確かめる事すら叶わないが、夏休み明け名前が家の事情で転校した事を担任の教師から聞かされた時はただ、自分が怒鳴ったせいで彼女が傷付き学校が嫌いになったのだとばかり思っていた。それからとの位経った頃からだろうか、一瞬も名前を思い出す事は無くなった。ある日突然だったのかもしれないし緩やかに忘れていったのかもしれない。しかし分かることは、この地に来るまで俺は確かに名字名前という存在を忘れていたという事実だ。結局夏休みに貰ったアールグレイのクッキーは食べたのか、それとも誰かにやったのかさえ曖昧で、偶然か必然か店内に漂う嗅ぎ慣れたアールグレイの匂いを首を振って払う気にもなれない俺はただ大きく溜め息をついた。

「ご注文のティーセットお持ち致しました」
「アァン?俺はそんなもん頼んじゃ…」

その違和感に気付くのにそう時間は掛からなかった。イギリスのカフェにいる筈なのに聞こえてきた心地の良い声が作り出す言葉は使い慣れた日本語、男のように激しく声変わりをする事の無い女性の声はすっかり色褪せたとばかりに錯覚していた柔らかく、親しみのこもったトーン。聞き間違いかと勢い良く顔を上げるとそこには、あの時よりも随分と成長し大人の女性へと移ろいだものの変わらないあどけなさと悩ましげな笑みを持つ、つい先程まで思いを馳せていた人物がアールグレイティーの傍らに星形の不格好なクッキーを乗せた皿をこちらに差し出していた。見間違える、筈など無かった

「名前…なのか…?」
「お客様は私めの特別なお人ですから教えて差し上げますね」

そう言いながら変わらない笑みで制服のポケットから取り出した棒切れをひとふり、ぼそりと彼女が呟くと同時にカフェだったその場所が一転、まるでひとが住んでいるかのような小部屋に早変わりしてしまった。店内にいた筈の店員も来店客もひとっこひとり見当たらず、俺は洒落た椅子に腰掛けて目の前の女性をただただ見上げる事しか出来なかった

私、魔法使いなの

まるで止まっていた時間が動き出したかのような錯覚を覚えずにはいられない。だから俺はこれが現実だと認識するために、アールグレイの香る華奢な体ごと抱き締めた

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